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2013-08-16[n年前へ]

「五山送り火」にまつわる地図色々 

 「五山の送り火」から。

 五山の送り火とは東山如意ヶ岳(大文字山)の「大文字送り火」、松ヶ崎西山(万灯籠山)、松ヶ崎東山(大黒天山)の「松ヶ崎妙法送り火」、西賀茂明見山(船山)の「船形万燈籠送り火」、大北山の「左大文字送り火」、嵯峨水尾山(曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の五山を総称したものであり、各々、異なる“送り火”行事の寄り合いで、それぞれに“送り火”を守る保存会が個別に存在し、互いに干渉せずに独自性を保って運営されているのです。現在のような形になったのは、近世初頭といわれており、如意ヶ岳の「大文字送り火」は17世紀中頃作成の絵図にしっかりと描かれているし、18世紀中後期の絵図には、五山全ての“送り火”が描かれています。興味深いのは、かつては市原野の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観音寺村の「長刀」なども“送り火”として点火されていましたが、明治の頃までに廃絶してしまっています。

 「五山の送り火をどこから見ますか?(五山送り火の可視領域〜マップ)」から。

 京都では、送り盆にあたる8月16日の午後8時から五山送り火という行事があります。 京都地域以外にお住まいの方々には、「大文字焼き」と一般的に呼ばれることもありますが、 正式名称は「大文字五山送り火」で、5つの山で6つの形 (大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形)を順番に点火します。

 送り火の起源は諸説あるようですが、 精霊の送り火として盂蘭盆会(うらぼんえ) の行事が一般的な定義とされています。 一般庶民をも含めた年中行事として定着するようになったのは、 室町時代とも江戸時代とも言われ、1658年頃には文献にも記されています。 このことから、京都において長らく行われてきた伝統的行事であることは間違いないでしょう。

 以下に示す図は、バーチャル京都を構築する3次元データのうち、 建物や地表面の高さを有したデータを用いて、 合計6カ所で点火される「五山の送り火」がどこからいくつ見えるかを GIS上で分析した結果を示しています。

 「大文字が照らすもの」から。

 大文字山の登山口付近に置かれた看板に、「大文字の中心は、大本山相国寺の御霊所に向かって正面」と書いてありました。…大文字の火床まで登ると、その中心には十文字と、ハの字を組み合わせた矢印のような字形となるように地面に埋め込まれた火床(金尾)があります。…この「金尾」から直線を引いた先には確かに大本山相国寺(しょうこくじ)があります。

 「相国寺-金閣寺-銀閣寺の謎」から。

 実は、金閣寺と銀閣寺は相国寺の山外塔頭寺院、 つまり相国寺の境内の外にある子供の寺院なんです。 その相国寺って京都のどこにあるかということですが、 京都御苑のすぐ北、上京の一等地のかなり大きな敷地にあります。
 …さて、地図を調べていてわかったのですが、 この3つの寺が京都を横断するように一直線上に並んでいるんです。しかも、まるで測ったかのように、相国寺が金閣寺と銀閣寺のちょうど中心に位置しています。



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