2012-06-01[n年前へ]
■力強さと正反対の小さな囁(ささや)き
from 「n年前へ」十年前にメモした言葉は、今どう響くんだろうか。
力強さやジャーナリズムなどとは正反対のところにある、耳を澄まさないと聞き取れないような小さな声で語られる言葉。…そして、そんな小さな囁きにも耳を傾ける人がどこかにいるということ.
暗闇、孤独、沈黙の中で語られる囁き
わたしの初恋は、「仮面の忍者・赤影参上」の赤影さんでした。18歳のとき、赤影さんがポルノ男優になり、スポーツ新聞にひたすらエロを書き連ねて生計を立てているのを知ったとき、全てに絶望したような気がする。不潔よっ。
「全52話うち、素顔を出したのは4話ほど」でも、「番組終了後はそのイメージが強すぎて、仕事に恵まれなかった」んですってね。「一時は赤影と呼ばれることを嫌い芸名を変更したこともあったが、久留米に戻ってからは『赤影から逃げられないのだったら、とことん赤影でやっていきたい』と話していた」というんですから、なんだかそこに…
絶望?希望?
2012-05-28[n年前へ]
■「広い世界」を「(前に)進んでいく人」
自分が知ってる「前」でもあり、自分が知らない「前」でもある「n年前へ」から、「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」など。
「世界が狭い」と「世間が狭い」は180度違う。「狭い世界」を造り出すのは「知り合いが多いハブ的な人の存在」であり、「狭い世間」を造り出すのは、「周囲状況と繋がらず離れてしまっている人」である。「世界が狭い」は「広い世界」を引力が強い人がねじ曲げて色々な場所を繋げていた結果であり、「世間が狭い」は「広い世界」を知らず閉ざされている状況である。「世界が狭い」と「世間が狭い」は大違いなのだから、自分が考える「世界(というもの)」が、果たしてそれは「(自分の外に広がる広い)世界」なのかそれとも「(自分の周りの狭い)世間」なのかを問い直す作業が必要だと思う。
私が印象に残っているのは一生懸命努力している人のビデオだ。工事現場で働いている人、10キロの道のりを歩いて学校に通っている少女ら、頑張っている人だ。
2012-05-27[n年前へ]
■ペタ乳とデカ乳…どっちが大きく感じる?
from 「n年前へ」
「メガ」+「乳」=「メガ乳」という言葉は、案外良い組み合わせだと思う。「メガ乳」の10億倍を意味する「1000兆倍=ペタ(peta)」では、「ペタ」+「乳」=「ペタ乳」になってしまう。これでは、妙にフラットな印象をかもし出してしまう。それなら、むしろメガの10万分の1の「10倍=デカ(deca)」の方が迫力を感じるような気がする。
結構気に入ったのが「1兆分の1=ピコ(pico)」だ。「乳」という言葉の接頭語としては、「ピコ」も結構似合うような気がする。
「色んな単位」と「”メガ”+”乳”=”メガ乳”という方程式」
2012-05-10[n年前へ]
■「適度な理屈」と「心を動かす物語」
「心を動かす何か、あるいは、感情を動かす力のベクトル」…そんな「何か」に「それっぽい論理」をトッピングすると、ひとりひとりを動かし…そして多くの人を動かします。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。
小島寛之
人を「動かす」ものが「良い」とか「悪い」とか、人を動かした「意志決定」が正しそうか・間違っていそうか…実に難しい問題です。
2012-05-08[n年前へ]
■「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しない
物事が複雑になると、人は読みたいようにしか読まないし、都合の良いように捉えて、そのまま伝搬しちゃう。
そうですよね。…だから、というわけではないですが、最後の部分、
すでにインターネットが社会の意思決定システムとして利用されているわけで、人々の意思が正しく反映されるよう、技術者が真剣に考えてサポートしていかなければいけない。
…本当は間違った情報は修正されるようなシステムを自分で作らなきゃいけない。の「人々の意思が正しく反映されるよう」と「間違った情報は修正されるようなシステム」は、違う方向を向いていて、それらは矛盾し・相容れないものではないかのか…と強く感じます。「人々の意志」が好み・欲するものを正しく反映したもの…つまり流行るものと、「”正しい”情報」というものは、果たして相容れるものだろうか?…と疑問に思うのです。
そういえば、「”分数もできない大学生”のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?」という実に曖昧な質問を、先生に聞いてみたことがあります。その時、言われた「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」という言葉を思い出しました。人々の意思が正しく反映されたもの、「バブル」のように多くの人を動かし「流行る」もの…と、「”正しい”情報」とは重ねがたいものではないか、と考えたりします。
「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しないのではないかと思います。そしてまた、”正しい”…って「そもそもどんなことなんだろう?」と、首をかしげたりもするのです。
2012-04-21[n年前へ]
■高慢な賢者や謙虚な愚者は何処にもいない
「他山の石」を読みつつ、脈絡なく、「客観的な事実」と「自らの狭い主観」との違いの言葉を思い出す。
「賢者愚に学び、愚者賢に学ばず」ということわざがあるが、どこをどう探し回っても、高慢な賢者や謙虚な愚者にはお目にかからない。愚かさは高慢と同居しているのが常である。
「客観的な事実」と「自らの狭い主観」との違い
歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちで最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。…歴史とは、内気で控えめでちょうど良いのではないでしょうか。
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについてその時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
このようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。
無意識に行う「過去と現在と未来の重ね会わせ」
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。(チェーホフ)
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。
2012-04-09[n年前へ]
■「ありえない!?三条御池」や「春風にめくれるスカート」
『京都の街で「非ユークリッド幾何学」を体感しよう!?』や「風にめくれやすいスカート」や「ATOK用perl機能追加プラグイン」など。 from 「n年前へ」
烏丸御池から御池通りを「ひたすら真っ直ぐ」と西へ西へと進んでいくと、時代劇の撮影スタジオがあることでも有名な太秦近くに至ります。その太秦に辿り着く直前にある交差点が「三条御池」です。すなわち、東西に走る御池通りと三条通りが交差する交差点です。…何か「おかしくない?」「同じ方向に走るはずの”御池通りと三条通り”が交わることなんか不可能だよね?」と一瞬驚くわけです。
一番、デンジャラス(スカートがめくれやすかった)のは、中学の学生服(冬服)でしたけれども(笑)。
この学生服は、5cmくらいのプリーツで、ロング(ひざ下20cmほどはあったかしら?)でした。
軽い・・・わけではなかったのですが、どーしてあんなに開くのか、とずっと思っていた。
2012-04-04[n年前へ]
■「学問で一人前になるための必要条件」
「n年前へ」から「学問で一人前になるための必要条件(○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力)」
学問で一人前になるための必要条件として、次の四つが挙げられている。
1. 知的好奇心が強い
2. 野心的である
3. 執拗である
4. 楽観的である
このうちの3番目の「執拗である」ためには、「体力・精神力ともに強くなければ、長い作業の中で消耗してしまい頂(いただき)に辿り着くことはできない」から、「執拗である」ためにはそれを支える「体力と精神力があること」が必要だという。
2012-03-17[n年前へ]
■化学変化や向田邦子やスローガン
酸性の洗剤とアルカリ性のそれを混ぜ合わせたら毒素が生じることはだれでも知っているけれど、自分が出会っただれかと一緒にいることで、何が生じるのかは予測すらつかない。生じたものが自分にどんな作用を促すのかも。
(向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。
短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。
どうして言葉と言葉すれ違うと化学変化でめちゃくちゃになるの?
2012-03-13[n年前へ]
■お客様という「わがままな神様」
魚の養殖は、どれだけ「本物」に近づけるかの勝負だ。
(中略) (エサに入れた色素で養殖のサケの身の色を調整するために)消費者が好む色は何色か、調べることにした。…最多得票は、天然にはない「(肌色と赤の)中間色」だった。
「養殖は『ニセモノ』なんて言われた時代もあったけど、消費者が選んだのは『本物』とは違う色だった。お客様ってわがまま。でも、神様ですけど」