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2011-09-21[n年前へ]

「したいこと・求められていること・できること」という三体問題の一般解は存在しない 

 from 9月22日の「n年前へ

 自分が何をしたいのかということ、世の中が何を求めているのかということ、そして、自分ができること…その3つの力のバランスで、そんなコックリさんゲームで、どんな道を選ぶかが決まるのだろうか、とも思います。しかし、そんな三体問題の一般解はないわけで、結局のところ、状況次第・自分の気持ち次第というのが本当のところなのかもしれません。
 何にせよ、作りだしたものがすべて、というひとつの基準で判断されることかもしれません。

2011-09-16[n年前へ]

「考えろ。”先”を考えろ、”前”へ動け」 

 "Think. Think Forward, Moving AHead"という言葉、「考えろ。”先”を考えろ、”前”へ動け」という言葉を夕暮れ間近の東京ビッグサイトで見つけ、写真に撮りました。 いつか見た、昔IBMの社屋の入り口の上に掲げられていたという"Think"という板=「この入り口を通るものは”考えろ”」という宣言を思い起こしました。

 "Think. Think Forward, Moving AHead"という言葉をキーボードで叩いているこの瞬間に、TV画面の中から俳優 六角精二が「先のことは考えちゃダメなんだよね」「終わってしまったことも、あるいは、先のことも考えてみても、どちらもダメなんだよね」と自虐的な話をしています。

 過ぎたことをクヨクヨしがちで、先のことを考えがちなバイアスを餅がちな私たちだからこそ、そうでない制御をしよう(したい)という六角精二の言葉が心に残ります。

 先を考えても・考えなくても、時間の進む方向が前である限り、どちらにしても前へ進む毎日が続きます。

「考えろ。”先”を考えろ、”前”へ動け」






2011-09-13[n年前へ]

「自分が何かする」ための十分条件 

 9月13日の「n年前へ」から。

 ぼくが恰好悪いと感じるだけで、「作る」理由としては十分じゃないですか。

2011-09-12[n年前へ]

「1%の才能」と「99%の努力」 

 9月12日の「n年前へ」から。「1%の才能と99%の努力」という言葉を、さまざまな方向から眺めてみたくなる、こんな言葉。

 …1%の才能と99%の努力から成る、といわれる。その、1%の才能こそが、99%の努力を支えるのであって、ベルモット抜きのドライマティーニがありえないように、ほんの微(かす)かな才能の香りすら見いだせなかったら、努力のきっかけもまた得られないではないか。1%が重要なのだ。

2011-09-10[n年前へ]

「元気」と「現金」があれば何でもできる 

 昼過ぎ、小高い港の見える丘を降り、横浜赤レンガ倉庫の前を通ると、青空の下、海と赤レンガに囲まれた広場でタイ・フェスティバルをやっていました。

 ビア・シン片手に(師匠と若リーダーというシチュエーションの)ムエタイの試合にハラハラしたり・楽しんだりしながらステージにかぶりつきつつ、最後に、愛すべきエンターテイメントなムエタイ勝者の「お言葉」を聞きました。

「元気があればぁ、何でもできるぅ〜!」
「現金があればぁ、何でもぉ買えるっ〜」
「いちぃ、にぃ、さぁぁぁん、だぁぁぁ〜」

 夏の終わりの空の下、「現金があればぁ〜、現金があればぁ〜、何でもぉ買えるっ〜」という言葉を聴きつつ、右手を空へ・上へと突き上げます。

 タイ・フェスティバル@横浜赤レンガ倉庫 は9/11(日)の20時まで開催されています。その近くにある横浜美術館や日本郵船海岸通倉庫では現代アートの展示フェスティバルも行われていたりします。明日(9/11)は、横浜を散策し、少し歩いてはつまみ食い・飲みをし、そして空を見上げる一日にしてみるのも、少し良いかもしれません。

 (横浜を舞台にした「コクリコ坂から」のキャッチ・コピーを「上を向いて歩こう」にしたことについて)前向きに歩いていくのはしんどい時代、けれど、後ろ向きもイヤ。それなら、上だ!ということです。みんなが下を向いている時代だし、上を向くのも良いと思う。

「元気」と「現金」があれば何でもできる「元気」と「現金」があれば何でもできる「元気」と「現金」があれば何でもできる






2011-09-09[n年前へ]

「わからないこと」を説明できるなら「(多くの場合)その問題は解決できる」 

Title 「男女の産み分け」と「東大生のアレやコレ」ようやく納得「ヒューリスティクス」 、「心配事があっても、大丈夫ですよ」、ハインツのケチャップの粘性のナゾ?簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」…といった、一見するとてんでバラバラにも見える9月9日の「今日」書かれた記事を集めた「n年前へ」から。

Title   読みながら、「わからないことは何なのか?」がちゃんとわかれば、つまり、「求めたいものを他の言葉で説明すること」ができさえすれば、問題を解くことは(多くの場合)できるのかもしれない、と思ったのです。

G.ポリア著「いかにして問題をとくか」

2011-08-25[n年前へ]

島田紳助さんの「言葉(ことば)」 

 「これはいいなぁ」と思った言葉を見るたびに、手帳にいつも書き写しています。今日は、手帳の頁(頁)をめくり、島田紳助さんの言葉を眺め・書き写してみました。(書き写す際に、自分の言葉に置き換えていたりするので、オリジナルの言葉とはきっと違うと思います)

誰かに"ちょっと"負けているなあ…と思った時は、
本当は、"だいぶ"負けている。
お笑いは、ロック・クライミングだ。
右手で、今の仕事を掴(つか)みつつ、
(もう片方の)左手で、次にやりたいことを探せ。
同じ道を往復すると、単調でつまらない。
だから、帰り道は行き(それまで)とは違う道で帰る。
それと同じく、生きる時も、今までと違う生き方をする。

2011-08-24[n年前へ]

「視野を狭くせず、さらに、総合的に捉える視点」 

 加藤陽子さんに話を聞く「池上彰の「学問のススメ」」”なぜ現場任せで、トップマネジメントが機能しなくなるのか?”を読みました。

 なぜ戦争に負けたのか、なぜ原発は事故を起こしたのか、という点について、「庶民」とは反対側、「トップマネジメント」に焦点をあてて考えていきたいと思います。
 加藤陽子先生の歴史を「その時の状況に沿って考え・整理し直す」やり方は、とてもわかりやすく・新鮮で・面白い。池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

 対談中に登場する「戦時中のロジスティクス」という言葉で連想した、日本における日露戦争時の「ロジスティクス」や「経済・外貨問題」に関する言葉を、今日もう一度書き留め直しておきます。

 秋山真之と児玉源太郎に共通する特徴として、戦場の戦闘行為だけに目を奪われないということがあります。秋山は、ロジスティックス、つまり戦争の支援業務が重要だと言っていますが、児玉はもっと広くて、戦争を総合的にとらえる視点を持っていました。たとえば、戦費調達のための外債公募が上手く行くようにと、日露戦争の緒戦(初めの頃の戦い)で目立つ戦果を上げるべく作戦を考えている…。

秋山真之と児玉源太郎

 そう、後ろを支える大動脈・大静脈であるロジスティクスはとても重要で・欠かすことができない、そして、実はもっとも大切な黒子です。

 池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

2011-08-18[n年前へ]

「次から次へと階段は続く。」 

 BE-PAL (ビーパル) 2011年 09月号 「八十八カ所巡礼 四国お遍路バックパッキングの旅」中で引用されていた空海「秘蔵宝鑰」 から。

 人の心は前進もするし後退もする。心は常に動くのだから、急いで安住の地を見つけるのは正しくない。ひとつ段階を経てさらに深く考えれば、次から次へと階段は続く。

2011-08-16[n年前へ]

2011年夏に、人々が眺める「送り火」を見る 

 8月16日の日暮れ過ぎ、時計の針が19時30分を回る頃、街の灯りと夜空を見渡すことができる場所に行きます。なぜかと言えば、20時過ぎから、(日本の古い街のひとつ)京都の街を囲み照らす「送り火」を眺めることができるからです。

 下の写真に映っているのは、左京区浄土寺の「大文字」に次いで、点灯された松ヶ崎西山・東山の「妙法」が京都の街を照らし始めた頃、朱色の送り火を見つめる人たちです。夜の地平線を眺めている人たちは、眼下に広がる街灯りや山肌に燃えさかる文字を眺めています。

 「送り火に込められた想い」を直接見ることはできません。…直接見ることができないからこそ、送り火を眺める人たちを見れば、「送り火を眺める人たち」通して送り火を間接的に眺めれば、「送り火に込められた想い」を実感する・感じることができるように思われます。

 直接見ることができないものは、たくさんあります。…実際のところ、私達が直接目にすることができるものを数え上げてみれば…それはとても数少ないような気もします。直接見ることができないものは、私達は間接的にしか眺めることができません。けれど、間接的に眺めるのだからこそ、「見えないけれど確かなもの」を感じることができるにも思われます。

 今日見た景色は、2011年の夏、「送り火」を見つめる人々です。

2011年夏の「送り火」