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2012-10-09[n年前へ]

未来はどうなる? それはガリレオに訊いてみる。 

 映画を見ると、その映画を見ることで「何か力をもらえる」ような気がします。まるで、宇宙を飛行する探査機が、万有引力を介して天体の運動エネルギーを得て、さらに宇宙の彼方に飛ぶ力を得るように、映画に近づく(そして離れる)中で何かを得ることができたりします。

 2009年のタイ映画「Dear ガリレオ」を観ました。 ガリレオがピサの斜塔から落とした2つの玉のように「絶対離れない」と約束をして、ヨーロッパを旅をし始めた2人の(大人になりつつある)女の子の物語です。一人は失恋をして、もう一人は大学を落第をして家族の元を離れてみることにした…そんな2人の青春物語です。

 一緒にバンジージャンプをした、そして絶対離れないと誓いつつ旅をし始めた2人にも、世の中に「絶対」なんていう存在がないように、いつか「別れ」が訪れます。

「同じものでできているものならば、たとえ大きさが違っていても、同じように落ちていく。そうガリレオが言ったの」
「たとえ重さが違っても、同じ瞬間に地面に辿り着くの」

 主人公たち2人だけでなく、異国の地で「同じものでできている」同胞たちと出会い、けれど時にバラバラに離れていく姿を描き、「ガリレオ」は一体どんなことを伝えたかったのだろう?と考えます。

「理論通りに、同じタイミングで落ちなかったとしたら、それは風が吹いたとか…つまりは運とかタイミングが悪かったってことなの。(だから、そんなことも受け入れるしかないの)」

 けれど、映画のラスト・シーン近くで気づかされます。世界という3次元空間の中を、誰もがそれぞれに離れていくように見えても、「時間という軸」にただ並べてみれば、その時間軸上で、みな一直線に並び・同じように動き続けているのだということに気づきます。周りを眺めてみれば、つかず・離れずみな同じように走っている…と思い至るのです。

 未来がどうなるにしても、そんな未来に続く時間軸の上で同じ時間を共有し、みな同じように動いてる。そして、ガリレオの言うことは当たったりもするけれど、自分たちの意志はたまにガリレオの予言に縛られなかったりもする…「Dear ガリレオ」は、そんなことを気づかされたりする・そんな「力」を得ることができたりする映画です。



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