2012-01-10[n年前へ]
■「手に入る(かもしれない)未来」と「もう手に入らない(かもしれない)過去」
「n年前へ」から。
この人さ、いつも着眼点もいいし、作るものも面白いけど、いつもそこで放置しちゃうねw
(VHDLを眺めて思い出したのが)「ビジュアル言語」を触り始めたとき、苦手だったことの一つが、「どこから実行されるのかわからない」…ということだった。
そして、しばらくそういうツールを使ってから、ようやく気づいたことは「どこからも実行されうる」ということを理解していなければダメなんだ、ということだった。逆に言えば、「あらゆる箇所で並列計算が行われている」と普通に思えるようになれば良い…ということだった。
我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。
信じられないかもしれないが、経済学を学ぶとトレード・オフや意志決定に関する「思考法」が身につき、優れた意志決定を行う素地が育まれる。
授業のテキストだから、各所各所に課題がはさまれている。それは、とても具体的で実践的な問いかけばかりだ。たとえば、「今日の放課後のどう過ごすか考え、その過ごし方をしたことで得られるもの、それ以外の過ごし方をしていたら得られていただろうこと」を考えなさい、というようなものだ。
歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
白馬ジャンプ台のコース上に立つと、あまりの高さに体が思うように動かなくなり、ただただ、雪面と一体化したい(そこから動きたくない)と願います。しかし、そんな中、コースに入った雪をかき・溝を奇麗に整えようとしている人がいます。
そんな人に「スキーのジャンプをされたことはありますか?」と訊ねれば、空から下界を気楽に眺めるような笑顔で、「私もノルディック複合の全日本代表でしたから」とその人は笑うのです。
2012-01-08[n年前へ]
■「迂回し余る道」や「余る何かを導く何か」
十年一昔、と言います。十年というのはとても長いようでいて、それと同時に、思うよりずっと短い…そんな時間です。十年以上、WEB上で日記を書き続けていれば、色々あるものです。 from 「n年前へ」
本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。
中学時代、「グレてる生徒がマジメになるきっかけは、ほんのささいなことだったりする。けれど、それが大事なことなんだ」と老先生が言っていた。それは、たとえば、母親が化粧っ気も無しに働いているところを眺めて、「母親に化粧をさせてやりたい」と思ったりするとか、そんなことだった。
道が柔らかく曲がっている。ゆったりと左に右に道が方向を変えている。そんな時、昔の街道の雰囲気を感じる。そして、その道端のどこかには、必ず寺社や祠がある。
坂村健は「新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」と言う。つまり、その当時の新技術が今現在2005年の世界を支えている(あるいは近い未来に支えていく)ことになる。科学技術の発展はそんなに速くない。科学技術を作っている側も使っている側も、時の流れはドッグイヤーであるかのように早いように思えるかもしれないが、実はそんなに速くない。
むしろ、いとうせいこう氏のような(数式を言葉とみなせない)文科系作家は、言葉の厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気といったものを表現していくのが主たる仕事ではないんだろうか。
これらの小説は、昭和初期という舞台上に、”今”という瞬間が描かれている。だから、小説に登場する登場人物たちは、”今”を生きる私たち自身である。…”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」に、少しばかり、目を通してみるのも良いと思う。
2012-01-06[n年前へ]
2012-01-04[n年前へ]
■「忘れる」という自然な原動力
7年前の「n年前へ」から。
しかし、その一方で「忘れる」ということは人にとって自然で、何かしら生きて発展していくための原動力であるだろうとも思う。数ヶ月先、あるいは例えば来年に、地震や津波のことなんて忘れ去られ、今回の被害地が同じように人で賑わっているとしたら、それもまたとても自然なのだろうと思う。人が忘れることが「自然」であるならば、人が忘れることにより生じる災害はやはり「人災」でなく「天災」なのかもしれない。だから、「天災は忘れた頃にやって来る」のだ。
「津波と人間」
2012-01-01[n年前へ]
■「きみのかみさま」の最終話「旧正月とバレンタインが重なる日」
絵本を作りたかったという西原理恵子の「きみのかみさま」は、第2話から第13話まで6ページのリフレインがずっと続きます。そして、第1話に似た第14話を経て、第15話(最終話)で旧正月のお祭りの派手な音や華やかな色彩が満ちる、そして黒潮と風の匂いがする南国の水辺が描かれます。
その水辺を背景に書かれたモノローグを眺めていると、
約束した場所がある。「できるかな クアトロ」で南国の祭りの後に描かれていた言葉を思い出します。
いつか…会うことを決めている。
わたしは死んだら、たぶんここらへんにいるので、「できるかな クアトロ」は、西原理恵子が元夫である鴨志田穣と離婚した後に画かれた話が、亡くなった後に出版されたものです。さて、この南国の祭りの後に描かれていた言葉にはどんな思いが込められているのだろう?と考えます。
あなたも死んだら、ここらへんに来てください。
2010年の旧暦1月1日、つまり2010年の旧正月は、2月14日でした。「きみのかみさま」の最終話は、そんな旧正月とバレンタインが重なった日が舞台です。
お母さん、今日(西原理恵子の「毎日かあさん」に出てくる長女とよく似た)女の子の言葉の後、お母さんが水面の向こうに語りかける言葉が、「きみのかみさま」最後の1ページです。
中国のお正月なんでしょ。
おまけにバレンタインよ。
チョコおくらなきゃ。
ちいさなキスを おくります。
こんど会ったら、返してね。
2011-12-22[n年前へ]
■私たち・時代が求めるものを与える「広告」
「コマーシャル」「広告」が大好きです。なぜなら、それは今の時代が欲するもの、つまり、わたしたちが求めるだろうこと、を絶妙な感覚で与える「センサー」だから、です。
横浜、みなとみらいの街を自転車で走っている時、コカコーラの「ハピネス・トラック」とすれ違いました。赤く塗られた「サンタクロースをたくさん乗せた21世紀風のトレーラー」の後ろ姿を眺めれば、思わず、AIが歌うハピネスが頭の中に響いてきます。
そんな車道から歩道に目をやれば、ちいさなこどもを連れたお母さんとお父さんが、冬の空に光を綺麗に灯す観覧車の方へと、手を繋いで歩いています。
それが、クリスマスを迎えようとする横浜 桜木町近くで眺めた景色です。
どんなに嫌な1日だって、
君の笑顔で最高になっちゃう。
君が笑えば、この世界中に、
もっともっと幸せが広がる。
君が笑えば、すべてが良くなる。
この手で、その手でつながる。
2011-12-20[n年前へ]
■西から東へ、今日も同じ風が吹く
10年間分の、今日と同じ12月20日から、つまりは「n年前へ」から。西から東へと、今日も(いつもと同じ向きの)同じ風が吹いています。
日本の空は偏西風に支配されています。西の空から東の空におよそ時速40km程度の風が吹き、雲もそして天気も、空に浮かぶものたちは、その速度で移ろって行くのです。
「虹のトンネル」を時速40kmで追いかける。
私たちを上から眺める太陽と雲は、逆方向に動いて行くのです。太陽は東から西へ進み、雲は西から東へ走る、私たちを包む時間はそんな風に動いているのです。
私たちの頭上では「太陽と雲」が逆に動いてる。
2011-12-08[n年前へ]
■思い出の中のキタバチ
京都 北白川バッティングセンター(キタバチ)の閉店、そして、店内機材の売却などを見た方の言葉から。
通りすがりの若いお客さんが、「キタバチがこんな賑わってるん、初めて見たわ」と呟いたのだ。僕が知っているキタバチは、いつでもお客さんが一杯だった。賑やかで楽しかった思い出しかないのだ。これが時代の流れなんだろうか。
さようなら、北白川バッティングセンター
閉店したキタバチへ行ってきた。最終セールをやっている、という告知があったのだ。1日から4日まで、店内備品を売りつくしているらしい。今度こそ、最後のお別れだ。
…結局僕は、ビリヤードの球を3つ買ってきた。傷だらけでタバコのヤニもついている、使い込まれた球だ。…事務所に戻ってから、ずっとこの球でカチカチ言わせて昔を思い出している。
キタバチの名残
2011-12-04[n年前へ]
■「高座という名前のナゾ」と「上を見上げる姿勢が持つ力」
林家たい平師匠になぜ「高座」と呼ぶのでしょうか?と尋ねてみました。「高座」に座布団をひき正座して、噺家は落語を話します。あの場所をなぜ「高座」と呼ぶのだろうか?ということを尋ねてみたのです。
すると、たとえば、高座説法という言葉もあるように、元々はお坊さんなどが「高いところから説法をしていた」ところから始まっているんです、と教わりました。お坊さんが、高い場所から、面白くありがたい「はなし」をしていたところから、「高座」で噺をすることが始まった、と聞きました。
それと同時に、けれど、上方(関西)では、つまり上方落語は、路地などに座り・(自分の前に)机などを置き、大道芸やバナナの叩き売りのごとく、音などを出して人を集めながら、面白話をすることから生まれたんです、とも聞きました。上方落語で使われる、見台(小さな机)や小拍子(拍子木)などはその名残だ、教えてもらいました。
さらに、だから「客席は平らで、その前に高座がある」「客席から、客は上を見上げつつ”噺家のおはなしを聞く”のが、本来の(関東の)寄席なんです」と聞きました。そして「最近は、客席がせりあがっていて、お客が下にいる噺家を見下ろしながら落語を聞く寄席もあるけれど、あぁいった寄席は苦手です」「だって、そうでしょう?上を向いたら、自然に喉が開き、笑い声も自然に出るでしょう?けれど、下を向いていたなら、喉も閉じてしまうし、自然に笑うのは難しいでしょう?」と言われます。
そうか、「”上を見上げる”という姿勢をとるだけで自然に笑い声も出しやすくなる」ということもあるのか、そして、その逆のこともあるのか、と何か少し考えます。毎日の生活をする中でも、下を向いて歩くよりも・上を向いて歩くのは、もしかしたら良いものなのかもしれない、それが単にカタチだけのポーズだとしても、その”姿勢”が何か笑いや楽しさを自然に感じさせることもあるのかもしれない、と感じます。
”高いところに座る”と書いて高座と読む理由謎を林家たい平師匠に聞き、さらに「上を見上げる」姿勢が持つ効果を教えられたのでした。
from twitter
2011-11-30[n年前へ]
■「不幸に終わる男」と「成功する男」
塩野七生「男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 」には、思わず書き写したくなる「言葉」と「論理」と「感性」が詰まっている。…ただ、その言葉は「限りなく蒸留されていて、ひとつの言葉をも抜くことができないくらい精緻に組み立てられている」ので、この本から言葉を(意味を損なわずに)書き写そうとすることは難しい。その価値を失わせないでいようと思うなら、「全文引用」を避けられない、そんな文章だ。
「男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 」に書かれている「不幸に終わる男」と「成功する男」の特徴・条件…それらをここに抜き出してみた。意味・価値の99%を損なわせることを覚悟の上で、少しだけ書き写してみた。
不幸に終わる男:
- 原則に忠実な男:人間(他人・相手)の存在を優しく見ない
- 完璧を期す男:ないものねだり
- 迷う男:自分が進む道・立つ場所を決めていない男
成功する男:
- のどかに晴朗で明るい男:灯りにはつねに虫が群れる魅力がある
- 「暗黒面にばかり眼がいく人」でない男:人は所詮、自分が真実と思いたいものを見る
- 自分の仕事に90%の満足と10%の不満を持つ男:自分が耐え・他人も巻き込むためには9割の楽観主義は必要だ。しかし、10割楽観主義では…それは単なるバカである
- 普通の常識を(守らずとも)"尊重”する男:普通人が自らの存在意義を見いだすのは世間並みの常識の中でしかない。そんな平凡な人間の存在理由・人間性を暖かく「見る」ことができる
これらの言葉の意味、さらにその背景をより深く知りたいと思う人は、 「男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 」を読むしかない。
この本は、こんな風に「○×の条件は第一に〜、第二に〜、そして、第三に〜である」といった箇条書きが頻出する。そんな論理的で、けれど、決して冷徹だけでなく・むしろ過激に情熱的でさえある言葉が溢れている。