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2008-02-23[n年前へ]

「波天奈(はてな)の茶碗」と「ギャラリーフェイク」 

 NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」が、あと一月で終わる。その一月の間に、「はてなの茶碗」が演目に上がるようだ。「はてな」という言葉、「?」という記号から連想するものといえば、その「連想物」の一番目は、地域性・場所柄・生き生きとした人の姿、そういったものが、とても鮮やかに浮かび上がる「波天奈(はてな)の茶碗」であると思う。そうであるといい、と思う。

わいも茶金さん知ってんねん。
茶金さんがひねくりまわしてる、値打もんに違いないぞ…

 芸術品の真贋を題材にしたマンガ、「ギャラリーフェイク」の中に「波天奈(はてな)の茶碗」という回がある。ギャラリーフェイクの「ニセモノ骨董品の茶碗」を題材にしたこの回「波天奈(はてな)の茶碗」は、こんな言葉・伝言で終わる。「ギャラリーフェイク」の中にあるいくつかの言葉の中でも、この言葉は、いつも心に刻み直さなければと思う一節の一つだ。

美を知るものは孤独なり。
徒党を組めば、やがて馴れ合い腐りゆくまで。
今の日本人はもう少し、胸のうちに己だけの美を
持つべきじゃないですか。

地蔵さんへの伝言さ。フジタからのな。

はてなの茶碗






2008-07-01[n年前へ]

偽装耐震計算ビジネスホテルから眺めた「合成写真」の景色 

「山腹の上に月が魅力的に佇む景色」を写真で撮ろうとすると、とても大きく見える月が不思議なくらい小さく写真に映っていることに驚かされます。たとえば、「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れないに張り付けた写真の中に映っている月は、本当に小さな点に見えています。けれど、その景色を前に眺める月は、もっともっと大きく見えたのです。カメラの中の幾何光学的な現実と自分の心の中に映る景色との違いには、本当に驚かされます。

 右の写真はいつだったか新大阪のビジネスホテルから撮影した写真です。この写真がどういうものであるかをもう少し正確に書けば、夕日に向かって飛んでいく飛行機と夕陽と夕方のビル街を、画角を変えて連射撮影した3枚の写真を合成したものです。この写真は合成写真です。

 合成写真ですから、この景色を「ニセモノ」だという感じる人もいるだろう、と思います。けれど、ビジネスホテルの窓から私が眺めた景色は、そのままの撮影写真には映っていないように感じたのです。むしろ、この合成写真の方が、その瞬間に「ビジネスホテルの窓から見た景色」を写しているように思います。

 「夕日」「飛行機」「ビル街」のそれぞれを、単独にファインダーの中に収めた時には、それほど違和感は感じません。けれど、目の前に広がる景色を一枚の写真に収めようとした途端に、なぜだか心の中に映る景色と撮影された画像ファイルに映っている景色が、まったく違うものになってしまいます。それは、不思議なくらいの真実です。

 私が泊まったこのビジネスホテルは、ビル設計の耐震計算に偽装があったということで、この後しばらくして営業を止めた、と聞きました。そのニュースを聞いた時、そのビルの窓から眺めた魅力的な景色、そしてその景色を描いた「合成写真」を思い出しました。

 ごく狭い画角で対象物を正確に切り取った写真、広い画角に世界を映しこんだ写真、色々な景色の切り取り方があります。すべてを上手く描き出すことは難しいのだろう、と思います。きっと、すべてを満たすような切り取り方・描き方はないのだろう、とも思っています。その不完全さに、いつも切なさと魅力とを感じます。



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