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2012-11-29[n年前へ]

「見えないもの」とか「前へ進め」 

 「コピーのぜんぶ―仲畑貴志全コピー集 」から。

夢とか、決意とか、見えないものも乗せている。

JR北九州
進むのだ、もっと前へ。いや本音を言うと、自分は今、前へ進んでいるのか、それとも後退しているのか、わからなくなることがある。

BIG JOHN
希望とか、失意とか、見えないものも乗せている。

JR北九州
赤い情熱の赤って、
どんな赤をしてるんだろう。
黄色い歓声の黄色って、 どんな黄色をしてるんだろう。


ソニー
愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。

JR北九州

2012-11-26[n年前へ]

「食パンの耳」を「へたぱん」と呼ぶ理由 

 「n年前へ」から。

 パンの両端の部分、いわゆる「パンの耳」だけの部分にはちゃんと名前がついています。といっても、きっと地方によって違うとは思いますが、京都辺りでは、それをヘタパンと呼んでいました。
 …「ヘタパン」の「ヘタ」は、「茄子のへた」に違いなかったのです。それは、「はしっこ」とか「へり」を意味する「辺(へた)」を語源にしていたに違いない、とようやく気づいたのです。

「ヘタパン(パンの耳”だけ”)」の語源を探ろう!?

2012-11-25[n年前へ]

大阪「心斎橋」近くにある「ケーニヒスベルグの橋」問題 

 「n年前へ」から。

 たとえば、大阪の心斎橋近くも、昔はいくつもの川が流れていたのに、今では、それらの川が流れていた場所には道路が建設されて、そして、その上を車が走っていたりします。
 そんな心斎橋近く、「浪華二十八橋智慧渡」の町並みを実際に歩いてみたいと思っています。「浪華二十八橋智慧渡」というのは、江戸時代 水野忠邦が老中だった頃に出された和算書「算元算法」の中に書かれている数学の問題で、つまりは、日本版「ケーニヒスベルグの橋」問題です。心斎橋近くにかかる二十八の橋すべてを一筆書き状に渡ることができるか?という問題です。

2012-11-16[n年前へ]

「解説」という「プラスαの物語」 

 from 「n年前へ

 解説というものが好きだ。それは、過剰な深読みであることも多いし、解説者という翻訳者を通した「別物」であることもあるかもしれない。けれど、何らかの価値がプラスアルファされる限りにおいて、言い換えれば何らかの別視点・深みを感じさせてくれる限りにおいて、大元のテキストだけでなく、解説を読むことはとても楽しい。

2012-11-15[n年前へ]

「ピカルの定理」と「ピカールの定理」」 

 「ピカルの定理」と「ピカールの定理」(Fallen Physicist, Rising Engineer )

 (TV番組)「ピカルの定理」このタイトルのもとになったのがピカールの定理だと思うのだが、公式には否定されている。
 ピカールの定理には大定理と小定理があり、(基本となる)ピカールの大定理は「f(z)がD*で正則、z0が真性特異点なら、f(z)は高々1つの値を除いて他のすべての点を無限回とる」というもの。
 …示唆的だな。「"高々一つの役を除いては”どんなコントの役もできる可能性がある芸人さんががそろっている!」ということを示しているのか!

2012-11-08[n年前へ]

「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造」 

 「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造(1)

 眼鏡をかけた少女のことを「眼鏡っ娘」という。ときどき「少女マンガでは眼鏡っ娘が眼鏡をはずすと美人になる」などと言われる。たとえば、中島梓はこう言っている。「「眼鏡をとったら君も美人」は少女マンガにとってはいまだに有効な呪文であります」。大ウソである。私は古今のマンガに描かれた眼鏡っ娘を1,041人調べたが、そのうち眼鏡を外して美人になるのは130人。率にすれば12.5%であり…
 「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造(4) <おとな>と眼鏡
 つまり、眼鏡は容貌に問題があるという記号ではなく、当初は<おとな>の記号だった。そして、60年代には「子ども/おとな」という厳密な二項対立コードが成立しており、<おとな>の記号としての眼鏡は「脱-恋愛」的存在であることを意味していた。
 しかし、1970年頃に<子ども>と<おとな>の境界線が消失し、<おとな>の権威が失墜する。そして<おとな>の失墜は、<おとな>のシンボルとしての眼鏡にとっては厳しい逆風となった。<おとな>になるという目的が存在した時代には、眼鏡は<おとな>のシンボルでもあったから権威を保ち得た。
 眼鏡をかけた少女は権威ある<おとな>を想起させ、ステータスを保った。しかし、<おとな>という目的を喪失し、<恋愛>が自己目的化したとき、非-恋愛のシンボルとしての眼鏡は「<恋愛>からの脱落」を意味するシンボルへと容易にすり替わってしまった。そして、ついに眼鏡が負の記号となった。
 現実的に眼鏡をかけている女性がブスだったから「眼鏡=ブス」というイメージができあがったのではない。<おとな>の消失に伴う価値観の転回により、「眼鏡=ブス」という図式が70年頃に成立したのである。

2012-11-07[n年前へ]

「新しい問題への扉を開く」良い問題 

 「問いと答え」から。

 良い問題というのは、それに答えを出すことで、 多くの新しい問題への扉を開くような問題じゃないかなと思う。
 …どんどん先へ進んでゆく問いと答えの連鎖を旅するのが目的だと わかってると、より楽しいんじゃないかと思う。

 村上春樹の「僕は小説というものは、ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業であると、基本的には考えている」という言葉を連想しました(「村上春樹全作品 1990~2000 第3巻 短編集II 」)。私たちが人生の中で、何かしらの納得をしたい・疑問に対して答えて欲しい…と思うとき、そんなものの一例を与える「物語」というものを連想します。

2012-11-06[n年前へ]

「コーラ」と「オカン」と「オッパイ」の科学 

 「n 年前へ」から。『Mathematica版「おっぱい(曲面)方程式」で「あなた好みのおっぱい」を作る!?』『「コーラの科学」と「ナニワのオカン」』『いろんな形・いびつな形の野球場

 ピッツバーグ・パイレーツのホームグラウンドの変遷を眺めてみると、1909-1970年までのForbes Fieldも、2001年以降使われているPNC Parkも左右非対称だ。Forbes Fieldは、左右非対称どころか、実にいびつな形をしていて、見ていて楽しくなる。
 こういう野球場のいびつな形は、そのチームの特徴を生んで・あるいはチームの特徴に沿っている、と聞く。それが、また面白い。

2012-11-02[n年前へ]

西郷隆盛という「制御器」 

 勝海舟の「氷川清話」を読み返していると、西郷隆盛という「制御器」が後に選ぶことになる道が必然にも見えてくる。ここで言う制御器は、「他者を信じるときは信じられないほど大胆に任せきり、そして他者を自身を介して増幅する時は大誠意(無限大の制御幅で忠実)に働く」という回路である。

 坂本龍馬が、かつて俺(勝海舟)に「先生(勝海舟)が頻繁に西郷(隆盛)を賞賛するから、会いに行ってくるので紹介状を書け」というから、書いてやった。
 その後、坂本(龍馬)が薩摩から帰って言うには、「なるほど、西郷(隆盛)というヤツは”わからぬヤツ”だ。少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く。もしもバカなら大きなバカで、けれど利口なら大きな利口だろう」と言ったが、坂本もなかなか人を見る目がある奴だ。
 西郷に(自分も含めて誰もが)及ぶことができないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ。

2012-10-27[n年前へ]

「保守とは何か」 

 TV画面の中で、河野洋平が「保守とは何か」を語っていました。『どうありたいという目標や理想がどういうものかではなく、現状と目標値へ向かう動き方・制御する量を中庸にすることが、理想へと向かう動き方を安定に保つことを念頭に置くのが”保守”というものだ」というような内容の言葉を聞き、そんな整理の仕方が少し腑に落ちました。

 なるほど、「理想・目標」がどんな場所・姿であるかに関わらず、そこへ速く動こうとするのが「急進派」であって「保守」でなく、「非保守」が非保守たる所以は「どうしたい」という内容ではなくて、今ある場所への反発力なのだ…と言われると、何だか少し納得できることが多いような気がしたのです。