2013-02-01[n年前へ]
■人が豊かに・幸せになる「仕組み」
「ある価値観にもとづいて評価関数を作り、その評価関数でフィードバック・システム設計(制度設計)をすれば、そのシステムはそれに応じて姿を変貌する…という話は巷にあふれている」というのが「組織と制度設計」(「組み込み技術者の単身赴任日記」)だ。
経済学の先生たちに話を聴きに行っていた時、どの先生も同じようなことを言っていた。そして、ほとんどの先生が、「どんなシステム設計をすれば、人が豊かになることができるか・幸せになることができるのかを考えるかを考えることが経済学だ」と言っていた。(参考:「人々が豊かになる仕組み」)
経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えることだ。
大竹文雄 「こんなに使える経済学」
システムといっても、明文(成文)化したものもあれば、そうでない不文律もある。明文化され・作られた「システムに組み込まれた仕組み」もあれば、なぜかシステムが持っている(明文化)されていない「仕組み」もある。
彼ら(本田技研)は会社所有のジェットヘリで自社員の捜索を行った。驚くべき事は、そのような捜索活動が不文律のもとに行われたということである。そのような文化・態度が彼らの中にあるということである。
いまだ下山せず!
そんなことを連想しながら、ロードレースの不文律・野球の不文律を読んでみると、これがまた面白い。…たぶん、こんな不文律はシステムが続いてくるために必要だったのだろう、と思う。
他に連想することとして、何かを最適化しようとするとき、評価関数で縛り過ぎると、多くの場合(全体としての)最適解に行き着くことができずに・局所解に陥ってしまうことが多い、ということがある。「最適化」はほとんどすべての場合、局所解にしか向かわない。局所解というのは、たぶん長続きしない存在である。
2013-01-21[n年前へ]
2013-01-10[n年前へ]
■「リアルな視界」と「アンリアルなママゴト」
「n年前へ」から。
(下を見下ろすと恐怖で下半身が溶けそうな心地になる)白馬ジャンプ台のコースに入った雪をかき・溝を奇麗に整えようとしている人がいます。そんな人に「スキーのジャンプをされたことはありますか?」と訊ねれば、空中から下界を眺めるような笑顔で、「私もノルディック複合の全日本代表でしたから」とその人は笑うのです。リアル。
「できませんよね」と聞き返すと、「だから『~を図る、めざす』と書くんです」という返事がされたりします。それが「言葉遊び」をしているつもりではなく、「使い分けできてる」つもりだから怖い。ママゴトだと気づかず、そんな想像上のママゴトを真剣にしているさまは…確かに怖い。
我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。「経済の機能」だけでなく、「富の創造過程における自らの役割」という言葉が印象的だ。
2013-01-04[n年前へ]
■温泉も星座も「昔の名前で出ています」
山梨県石和温泉の一角にある露天風呂で、夕暮れ時に本を読んでいると中学生くらいの2人連れが入ってきて話してる。
「ミュージカルビデオを観たよ。面白かった。家政婦が家に来て歌を教えるやつ」
…それじゃ「家政婦のミタ」か「家政婦は見た」になっちゃうよ。家に来たのは家政婦でなくて家庭教師だよね?と心の中でツッコむ。
中学生たちが露天風呂から上がると、次は年配の2人がやってきた。今度の話題は年金と退職金の受け取りについてのようだ。浴場で他の人たちの話を横から聞くのが好きだから、耳をダンボにしつつ本を読む。
他に人も居なくて、暗くて本も読めない数時間後、露天風呂で空を見上げると、流れ星が見えた。今はしぶんぎ座流星群の時期らしい。
しぶんぎ座と言われても、今はそういう名前の星座はない(ことになっている)。まるで町村合併で名前が消えたり・変わったりする地名のように、星座も星座消滅や合併があるようだ。
しぶんぎ座流星群という名は、かつてこの放射点付近にラランドがしぶんぎ座(四分儀座)という星座を設定していた名残である。しぶんぎ座は1928年に廃止されたが、しぶんぎ座流星群の名前は現在でも使われている。
そういえば、石和温泉がある町の名も、何年か前までは石和町だったが、2004年に町村合併で石和町はなくなって、今は笛吹市という名前になっている。流星群も温泉街も、今も昔の名前で出ているようだ。
温泉や銭湯で、周りの人たちが交わす世間話を聴きながら湯に浸かっているのは、とても心地良い。
2013-01-03[n年前へ]
■「センス(自然の感覚)」と「ミューズ(美の女神)」
安野光雅「絵のある人生ー見る楽しみ、描く喜び」から、(安野光雅の他著作で)何度か読んだことがある数節。
群像を描く場合、赤い服の向こうにまた赤い服が着て重なると上手くない。また、…右に赤い服を着た人を描くと、なぜか左の方にも赤い服を着た人を配して画面の色彩的なバランスをとりたくなったりします。このバランス感覚は、…頼るのは自分のセンスです。それは…、瞬時に頭をよぎる感覚です。
鴎外はそんな不思議な感覚(直感)について「自分の中にもう1人の自分がいて、その人が自分を操作している、自分は舞台で踊らされている人形に過ぎないと思うことがある」という意味のことを書いています。
以前、アメリカのクヌースという数学者と…話したことがあります。そのとき「頭の中の指揮者」について話したところ「それがミューズ*だよ」と言いました。「(クヌースがこの直前に書いた論文に対して)論文も、ひとたび書きはじめると後は、こころの中にいるらしい、指揮者の命令のままに書いていたような気がする」という意味のことを言っておられました。そういえば数学者の遠山啓も「数学教育の目的は直感を育てることにある」と言っておられました。
ミューズ(Muse)は芸術や学問などをつかさどるギリシャ神話の女神たちです。音楽(Music)に耳を傾けるとき、美術館・博物館(Musiam)を歩き・何かを眺める時、人を楽しませ・楽しむとき(muse)、体の中にはきっとミューズが入ってきて、それと同じように、何かを作っている時ミューズが自分の中に訪れてくれたなら…と願います。
2012-12-23[n年前へ]
■「ワイブル分布」や「事前情報ジャンケン」や「青春」と「作業服」
「最近のつぶやき」から。
「事前情報付きジャンケン」現象解析にハマってる。「事前情報付き」ジャンケンというのは、こんなジャンケンだ。深読みした方がいいのか、何も読まない方が良いのか…あなたなら、事前情報付きジャンケンの戦略は、一体どういう作戦をとるでしょう?
「いいか!俺はこれからチョキを出す!」
「いくぞ!じゃん、けん、っぽいっ!」
…バリエーションはたくさんあり「上司が迫る事前情報付きジャンケン」「妻が夫に言う事前情報付き”あなたが何を出すか、私一生忘れないからね”ジャンケン」「お得意先が接待ゴルフで言う事前情報付き"接待"ジャンケン」
…さぁ、どうする?「チョキを出す!」という事前情報付きジャンケン…あなたならグー・チョキ・パー何を出す?
ある破壊試験をした。○×回の実験から、(破壊が生じるまでの回数の)ワイブル分布を推定してみると、こんな感じのグラフになった。これは、(いわゆる破壊現象に対して用いられる)ワイブル分布を使い、「○×△」の破壊までの過程を予測したものです。横軸が(ある種の)時間で、縦軸が(その瞬間までに)破壊が生じる確率(0-1つまり0から100%)なので、(横軸)600~800あたりで破壊に至るだろう…という結果になっています。けれど、予備実験回数が少なかったので、外れがちな地震予知よりさらに信頼性の低い「予測」でした。
で、本番実験では…(確か)800~1000辺りで「破壊」が起きました。予想が外れた迷惑を被(こうむ)ったのは、いとうあさこさんとスギちゃんでした。
12月上旬の2週間、「(自分と違い)地に足着けて働く職人さん」にたくさん会った。その人たちの格好良さと言ったら、本当に絶品だった。ビル解体・道路建築・ダム土台作成・橋ビル作成・金属部品作成…作業服を着るたくさんの人たちに会った。その作業服の格好良さは絶品で、その方が語る「特殊機械」の操作法は、実に面白く・心底カッコ良かった。
…そうタイプするこの瞬間「地に足着いた」って何だろう?と考える。瞬間的に思うことは、ひとつは継続可能ということで、ひとつは技術があるということで、ひとつは(その何かに)確かに金を出す人がいるということだ。
…そうか「いい男」になりたかったら、「職人」になるのが一番なのかもしれない。
タイのアイドル映画 ”Dear Galileo” の中国語タイトルを見ると「旅逃愉快」だった。あの映画は、確かに「旅逃愉快」という感じの内容だった。ある種「逃避行」という感じの旅で、「愉快」とは言えない思いを抱えた「旅」で、けれど、それを思い返してみれば「旅」で「愉快」で…と感じさせるものが「青春」と名付けられた映画なのかもしれません。
アイドル映画は、その瞬間の空気が詰まっていて、新鮮に楽しく・時に切なく・若さという名前の力が溢れてて、それが青春映画で、そしてそれこそが映画なんだと思う
2012-12-21[n年前へ]
■「おろか者たち」になるヒント
「中学生までに読んでおきたい哲学 4巻 ~ おろか者たち 」を読んでみたくなる一節。
「おろか者たち」という巻の目次を作っているときのことです。以下の4編を並べて1ブロックにしました。自分の得意なところで生きればという松田道雄さんの「だめな人間なんていない」、遅刻は悪くないという梅棹忠夫さんの「遅刻論」、目的地にまっしぐらではなく・遊び迷いながら行く方がいいという森毅さんの「やさしさの時代に」、みんな一緒にではなくという河合隼雄さんの「”明るく元気に”病」です。
その時、この4人が、かつての「京都学派」だと気がつきました。(中略)…京大には自由奔放・融通無碍な気風があると言われてきましたが、4人の型にはまらない考え方には共通するものがありそうです。
松田哲夫の本とコンピュータのある暮らし 第16回
型にはまった、さながら金型に高圧注入され・量産されていくプラモデルみたいにならないように、中学生に戻った気持ちになって「おろか者たち」になるヒントを読んでみたくなる。
2012-12-19[n年前へ]
■サンタが街にやってくる
イルミネーションが街を飾り出すこの季節は、やはりサンタのことを考えたく鳴りますね(サンタが街にやってくる、数式とグラフも多い2001年版)
こうして…サンタが街にやってきます。ひとりのこどもが世界のどこかで生まれた瞬間に、どこかのこどもがサンタへと姿を変えていきます。
…そして、自分の姿を変えさせたこどもを見た時、「本当にサンタがいた」ということに気づくのです。
(すやすやと眠る)こどもに贈り物を届けたいと願う”存在”を蒸留したもの」こそがサンタクロースという名前で呼ばれる存在であって、そんな存在が確かに(小さかった頃の)自分の前にもかつて居て、時を経て、自分の目の前やその先にもいるのだろう。
「こどもに贈り物を届けたいと願う”存在”を蒸留したもの」こそサンタという存在だ
2012-12-12[n年前へ]
■「人事」を「人妻」に変えると面白い
最近のつぶやきから。
「人事」という字は「人妻」と似てる。人事という語句が入ってる言葉を人妻と入れ替えてみると面白い。たとえば、… 人妻を尽くして天命を待つ。
「人事」を「人妻」に変えると面白い
次々と生まれている「人事を人妻に変えると面白いフレーズ」を眺めてみると、やはりなかなか奥深い言葉が並んでいます。
「人事」が(自然に対して)人間に関することがらや人間としてなし得るまたはなすべきこと」といった意味ならば、そんな語句を含むフレーズを「人妻」に置換したものはやはり「深~い」ものなのかもしれません。
2012-12-05[n年前へ]
■『こどもに贈り物を届けたいという願いを蒸留したものがサンタという存在だ』
「n年前へ」から。
Q: 調べていて,意外な結論が導きだされたりすることはあるのですか?
A: いいえ、結論(オチ)まで考えてから実際の計算や 実験に取りかかるので,意外な答えに至ることはありません。ただ、一回だけ、「意外な答え」に気づき、驚いたことがあります。それは、「サンタが街にやってくる」という話です.
月刊化学
ちょうど10年前のこと、無味乾燥な数式をノートに書いているうちに気づいたことは…その数式の意味として気づかされたことは、「(眠る)こどもに贈り物を届けたいと切なく願う”存在”を蒸留したもの」こそがサンタクロースという名前の存在であって、そんな存在が確かに(小さかった頃の)自分の前にもかつて居て、時を経て、自分の目の前・その先にもいるのだろう、ということでした。
「こどもに贈り物を届けたいと願う”存在”を蒸留したもの」こそサンタという存在だ
こうして…サンタが街にやってきます。ひとりのこどもが世界のどこかに現れたとき、どこかのこどもがサンタに変わります。むかしこどもだったサンタが、眠るこどもたちの寝顔を眺め、夢を見ているこどもたちを起こさないように…そっとプレゼントを置くのです。
新たにこの世界に生まれて来たこどもの声を聞き、小さな頃いつもプレゼントが届けられていたという(かつての)こどもが、サンタなんか来たことがないという(かつての)こどもも、みなサンタへと姿を変えていきます。そして、自分の姿を変えさせたこどもを見た瞬間、「本当にサンタがいた」ということに気づくのです。
サンタが街にやってくる。(2011)