2010-04-02[n年前へ]
■「対談の準備」と「文章にする作業」
松井孝典と南伸坊による対談(というより南伸坊が松井孝典に色々なことを教わるといいう体のインタビュー)をまとめた『「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書) 』を読みました。読んだ理由は、内容、少なくとも章だてが「とても興味ある内容」だったからです。
- 未来はなぜわかるわけがないのか?~血液型性格判断から科学とは何かといった話題
- 宇宙の果てはあるのか?~宇宙科学から「わかる」「わからない」といった話題まで
- 日本はなぜ不合理がまかり通る社会になったのか~選択や格差社会の話題など
- 人間の欲望はなぜ尽きないのか~豊かとか欲望ととは何か
- 研究するとはどういうことか?
しかし、読み進めながら考えたことは、この本の中で語られていることとはまったく関係のないこと、でした。それは、松井孝典と南伸坊と編集者の3人が、どのような風に文章を作ることに関わったのだろうか、ということです。対談の前に「どういうことを話すか」のアウトラインをある程度決めるだろうと思うのですが、そのアウトライン決めを誰がどのように行っていたかを知りたい、と思ったのです。そして、どのように「テープ起こし」をしたテキストを本としての「文章」にしていったかを知りたいのです。
この本の中では、見事過ぎるくらい南伸坊は「素人役」「うなづき役」に徹しています。「そうですね」「はい」「ええ」「あー」「そうなんですか」…とここまで挙げると、南伸坊の台詞の過半数になるのではないか、と思うくらいです。この「見事過ぎる」度合いは、一体どういうプロセスで作られたのでしょう?
私の想像では、編集者が「(著者2人に確認した上で)こういう内容で対談してもらいたい」という内容のアウトラインを作り、そのアウトラインを見ながら、南伸坊と松井孝典と編集者が喋ったのだろう、と思います。そして、南伸坊は「素人視線での聞き役」としてり、そして、文章修正の際も、(自身も編集者としての感覚・視線を交えながら)話の流れを邪魔しないように自身の発言部分を単純化し・編集者の言葉なども自身の発言部分に入れていったのではないかと感じます。その一方、松井孝典は、自分の発言部分に間違いがないようにという視点から、自身の発言部にのみ修正を加えていったのではないだろうか、と想像するのです。それが、この対談文章を作ったのだろうか、と想像します。
…プロの意見など聞いてみたい、今日この頃です。