2011-12-11[n年前へ]
■「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」など
最近の「走り書き」を少し整理して、「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」「秋葉原という宇宙と始まり」「天才の努力」「消し去られてしまいがちな、試行錯誤と自然な繋がりの過程」「通学路の冒険」といった話題。
昨夜は、たくさんの人たちが眺めた「月食」写真を見た。 遠く離れた人たちが、同じ月食を見ることができるのは、月が地上から遙かに遠く離れていたから、だろうか。…これが、地表数十km上空で生じる「流星」だったりするならば、みなが同じ景色を眺めることはできないのだから。(参考:あなたと見たい、流星群 同じ流星が見える距離)
月を眺め・語る言葉を読むと、英語の"I love you."を日本語で伝えようとするならば、「月が綺麗ですね」と書けば良い、と言ったと”される”夏目漱石の言葉を思い出します。
「(誰かと同じ何かを)一緒に眺めたい」という言葉、そしてその言葉を出させるに至る「心」を想像してみると、それは確かに、ひとつの"I love you."かもしれない、とも感じさせられますね。
ある女性の「その場・その先の展開を読む勘と運と、それを支える頭の回転」に驚く。そんな能力は、「場を読む」ことが求められる人生を経なければ獲得し得ないのではないかと、ふと考える。…そうだとしたら「オタクなぼくら」には、そんな超能力を手に入れることは、未来永劫できなさそうだ…と思う。
パノラマ写真で眺める「秋葉原ラジオセンター」の各店は、それぞれの店が、まるで小さな宇宙のよう。そして、 電気街としての秋葉原が誕生した頃の、生まれたての秋葉原ラジオセンターは、(秋葉原で育ったぼくらには)何だか新鮮でとても良いかも。
立体「赤青メガネ」の名刺って、何だかすごく面白い。こういう楽しいことを思いつき・さらに作っちゃうという「発想力と実現力」を育てる魔法のエキスは、街中を興味深く眺めていれば、きっとどこかに落ちていそうな気がする。
林家たい平師匠に、「大喜利をするための技術」について尋ねてみた。あれは本芸でなく余芸です、という言葉の後に、談志師匠は、天井にたくさんの言葉を貼り、あの言葉にはどんな噺をしようか、といつも考えようとしていたという話を聞きました。天才といわれる談志師匠でない凡才の私たちでも、そんな努力をし続けていたならば、縦横無尽にあらゆる話題を有機的に明晰に繋げることが、いつかできるようになるのでしょうか。
本芸を磨こう。
何かができあがるまでには「自然な試行錯誤の過程」があることが多い。しかし、たとえば、完成した技術や理論を説明するに際しては、そうした過程は消しゴムで消し去られ・削り取られて「論理的に必要十分な最小限の説明」がされる。…だから「その発想を追いかけることができなくて、わかりにくい」ということも生じやすい。
夏の朝、ランドセルを背負った女の子たちが、日陰だけを走り抜け学校に向かっていた。冬が始まっている今日は、日向(ひなた)をベースキャンプに、校門に向かい歩く男の子たちがいる。ほんの短い時間に、彼女・彼らは「大航海・大冒険」を楽しんでいる。…それに比べれば、おとなたちの「一日」が短く感じられてしまうのは、至極あたりまえの話、かもしれない。
そんな景色を見て、いつも歩く道とは違う道を通ってみた。すると、いつもとは違う発見があった。だから、こう思う。ランドセルを背負ったこどもたちを見習って、「同じ道を歩かず、なるべく違う道を歩いてみることにしよう」
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