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2007-12-16[n年前へ]

「19世紀の点光源」と「21世紀の面音源の時代」 

 「遊びの博物誌」の中で、障子などに手で影を作りさまざまな形を浮かび上がらせる「影絵」が一般的でなくなったのは、「点光源」が世の中から消えたからではないか、という想像がされていた。火を灯りとして使っていた頃、あるいは、初期の白熱灯を使っていた頃、夜の部屋を照らす光源は点光源に近かった。そのため、その光を手で遮ることで生じる影絵は明瞭な輪郭をともなって浮かび上がっていた。しかし、点光源が私たちの周りから消えると同時に、影絵も姿を消した、というわけである。

 私たちは光と目を通して世界を眺める。それと同じように、音と耳を通して世界を聴く。面光源が出現したことで、柔らかな人工光が私たちを照らすようになったが、音の方はまだそうなってはいない。たとえば、駅のプラットホームや電車の中でスピーカーに近い場所にいたりすると、あまりに音が大きく閉口することが多い。その一方、スピーカーから離れていると、今度は音が聞こえにくくなり、何をアナウンスしているのか聞き取れなくなる。これは、広い面音源でなく、比較的音源が小さい点音源だからである。携帯電話のスピーカーのように「限られた人に聞こえれば良い」という用途であれば、点音源で「聞こえる人・聞こえない人」の間の差が大きい方が良いが、多くの人に等しく・うるさくなく・小さくなく聞こえて欲しい用途となると、点音源のスピーカーでは望ましくないように思われる。

 吉永小百合は、「ブラウン管テレビは20世紀に置いてきた」と言った。それと同じように、私たちは、点光源も19世紀から20世紀の辺りの時代に置いてきた。そう考えると、点音源もそろそろ「置き時」なのかもしれない。かつて点光源を捨てて面光源を得たように、点音源から面音源へ切り替わっていく時代なのかもしれない。



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