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2007-07-16[n年前へ]

創造性とミューズ  share on Tumblr 

 世界は限りなく広い。けれど、それと同時に、そんな世界はとても狭い、と感じる瞬間があるのも事実だ。どんなに長く生きていても、地球の上にいる99.999…%の人には一度も会うことはない。けれど、意外なところで、よく知っている名前や顔と再開することがある。

 画像処理のプログラムを作るために古今東西の絵画のテキストを読んでいる時に、こんな一節に出会った。

 以前クヌースというアメリカの数学者と話したとき、「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく…」森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭の中にいて…などと書いていますが、それはこういうことだったか…」とわたしは言いました。

安野光雅 「絵の教室
 クヌース「という」アメリカの数学者と話したとき、である。(理系であれば知らない人はいないだろう)「ドナルド・クヌースと話した時」ではなく、つまりは「読者はしらないだろうが、あるアメリカの数学者と話したとき」だ。

 画像処理アルゴリズムを考えるために、絵画の本を読む。そして、ドナルド・クヌースに出会う。こういった巨人を見ると、世界が実に小さなものに見える。それは、一種の錯覚のであるとも思う。けれど、こうした巨人が世界を繋ぐ高速道路の役割を果たしているのも、また一面の真実であるとも思う。

 森鴎外や安野光雅や口にした「頭の中にいる誰か」「感性や自分を支配するもの」の名前を、クヌースというアメリカの数学者は口にする。
 はじめ、原因不明のふとした着想から考えを進めるのだが、すると、ひとりでに論証の車がまわりはじめて、論文が楽にできあがる。…思うに背後にいるのは、ミューズだよ。

ドナルド・クヌース
 クヌースが言葉にした「頭の中にいる誰か」は、ギリシャ神話で芸術を司る9人の女神"ミューズ"である。私たちの頭の中で9人のミューズたちが踊り、絵画や文芸や論文やプログラムを作らせる。何だか、とても面白い。

2010-01-23[n年前へ]

「右の頬を打たれたら、左の頬を…」に隠された意外な秘密  (初出:2006年08月01日頃)  share on Tumblr 

 見慣れた景色や言葉の中にも、何か心に引っかかる謎が潜んでいることは多いものです。そして、その謎に隠された秘密を解き明かそうとすると、「さらに奥にある部屋への鍵」を手渡される、ということも多いものです。

 最近、私が見たそんな「謎」は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい "But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also."」という言葉です。新約聖書マタイ伝の中に書かれているイエス・キリストの言葉です。この言葉を聞いた人が書いた、「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることになるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の90%くらいの人が右利きだということを考えると、ぶたれる頬は「左頬」が自然です。相手から「右頬」を打たれる、というのは何だか不自然です…?

 そこで、Wikipedia の"Turn the other cheek"の項や、「右頬を…」という言葉を解説した文章を読んでみると、とても興味深い(もっとも支持されている)説を知りました。それは、この言葉で勝たれているのが、「右手の甲で相手の右頬を打つ」という状況だった、ということです。確かに、右手の甲で相手の顔を払うように打つのであれば、(頬をぶたれる側からすれば)右頬が打たれることになります。そして、古代のユダヤ世界では、「手の甲で相手の頬をたたく」ということは、非常に相手を侮辱する行為で、自分より「階級・地位」が下である者に対してのみ行うことが許されていた、というのです。また、当時は左手は「悪い」側の手とみなされていて、自分の主張などを行う際には使うことができませんでした。だから、「右手の甲で相手の頬を打つ」というのは、「自分より地位が下のものを、侮辱しつつ叱責する」という目的で「ごく自然に行われていた」行為であった、というわけです。

 なるほど、だとすると、「最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問は氷解します。…だとすると、今度は次の疑問が湧いてきます。「さらに奥にある疑問」が浮かんでくるはずです。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という言葉は、一体どんなことを言わんとしてるのでしょうか?

 「左の頬を向けられ」たら、(右頬を打った)相手はどうするでしょう?左手は使えませんから、左の手の甲で「左頬」を打つことはできません。だとすると、右手の掌で相手の左頬を打つことになります。…しかし、(自分より相手の地位が下だとみなす行為である)手の甲で相手を打つのではなく、「掌で相手を打つ」ということは、相手を自分と対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、「自分と同等の人間である」と認める行為になってしまうわけです。(頬を打った側の人は)大きなジレンマを抱えてしまうことになるのです。

 つまり、この言葉は、単なる「相手の暴力・差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味ではなく、「暴力は使わず、根本の意味におけるより強い抵抗を示せ」という言葉であった、というわけです。

 この新約聖書マタイ伝に書かれている「右の頬を打たれたら・・・」という言葉は、旧約聖書の「目には目を、歯には歯を。手には手を、火傷には火傷を、打ち傷には打ち傷を」 という言葉と対比されることが多いために、私はこれまで単なる「無抵抗主義を示す言葉」だと思っていたわけです。しかし、実はそうではなかった…ということがとても面白く、興味深く感じたのです。

 きっと、解き明かされたこの答えからも「さらに奥にある謎・秘密」が続いているのでしょう。そしてまた、この「右頬を打たれたら…」の謎と同じように、他にも何か心に引っかかる謎が日常には潜んでいそうです。今日は、そして明日には、一体どんな謎に出会うのでしょうか…?

2013-04-09[n年前へ]

「左右の順位にまつわる歴史的理由」と「右の頬を打たれたら左の…の本当の意味」  share on Tumblr 

 「左右の順位にまつわる歴史的理由」と「右の頬を打たれたら左の…の本当の意味」を書きました。(参考:「右の頬を打たれたら、左の頬を…」に隠された意外な秘密  (初出:2006年08月01日頃)

 あたりまえのような言葉や作法も、それらが生まれた理由や経緯を知ると、そして、それらの意味を深掘りしてみると、とても面白く・興味深い内容だったりします。今回は、「左右の順位にまつわる歴史的理由」を振り返り、「右の頬を打たれたら左の…の本当の意味」を考えてみました。

2014-05-23[n年前へ]

「オボった画像」で「自然なレイアウトの基本」を覚えておこう!?  share on Tumblr 

 「オボった画像」で「自然なレイアウトの基本」を覚えておこう!?を書きました。

 このスライドは、何年も前から使ってきたスライドなのですが、実はこのスライドには、少なくともひとつは明らかな「偽造」が行われています。つまり、「オボった箇所」があるのです。さて、一体どこに「偽造」が行われているかわかるでしょうか?

「オボった画像」で「自然なレイアウト」を覚(おぼ)えてみよう!?「オボった画像」で「自然なレイアウト」を覚(おぼ)えてみよう!?「オボった画像」で「自然なレイアウト」を覚(おぼ)えてみよう!?






2015-02-09[n年前へ]

実は(まるで左利きのような)少数派で不自然な「自転車の右側ブレーキ=前輪」セッティング!?  share on Tumblr 

 サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman's Wharf=漁師の波止場)に行くと、左利きの人たち用のモノを売るお店 Lefty's, the Left Hand Storeがあった。なるほど、たとえば、ほぼ全てのカメラのシャッターボタンが右側に位置しているように、多くの商品は右利き用に作られている。右利きの私は、その便を享受しているが、少なからずいる左利きの人たちは、もっと左利き用の商品もあったら良いのに…と思うに違いない。

 Lefty'sを眺めつつ思い出したのが、米国で自転車を借りるとき、「左が前輪ブレーキで、右側が後輪ブレーキだ。英国から来た人が、間違えて、右側で急ブレーキを掛けて、大変なことになったからな」という説明を受けたことだ。売られている自転車のブレーキのセッティングが右側=前輪・左側=後輪なのは、英國や日本といった比較的少数の国で、他の多くの国では逆のセッティングになっている。

 だから、(日本国内向けのみに製造されているものを除けば)世界市場を視野に作られている自転車は、右側ブレーキ=後輪・左側ブレーキ=前輪用に作られている。実際、普段乗ってる自転車を撮影してみると、本来の設計とは左右逆に取り回されたブレーキワイヤーが異常な曲がり方になってしまっている。たとえば、持ち手の左側ハンドル根元から出たブレーキワイヤーは、急激に曲がった後にフレーム本体の左側に回されているし、右側ハンドルの根元から出たブレーキワイヤーも前輪右側に急カーブを描いている。物理的には、不自然極まりないワイヤーの取り回しだ。

 普段意識することはないけれど、日本で(世界向けに作られた)自転車に乗っているということは、右利き用製品を左利きの人たちが使うような状況だ。日常生活で身の周りにあるモノたちが、意識せずとも多数派だった自分たち向けに作られていることもあるが、実は少数派の自分たちが不自然な使い方をしていることもある。円グラフの「多数派」「少数派」どちらに自分がいるかを意識してみるのも、結構面白いものだ。

実は(まるで左利きのような)少数派だった「自転車の右側=前輪ブレーキ」セッティング








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