hirax.net::Keywords::「五山送り火」のブログ



2008-08-25[n年前へ]

Googleマップのストリートビューで五山送り火ベスト鑑賞ポイントを探す 

 京都の五山送り火を全部眺めることができる場所はあるのだろうか?と考えながら、Google Earthの旅 > 五山送り火のページを見る。地図を眺める限りでは、もしも、河原町七条の辺りに高台があったなら、五山六文字の全部を眺めることができそうだ。…けれど、河原町七条の辺りに自然の丘なんてないわけで、実際には京都タワーの上からでもなければ、五山送り火の6文字を全てみることができる場所はないのかもしれない。

 ところで、左大文字は右京区にあって、大文字(右大文字)は左京区にある。そして、(北を上とする)地図上では、左京区は右にあり、右京区は左にある。ちなみに、そんな地図上で上京区は上で、下京区は下にある。標高で言っても、京都は緩やかな斜面の街なので、上京区は上にあって、下京区は下になる。

 最近、Googleマップのストリートビューが話題になっている。それが良いものなのか、悪いものなのか論じられたりする。けれど、「科学やロボットは使う人次第だ」という言葉は、ずっと昔から言われ続けた言葉だ。Googleを単純に褒めたたえる人がいたら、その人は単なるマーケッターにしか感じらない。その一方で、危険性だけを訴える人がいたならば、一つの道具も使わずに生きていけばいい、とも思う。

 Googleマップのストリートビューで五山送り火ベスト鑑賞ポイントを探してみたいと思う。実際には行くことなどできない五山送り火ベスト鑑賞ポイントを、五山送り火を眺めてみたいと思う。


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2011-08-16[n年前へ]

2011年夏に、人々が眺める「送り火」を見る 

 8月16日の日暮れ過ぎ、時計の針が19時30分を回る頃、街の灯りと夜空を見渡すことができる場所に行きます。なぜかと言えば、20時過ぎから、(日本の古い街のひとつ)京都の街を囲み照らす「送り火」を眺めることができるからです。

 下の写真に映っているのは、左京区浄土寺の「大文字」に次いで、点灯された松ヶ崎西山・東山の「妙法」が京都の街を照らし始めた頃、朱色の送り火を見つめる人たちです。夜の地平線を眺めている人たちは、眼下に広がる街灯りや山肌に燃えさかる文字を眺めています。

 「送り火に込められた想い」を直接見ることはできません。…直接見ることができないからこそ、送り火を眺める人たちを見れば、「送り火を眺める人たち」通して送り火を間接的に眺めれば、「送り火に込められた想い」を実感する・感じることができるように思われます。

 直接見ることができないものは、たくさんあります。…実際のところ、私達が直接目にすることができるものを数え上げてみれば…それはとても数少ないような気もします。直接見ることができないものは、私達は間接的にしか眺めることができません。けれど、間接的に眺めるのだからこそ、「見えないけれど確かなもの」を感じることができるにも思われます。

 今日見た景色は、2011年の夏、「送り火」を見つめる人々です。

2011年夏の「送り火」






2013-08-16[n年前へ]

「五山送り火」にまつわる地図色々 

 「五山の送り火」から。

 五山の送り火とは東山如意ヶ岳(大文字山)の「大文字送り火」、松ヶ崎西山(万灯籠山)、松ヶ崎東山(大黒天山)の「松ヶ崎妙法送り火」、西賀茂明見山(船山)の「船形万燈籠送り火」、大北山の「左大文字送り火」、嵯峨水尾山(曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の五山を総称したものであり、各々、異なる“送り火”行事の寄り合いで、それぞれに“送り火”を守る保存会が個別に存在し、互いに干渉せずに独自性を保って運営されているのです。現在のような形になったのは、近世初頭といわれており、如意ヶ岳の「大文字送り火」は17世紀中頃作成の絵図にしっかりと描かれているし、18世紀中後期の絵図には、五山全ての“送り火”が描かれています。興味深いのは、かつては市原野の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観音寺村の「長刀」なども“送り火”として点火されていましたが、明治の頃までに廃絶してしまっています。

 「五山の送り火をどこから見ますか?(五山送り火の可視領域〜マップ)」から。

 京都では、送り盆にあたる8月16日の午後8時から五山送り火という行事があります。 京都地域以外にお住まいの方々には、「大文字焼き」と一般的に呼ばれることもありますが、 正式名称は「大文字五山送り火」で、5つの山で6つの形 (大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形)を順番に点火します。

 送り火の起源は諸説あるようですが、 精霊の送り火として盂蘭盆会(うらぼんえ) の行事が一般的な定義とされています。 一般庶民をも含めた年中行事として定着するようになったのは、 室町時代とも江戸時代とも言われ、1658年頃には文献にも記されています。 このことから、京都において長らく行われてきた伝統的行事であることは間違いないでしょう。

 以下に示す図は、バーチャル京都を構築する3次元データのうち、 建物や地表面の高さを有したデータを用いて、 合計6カ所で点火される「五山の送り火」がどこからいくつ見えるかを GIS上で分析した結果を示しています。

 「大文字が照らすもの」から。

 大文字山の登山口付近に置かれた看板に、「大文字の中心は、大本山相国寺の御霊所に向かって正面」と書いてありました。…大文字の火床まで登ると、その中心には十文字と、ハの字を組み合わせた矢印のような字形となるように地面に埋め込まれた火床(金尾)があります。…この「金尾」から直線を引いた先には確かに大本山相国寺(しょうこくじ)があります。

 「相国寺-金閣寺-銀閣寺の謎」から。

 実は、金閣寺と銀閣寺は相国寺の山外塔頭寺院、 つまり相国寺の境内の外にある子供の寺院なんです。 その相国寺って京都のどこにあるかということですが、 京都御苑のすぐ北、上京の一等地のかなり大きな敷地にあります。
 …さて、地図を調べていてわかったのですが、 この3つの寺が京都を横断するように一直線上に並んでいるんです。しかも、まるで測ったかのように、相国寺が金閣寺と銀閣寺のちょうど中心に位置しています。

2013-08-19[n年前へ]

[今日見た景色] 北白川今出川でアビーロード 

 夕べ食べた天下一品のこってり(並)と餃子が腹にもたれ朝飯抜きで桂から松尾に向かい、嵐山から北王子を回って天下一品本店の前を通ります。…やっぱり人が何人も並んでいて、北バチ跡もテニスコートが屋上にあるラブホもなくて、少し残念に思いつつ南へ向かいます。そして、北白川今出川で信号待ちをしながら、ビートルズの「アビーロード」のジャケット写真みたいな景色を眺めます。

 その後、円山公園脇を抜け・東山五条から1/9号に入り、天下一品で五条桂店で角煮こってり(並)with ニンニクをブランチ代わりに食べ、つまりは夜も昼も天一に行き…そして夜は(京都郊外にある)体育館近くで五山送り火を風に吹かれつつ眺めた…というのが2013年8月16日の「今日見た景色」です。

 自分は無駄の多い人生を送ってきた。けれど、”保証はないけど、やりたいこと"…"保証はあるけど、興味ないこと”…そのどちらかをもう一度選択できるとしても、前者を選ぶ。

by Anonymous Coward Re:40過ぎると (スコア:0)

[今日見た景色] 北白川今出川でアビーロード








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