2012-02-20[n年前へ]
■「周波数が高い謎のデンパ」
from 「n年前へ」
バスを降りると、そのバス停看板には「高周波前」と描かれていました。…一体、なぜ「高周波前」なのでしょう?何か変な周波数が高い謎のデンパでも受信しているのでしょうか。
次のバス停は「高周波前」!?
2012-02-15[n年前へ]
■「ポジティブ」という名前が付けられた「不況への案内図」
「不況」や「バブル」を生み出す機構は一体どんなものだろう?と考える「n年前へ」から。
ポジティブ・フィードバックからは安定な状態は生まれない。上がり続けるか、下がり続けるか、…結局は「発散」してしまうことになる。
(不況と呼ばれるこの時代に)平積みされる本が、もしも「節約ライフ」的な本だとしたら、景気にはまさにポジティブ・フィードバックが働いていることになる。それらの書籍は、不況への後押しをするポジティブ・フィードバックであり、「ポジティブ」という名前が付けられた「不況への案内図」なのかもしれない。
2012-02-14[n年前へ]
■正義の味方と悪の組織の狭間の「世界」を描いた「仮面ライダーになりたかった戦闘員」
岡田斗司の『「世界征服」は可能か?』に書かれてた「正義の味方と悪の組織の違い」の表を見ました。この「表」は、すでに(同じネット上でも)違う”場””媒体”で、何回も眺めたことがあるような気もします。何回眺めて、「ウケるツボを押さえていて面白いなぁ」と思います。ウケるポイントのひとつは、こういった読み物を、人は誰しも「自分」に重ねて読むからです。…けれど、世界のほとんどすべての人は、「正義の味方」でもなければ、「悪の組織」でもありません。「大それた野望もなければ、具体的な目標も無く」「受け身がちであるつつも、へこたれることもあり」「笑いや怒りとは違う感情に襲われることもある」…そんな「正義の味方でも悪の組織でもない」…ショッカーたちは多いのではないか、と思います。
今日、2月14日に書いた過去のWEB日記を眺めてみれば、「正義の味方」と「悪の組織」の狭間(はざま)の「世界」で描かれた、「仮面ライダーになりたかった戦闘員」の「戦闘員の言葉」が走り書きされていました。「ヒーロー」でもなく「組織」でもない、みんなの「自分」な「下っ端(したっぱ)」物語が、そこに描かれています。
仮面ライダー、聞いてくれ。
昔、夜更け過ぎに、家のPCで眺めたインターネット上の「物語」を、今ならケータイやスマートフォンで、街のどこにいても眺めることができます。朝の通勤電車の中でも、昼の街中でも、夕暮れの人が溢れる駅前からも、どこからだって眺めることができます。
あの人たちの守った世界を…
見て回るって言ったよね。
「仮面ライダーになりたかった戦闘員」を読むならば、周りに人がいない時、ひとりで読むのことをお勧めします。もしも、周りに人がいるのなら、そんな時は、花粉症なのに花粉の大群に襲われていて・だから涙が目からこぼれ・鼻水が止まらなくなっている…と装う演技でも磨くことにしましょうか。
そして、「世界」を守った「あの人たち」は、「物語」に登場した「たくさんの人たち」の中の、どの人(たち)だったろう、それは「正義の味方」だったろうか、それとも「悪の組織」だったろうか、それとも、それ以外の「人たち」だったのだろうか…という想いを巡らせてみるのも良いかもしれません。
この世界、そんな捨てたもんじゃないと…
あたしは思いますよ。
2012-02-13[n年前へ]
■"Enjoy your life.Have Fun!"
TVで放映された映画「ナイトミュージアム2」を観ました。夜が明ければ、もう永遠に動けなくなる(博物館に展示されている)挑戦好きな女性が、短いけれど密度の高い冒険に満ちた一夜を過ごした後、主人公に「楽しんでね」という言葉をささやき、別れを告げる。
「楽しんでね」という言葉は、どういう言葉だったんだろう?と考える。 "Enjoy your life."とでも言ったのだろうか?もしそうなら、映画に描かれた「短いけれど・冒険に満ちた一晩」が、まさに"Life"を象徴するかのようだ…と思いつつ、(吹き替えでないビデオを)観てみた。
字幕版を眺めてみると、「楽しんでね」は、"Have fun."だった。ほんの一瞬の「時間」を、どういうものにするか…と、いつも々悩んでしまう。
2012-02-05[n年前へ]
■「才能」と「孤独」
角田光代「これからはあるくのだ 」から。
私はもう才能なんて言葉を信じてはいない。ものごとに長けるということは、好きか、嫌いか、そのどちらかしかない。
「才能なんて」
不安も退屈も孤独とまるっきり関係がない。 郵便局と格安チケット屋くらい違う。
ではひとりの旅がまるっきり孤独とは無縁かというときっとそんなことはなくて、いわば、手に手を取り合って移動し続けている、そんな感じなんじゃないかと思う。ひとりでいるということ。それはときには興奮的で自由で、あまやかなことにもなりえる。
「孤独三種」
2012-01-29[n年前へ]
■ "Will to think"-you don't need to worry so much about the mistakes you make.
「n年前へ」
”人生の到達点はそれまでの積分なんだから、同じアドバイスがどの時点でも有効なはずだ。 やりたいことはたくさんある。それなら、絶対後悔しないから、貪欲に、遠慮せずにやればいい。 Shiro”
”負けた時に納得できる弁護士を選んで下さい。 橋下徹”
“What I say about myself-and I am sure most creative people would say the same thing is that, when we look at how long it took us to get certain ideas, we are impressed with how dumb we were- on how long it took us, and how stupid we were. But We have learned to live with this stupidity, and to find from it what relationships we should have seen in the first place. This recongnition that we aren't perfect but that persistence pays is a very important factor, I think, in giving one the "will to think"-you don't need to worry so much about the mistakes you make. William Bradford Shockley Jr.”
”数値で語れなければ、プロとは言えない。 今井功”
2012-01-28[n年前へ]
■「バブル」と「スキル」
今日と同じ「1月28日」に書いた「n年前へ」から。ちなみに、「〜年前へ」の”前”は、過去でもありますが、それと同時に未来でもあると思いつつ決めた、そんな「ネーミング」です。
歴史上、バブルは何回もありました。イギリスで起こった南海泡沫事件、米国における192o年代の株式ブームなど、回顧すると「なぜ?」と思われるような異様な事件が繰り返し発生しているのです。南海泡沫事件にはあの偉大な物理学者ニュートンさえ、南海会社に手をだして、多大の損失を蒙ったということですから…。
「バブル」の語源となった「南海泡沫(サウスシー・バブル)事件」でアイザック・ニュートンは2万ポンド(現在の1億円相当)を失っています。「私は物体の運動は測定できるが、人間の愚行を測定することはできない」という名文句を後世に残しました。
周りの風潮に惑わされることなく、みんなは自分のやりたいことをしっかり見つけなさい。…ただし言っておくけどもね、そこにはしっかりとした技術を身につけていなければ生き残れないという掟、厳しい掟があることもどうぞ忘れないでください。…自分の技術は自分で一生懸命磨いていく。…そして、もうひとつ。狭い視野で物事をとらえないということ。
2012-01-19[n年前へ]
■「門」の中にいる「だけ」の専門家
さすが(無料で購読できるにも関わらず、最高のグラフである)「GRAPHICATION」だ。「特集 3・11以後の知を考える 2012 No.179」を読み、あれから一年近く経って、ようやく「こういうものを読みたかった」という 本物に出会えたような心地になる。
まずは、冒頭の「対談・知の交差点 いま、科学と専門家に何が求めれているか (赤木昭夫・中村桂子)」から。
門とは、要するに囲われた特殊なもののことで、その一つのことを専(もっぱ)らするのが専門家になるわけです。…実は「自分はたった一つのことしかやっていません」ということなんです。
要するに専門という門の中に入ると、門の中には掟があるんです。それを守らなくては門の中にいられない。そこで門の中で掟を守っているうちに、その掟がすべてを尽くしている。…そのために、専門家というのは、非常に気をつけていないと、専門家になればなるほどどんどん狭くなっていく悪循環に陥ってしまう。
いや、考えてみれば、「ようやく」じゃない。インスタントラーメンじゃあるまいし、丁寧な料理が「すぐに出てくる」わけもない。「ようやく」と感じてしまう近視眼的な視点を、直すメガネをかけることにしよう。
2012-01-14[n年前へ]
2012-01-12[n年前へ]
■日本人、ことに知識階級の人々が持つ「バイアス」
日本人、ことに知識階級の人々の中には、とかく同胞人の業績に対して、その短所のみを拡大し、外国人のものに対しては、その長所のみを強調したがるような傾向を持つものがないとは言われない。そうして、かなりつまらない西洋の新しいものをひどく感嘆し崇拝して、それと同じあるいはずっとすぐれたものが、ずっと古くから日本にあっても、それは問題にしないような例は往々ある。