2014-05-05[n年前へ]
■[今日見た景色] オート3輪が排気ガスをまき散らす街で
朝、5時半に起きると、街に漂う霞みが朝焼けの赤色におぼろげに美しく染まっています。昼間にバンコクの街で自転車を漕いでると排気ガスがとても煙いけれど、朝はそれでも心地良い感じです。…というわけで、『オート3輪が排気ガスをまき散らしてた「あの時代」の夕焼けを眺めてみよう』を書いてみました。
早朝、自転車を漕ぎながら考えました。最近、バンコクに来る時は、いつも同じアパートメントホテルに泊まり、輪行してきた自転車に乗る早朝サイクリングから始まる(いつも同じような)24時間を過ごしています。…そのマンネリがなぜ生じているのかと考えてみると、心地良い”ある程度の最適解”に辿り着いてしまったからかもしれない…などと考えます。
そして、ペダルを足で回しつつ考えます。「これはマズイかも、それってよくある局所最適解に陥った、鍋の中で茹でられているカエル君だよね」「もっと、色んなことにトライして苦労しないとマズイよね」
あれ?そもそも「自分がしていたいことや目的」って一体何だったのだろう?と考えます。自分の気持ちを探ってみると、「局所最適解」に辿り着きたいわけではないような気もするし、「最適解」に辿り着くための「手段」がいつの間にか目的に成り代わってしまったかのごとく「色んなことをしてみたい」気持ちが強いような気もします。…けれど、一体それは何故なのだろう?と考えます。
バンコクの街を朝6時に自転車のペダルを漕ぎながら、「もしかしたら…」と考えます。いつまでも続く「最適解」なんて存在しえないとか・保証できないとか、そんなことを思っていて、そんな時にも「可能性」を最大限に高めたいと思っていて、だから「色んなことをしてみたい」「色んなことができるようにしておきたい」と感じているのかも、最悪時の可能性をMaxにしたくて、「色んなことをしてみたい」気持ちが強い」のかもしれない…と思います。