■明日、春が来たら
風の中の瞳
昨日、海辺を歩いた。車は海沿いの堤防の上に停めた。堤防の上に留めた車の揺れが止まらない程、強い風が吹いていた。もう三月も終わりなので、春一番というわけではないだろう。それでも、もう春なのだなぁ、と強く感じさせる。
ところで、この海辺からは富士山がよく見える。富士山レーダーもよく見える。この海辺ももちろん見通しは良いのだが、「見通せる範囲」を言うなら、富士山レーダーの方がずっと広い。遠くを見通すのがレーダーの使命なのだから、当たり前の話だ。そして、富士山の山頂から、遙か遠くまで見通し続けたのが、富士山レーダーである。
今日、NHKの「挑戦者たち」でその建設をした人達が紹介されていた。富士山レーダーを作る指揮をし、情熱を傾けていたのが当時、気象庁観測部補佐官だった藤原寛人、すなわち、新田次郎であるとは知らなかった。新田次郎が富士山の山頂に行きたいから気象庁に入ったというのは、知っていたが、富士山レーダー建設の指揮をしていたとは知らなかった。とても面白く、そして何故か納得する話だ。
息子の藤原正彦もそうだが、新田次郎の書く文章には「冷静に見通す力」と「情熱」が同居している。時々、新技術を考えていると、彼らのような、未来すなわち明日を「見通す力」と「それを手に入れる情熱」が欲しい、とつくづく思う。