2010-12-19[n年前へ]
■噴火の影響で「赤い皆既月食」
21日夕、満月が地球の影にすっぽり隠れる皆既月食が全国で見られる。皆既中の月は普通はオレンジ色だが、今回は上空を漂う火山灰の影響で、暗く赤い、珍しい月食になりそうだ。
(中略)今回は月が昇った時すでに部分月食に入っている。皆既は午後4時40分から午後5時53分までで、月食は午後7時1分に終わる。
2010-12-20[n年前へ]
■私たちの頭上では「太陽と雲」が逆に動いてる。
北極や南極にいるわけでない私たちが太陽を見上げる時、太陽はいつも東から西へと動いています。そしてまた、日本列島にいる私たちが空を見上げれば、頭上の雲は偏西風の影響で、ほとんど多くの場合、西から東へと移動して行きます。私たちを上から眺める太陽と雲は、逆方向に動いて行くのです。太陽は東から西へ進み、雲は西から東へ走る、私たちを包む時間はそんな風に動いているのです。
日本の空は偏西風に支配されています。西の空から東の空におよそ時速40km程度の風が吹き、雲もそして天気も、空に浮かぶものたちは、その速度で移ろって行くのです。
「虹のトンネル」を時速40kmで追いかける。
そんなこと、太陽と雲が逆に動くことを確かめたくて、iPhoneを空に向け2時間ばかり微速度動画を撮影してみました(参考:「iPhoneで微速度動画を撮影するアプリケーションを作ってみた」)。それが、下に張り付けた動画です。私たちの頭上にある空の中を、太陽と雲が逆方向にそれぞれ動いて行くようすがわかるかと思います。太陽はゆっくりとゆっくりと東から西へと動いていき、そして、雲は西から東へと素早く走り去っていくのです。
明日の夕暮れには、雲が晴れていれば皆既月食を見ることができる、と聞きます。もしも、明日、晴れない天気になったとしても、その時は頭上の雲をただ眺めてみるのも良いかもしれません。地球の陰に隠されて翳る月、雲の彼方にある月は、その雲とは逆の方向へ、東から西へとゆっくりと動いているのです。そんな月の姿を、西から東へと動く雲の向こうに想像してみる、のも良いかもしれません。
ガンバレ、みんなガンバレ、月は流れて東へ西へ。
ガンバレ、みんなガンバレ、夢の電車は東へ西へ。
井上陽水「東へ西へ」
2011-12-11[n年前へ]
■「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」など
最近の「走り書き」を少し整理して、「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」「秋葉原という宇宙と始まり」「天才の努力」「消し去られてしまいがちな、試行錯誤と自然な繋がりの過程」「通学路の冒険」といった話題。
昨夜は、たくさんの人たちが眺めた「月食」写真を見た。 遠く離れた人たちが、同じ月食を見ることができるのは、月が地上から遙かに遠く離れていたから、だろうか。…これが、地表数十km上空で生じる「流星」だったりするならば、みなが同じ景色を眺めることはできないのだから。(参考:あなたと見たい、流星群 同じ流星が見える距離)
月を眺め・語る言葉を読むと、英語の"I love you."を日本語で伝えようとするならば、「月が綺麗ですね」と書けば良い、と言ったと”される”夏目漱石の言葉を思い出します。
「(誰かと同じ何かを)一緒に眺めたい」という言葉、そしてその言葉を出させるに至る「心」を想像してみると、それは確かに、ひとつの"I love you."かもしれない、とも感じさせられますね。
ある女性の「その場・その先の展開を読む勘と運と、それを支える頭の回転」に驚く。そんな能力は、「場を読む」ことが求められる人生を経なければ獲得し得ないのではないかと、ふと考える。…そうだとしたら「オタクなぼくら」には、そんな超能力を手に入れることは、未来永劫できなさそうだ…と思う。
パノラマ写真で眺める「秋葉原ラジオセンター」の各店は、それぞれの店が、まるで小さな宇宙のよう。そして、 電気街としての秋葉原が誕生した頃の、生まれたての秋葉原ラジオセンターは、(秋葉原で育ったぼくらには)何だか新鮮でとても良いかも。
立体「赤青メガネ」の名刺って、何だかすごく面白い。こういう楽しいことを思いつき・さらに作っちゃうという「発想力と実現力」を育てる魔法のエキスは、街中を興味深く眺めていれば、きっとどこかに落ちていそうな気がする。
林家たい平師匠に、「大喜利をするための技術」について尋ねてみた。あれは本芸でなく余芸です、という言葉の後に、談志師匠は、天井にたくさんの言葉を貼り、あの言葉にはどんな噺をしようか、といつも考えようとしていたという話を聞きました。天才といわれる談志師匠でない凡才の私たちでも、そんな努力をし続けていたならば、縦横無尽にあらゆる話題を有機的に明晰に繋げることが、いつかできるようになるのでしょうか。
本芸を磨こう。
何かができあがるまでには「自然な試行錯誤の過程」があることが多い。しかし、たとえば、完成した技術や理論を説明するに際しては、そうした過程は消しゴムで消し去られ・削り取られて「論理的に必要十分な最小限の説明」がされる。…だから「その発想を追いかけることができなくて、わかりにくい」ということも生じやすい。
夏の朝、ランドセルを背負った女の子たちが、日陰だけを走り抜け学校に向かっていた。冬が始まっている今日は、日向(ひなた)をベースキャンプに、校門に向かい歩く男の子たちがいる。ほんの短い時間に、彼女・彼らは「大航海・大冒険」を楽しんでいる。…それに比べれば、おとなたちの「一日」が短く感じられてしまうのは、至極あたりまえの話、かもしれない。
そんな景色を見て、いつも歩く道とは違う道を通ってみた。すると、いつもとは違う発見があった。だから、こう思う。ランドセルを背負ったこどもたちを見習って、「同じ道を歩かず、なるべく違う道を歩いてみることにしよう」
2011-12-17[n年前へ]
■「同じ月」はみんなで眺められるのに、近くの人しか「同じ流れ星」を見れない理由
『「同じ月」はみんなで眺められるのに、近くの人しか「同じ流れ星」を見れない理由』を書きました。
今週からクリスマスくらいまでの間、冬の澄んだ夜空の向こうから、こぐま座流星群が地球へと降り注ぎます。 しかし、月食と違って、「同じ流れ星」をみんなで眺めることはできません。 なぜ、同じ月食をみんなで眺めることができるのに、同じ流れ星をみんなで見ることができないのでしょうか?