2000-12-30[n年前へ]
2000-12-31[n年前へ]
■五山送り火
違う時期にやるのは史上初めてとのこと。スゴイ人混みだぁ。今回が特別かと思ったが、実は夏も結構こんな感じだと聞いてビックリだ。京都にいた頃は大学の屋上でいつも見ていたから、そんなに人で一杯になるとはしらなかった。(リンク)(リンク)
■三つの火祭り
京都市役所前で鞍馬から火を運んでの鞍馬の火祭り、岩座の火祭り、広河原の松上げの再現。う〜ん、まるで「ウルトラ兄弟が集合する回」のようだ。五山送り火も含めて、京都のオールスター大集合だ。
2001-01-02[n年前へ]
■KYOTO 2001
Motions on Camera
京都の「五山送り火」が初めて大晦日にも行われた。「二十一世紀が始まる記念」というわけで、由緒正しいしきたりをたまには変えて「五山送り火」を大晦日にやってみよう、というわけだ。「昔から続けてきたしきたり」という伝統と、それをたまにはちょっと変えてやってみようという新しいことが混沌として両立しているところが実に京都らしくてちょっと面白い。京都という街は古くから同じ場所にずっと居るわけだけれど、自縛霊のようにじっとしているかというとそういうわけでもなくて、何故か同じ場所でずっと動き続けている。そんな「動き続ける自縛霊」が京都だと私は思う。
この夜は、珍しい「大晦日に燃え上がる大文字」を見るために、三条大橋の上にはもうたくさんの人がいた。もう、大文字はその文字通りの「人混み」の彼方にやっと見えたというくらい、人が多かった。ところが、その時に三条大橋の上で撮影したこの写真にはそのひどい人混みは写っていない。
何故かというと、この写真を撮るのに露出時間が数秒程度かかってしまったからだ。そのシャッターが開いていた数秒間の間に動いていたものはぼやけてしまい、写真には写らなかったのである。だから、この写真にはカメラの前を歩いていたたくさんの人達はほとんど写っていない。もちろん、よく見ればかすかに歩いていく人の姿が見えるような気もするけれど、やはりそれでもはっきりとは見えないだろう。結局、この写真には「動いていく人々」は写らずに、「動かないもの」だけが写ったわけだ。
もし、この写真に動かずに佇んでいる人が写っていたとしたら、どうなるだろうか?ずっと同じ場所で佇んで考えごとでもしている人がいたら、その人はきっとこの写真に写ったに違いない。それはもう自縛霊みたいなものだ。そこにうつっているのは単に「考えている人」ではなくて、もしかしたら自縛霊のように「同じ場所でずっと動かない思い」みたいなものかもしれない。
ところで、この写真はデジカメで撮った。だから、撮影した画面をその場で確認した時には、ちょっと不思議な気分になった。人だらけの三条大橋の喧噪の中で、誰も写っていない三条大橋の写真を見ていると、この写真に写っているものは一体何なのという疑問が頭の片隅にふと浮かんでしまった。写真に写っているものが一体何で、写真に写っていないのか一体何なのかなんてちょっと考えてみたけど、酔っぱらいの私には何だかよくわからなかった。
2008-08-16[n年前へ]
■五山送り火
京都の街は小さな盆栽に似ている。自転車で1時間も走れば、端から端まで移動できる。京都は結局、そんな小さな街だ。
8月16日の夜8時から、その小さな街の三方では、かがり火が焚かれる。そして、文字や形を浮かび上がらせる。それが、五山送り火だ。昔はもっと色々なところでかがり火が焚かれていたというが、今では「五山」送り火になっている。あくまで、五山送り火なので、焚かれる文字・形数が5つというわけではない。文字数で言うと、「大文字・左大文字・妙・法・舟形・鳥居形」の6つである。しかも、「妙」「法」は、左京区松ヶ崎の妙法山で焚かれるのだけれど、「妙法山」は、実際のところ、西山と東山という別の山に分かれている。だから、「6山(6箇所)送り火」というのが、実際の感じに一番近いと思う。
「実際の感じに一番近い」といっても、五山送り火すべてを眺めることができる場所があるのかどうかは、よくわからない。五山の場所・方向からすると、普通の場所からは全部を見ることはできそうにないように思えてしまう。それに、通り沿いにそびえるビルは視界を遮るし、見通しがいい場所には、たくさん人がいる。だから、「6山(6箇所)送り火」であっても、多くの場合、「3つくらいの文字・形」が見えれば「いい場所」であるように思う。
今年は、「大文字・左大文字・妙・法」の3(4)文字を見た。銀閣寺の上で燃え盛る「大文字」と金閣寺の上に燃える「左大文字」そして、京都の北に浮かび上がる「妙法」だ。少しの時間をおきながら、懐古的なネオンサインのようなオレンジ色の光を放つ文字を見ていると、蒸し暑い夏も、不思議に気持ち良く感じられてくる。そんな夜景を30分ほど眺める。