hirax.net::夢十夜::(2000.08.18)

夢十夜 

誰も知らない物語


 上野近くの神社で撮影した写真だ。画面中央左に女性が写っているのが判るだろうか。この女性は何遍も何遍もこの神社の前を往復していた。何かの願い事を叶えるために、御百度を踏んでいたのだろうか。もしそうだとしたら、私は悪いことをしたのかもしれない。とはいえ、この女性が何をしていたかどうかなんて、私には全然知る由もないことだ。きっと、それは本人以外には判りようがないことなのだろう。
 

 私は「空気」が写っている写真が好きだ。といっても、透明な空気がフィルムに写る筈がないだろう、と言われてしまうかもしれない。だけど、確かに「空気」はフィルムに写る。その「空気」は「物語」と言い換えても良いと思う。あるいは、「空気」でも"atmosphere"でも「雰囲気」というような意味があるのだから、それは単なる「空気」ではないのかもしれない。一体、そのフィルムに写っている「空気・物語」というのは何なのだろうか。
 

 そのフィルムに写っている「空気・物語」というものは、もしかしたら「フィルムに写っていないもの」じゃないだろうかと私は思っている。「フィルムに写っていないものが写っている」というのもとても変な言い方だが、そう感じているのだから仕方がない。フィルムに「空気・物語」を写せるかどうかというのは、写真に写っている景色の裏側、見えないところにあるものをどれだけ感じさせることができるかにかかっているような気がしている。

 「大事なものは目に見えない」と書いたのはSaint-Exuperyだが、もしも見えない部分、隠れている部分が全くないというのなら、それは張りぼてと同じだ。映画のセットと同じで、それはとても薄っぺらいものでしかない。「目に見えている部分」を支えているのは「目に見えない部分」なのだから、確かにそれはとても大事なんだなぁ、と思う。
 

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