2009-03-03[n年前へ]
■「バブルは繰り返す」と「学者の態度」
バブル崩壊以降の株価最安値更新だそうです。けれど、それは、なぜかずっと前からから見えていた確実に来る「未来」だったようにも思えます。
少し前、とても曖昧な質問を経済学者の方々に投げかけたことがあります。(「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」)
「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?ここで、大事なのは、”みんな”には私も入っていれば、あなたも入っている。つまり、すべての人が入っているということです。そして、「コモン」といった言葉が踊る文章を見るたびに、少し不思議に浮かびあがる疑問を、上手く言葉にできないままに投げかけてしまった質問です。
「合理的で明晰な経済人ではないだろう現実の人たち、そんな"分数もできない大学生"のような"みんな"が日日選択を繰り返すことで動いていく社会、そんなみんなが動かす社会が決める需要・供給・価格といったものの調整は、本当にみんなが幸せ・満足するものなのでしょうか?」くらいには、限定した質問に変えておけば良かったかもしれない、とも思いましたが、とにかく最初は曖昧な質問を投げかけてしまったのです。
その結果、前述の実に曖昧で不完全な質問に対して投げ返された言葉を読むことになりました。これが、不思議なことに、とても「納得感」がありました。
たとえば、ある先生のこんな答、
「すべてを疑ってかかるのが学者の思考方法ですが、最初から間違っていると思っているわけでもありません。あんまり最初から決めつけるということそのものをしないので。この質問には答えられません」あるいは、他のある先生のこういった言葉、
「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」という言葉、どの答も真摯かつ正確な答えに感じられたのです。たとえば、上の答えからは、真摯に「向き合う態度」が見えてきますし、下の言葉からは、今日、今現在の世界がそのまま映し出されているようにも思えます。
他にも、「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」を本にする段階で投げたこの質問(設問)の他回答から、いくつも感じたことがあります。それはまた、いつか、言葉にしてみたいと思います。
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