2012-10-02[n年前へ]
■旅がぼくらを連れて行く
山口香子さんが書く、読売新聞「ちきゅう 時の散歩~ジョン・スタインベック in サリナス」を読む。
「私は、自分の国を知らない」−。「怒りの葡萄」や「エデンの東」で知られる米国の作家ジョン・スタインベックはこう宣言して、1960年秋、米国一周の旅に出た。
スタインベックは、これに愛犬チャーリーを乗せ…約1万6000kmを1人で運転した。旅の体験は、「チャーリーとの旅ーアメリカを探して」と題した旅行記になった。…58才の作家は、途方に暮れて旅を終えたように見える。
だが、「チャーリーとの旅」は読み継がれているし、ロシナンテ号を見に訪れる人は後を絶たない。「我々は旅をするのではない。旅が我々を連れて行くのだ」とスタインベックは書いている。
ふと「青春18きっぷは定義式」を連想する。
すると、これは「ルートをとると、どんなaも、それら全ては18になる」という定義だ。もっと素直に言い換えれば、それはコピーそのままの「旅路(ルート)の中では、人は誰でも18(age)になる」である。そういう処理を行わせるものこそが「旅路(ルート)」というものなんだ、と高らかに定義・宣言する式である
青春18きっぷのポスターに書かれた小さな式は「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが人の根底にあるものなんだ」という言葉だと勝手に想像してみるのだって面白いはずだ。
ぼくらをどこかに連れて行く旅路(ルート)は、ぼくらの根底(ルート)にあるものを浮かび上がらせて、そしてぼくらをとこかへ連れて行くのだ。
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