2009-07-22[n年前へ]
■占いに頼る人々
小倉千加子「シュレーディンガーの猫―パラドックスを生きる 」の「占いに頼る人々」から。
この世は偶然性に満ちている。(中略)早く気づく人ほど占いに頼る。それが、女性である。男性であれば芸能人や政治家などの「他者依存的」職業の人である。そして男女を問わず「親」である。親は、自分の能力や努力や意志でコントロールできない、自分よりも寿命の長い存在を産むため、世界の不確定性をより強く実感するからである。
すなわち、占いに頼る人々とは、被暗示性の強い非科学的精神の持ち主というより、むしろ合理性のない社会に、獣道を探すように合理性を探求しようとしている人々なのである。だからこそ、占いは、ありとあらゆる方法で科学的合理性を身にまとおうと、科学的根拠を謳う。
2010-09-03[n年前へ]
■非科学的イコールケシカラン式の科学万能
森本雅樹 「宇宙経由 野辺山の旅 」のあとがきから。
なるほど、科学は、そして人智は、昔からの人間の活動で次々に可能性をひろげてきた。「科学は無限、人智は無限」といった人間賛歌であればまだ聞くに値しようが、非科学的イコールケシカラン式の科学万能は、むしろ非科学的でさえあると思う。
なるほど、事柄をせまい範囲に限れば科学はすべての問題に正しい答えを用意してくれる。でも、科学でわからないことがゴマンと存在することだってだれでも知っている。人間は、そしてあらゆる自然の営みは、いつでも経験や論理の力だけでは解決できない問題をつきつけられ、何らかの形で判断をあたえながらここまでやってきたのだ。その中から科学だって生まれたのだと思う。
科学万能には反対しているみたいな論陣を張ったが、しかし、・・・せまい範囲に限った場合、科学がすくなくとも最良の判断を与えてくれるのもたしかである。ひとまず考ええるどんな競争にも、最も確実に勝つ方法を提供するのは科学である。
この一節の後、「このような競争原理にもとづく科学万能は弱い」と続くこの「あとがき」を読むだけでも、この本を手に取ってみる価値があるかもしれません。
いえ、「かもしれない」でなく、手に取る価値があると、私は思います。
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