■涙いっぱいの25mプール
二十年かかる「プール開き」
最近、霧の日が続いている。日中生活している場所が、「箱根の中腹」というとても霧に覆われやすい場所であるせいもあるだろうし、梅雨真っ盛りという今の時期のせいでもあるだろう。あるいは、その他にも何かの理由でもあるのかもしれない。とにかく、日中は深い霧に覆われてしまう涼しい生活が続いている。
そんな中、朝や昼に草むらの中で足下に生えている色んな葉っぱを眺めていると、それぞれの葉っぱにたくさんの水滴が乗っかっている。そしてまた、水滴がそこからいまにもこぼれ落ちそうになっている。まるで、草が大粒の涙をこぼすのを必死にがまんしているみたいだ。
こんな、いかにも涙をこぼすのを我慢しているような草を眺めていると、こんなたくさんの草達がいっせいに大粒の涙をほろほろと流したとしたら、そしてもしその草達がこぼす涙をプールにでも貯めてみたとしたらどうなるだろうか?とふと考えた。あっという間にそのプールは涙で一杯になってしまいそうな気がするし、結構時間がかかるような気もする。
そしてまた、こんなこともふと考えた。草でなくてもいい、人がほろほろこぼしている涙をもしもプールに貯めてみたとしたらどうなるだろう?そのプールが涙で一杯に満たされるには、一体どのくらいの時間がかかるものなのだろうか?
目の時点・眼の構造によると、眼からほろほろ溢れ出すような涙一粒の量は約0.2ccだと書いてあった。ということは、大きさで言うと直径0.7mm位の球になるだろうか。かなり大粒のような気はするけれど、とっても大粒の涙だったらそんなものかもしれない。
とても哀しかったりして、ほろほろと涙が目から溢れ出すとしたら、その涙の粒は一体どの位の時間間隔でこぼれだしてくるものなのだろう?それはちょっとよく判らないから、ここでは仮に一秒に一粒の涙をほろほろとこぼすことにしてみよう。もちろん、人間には二つの眼があるから一秒に二粒の涙をほろほろと流すことになる。
すると、大雑把に25mプールの幅を10m、深さを1mとしてみると、その25×10×1m3を一杯にするには、
(25×10×1 ×1003) /( 0.2×2×60×60×24×365) ≒20で大体20年弱かかることになる。
だから、何処かで誰かが涙をほろほろ溢れさせていて、その人は二十年近くの間涙をぽろぽろとこぼし続けいているとしたら、その人のかたわらには、いつの間にか涙で満たされた25mプールができあがることになる。その人が流した「涙のプール」のできあがりだ。二十年かかってやっとその「涙のプール」の「プール開き」ができることになる。
もちろん、一時も泣きやまずに二十年近くの間涙をほろほろとこぼすなんてことはないことだろうけれど、そんなことを考えに入れた上でも、その人だけの「涙のプール」が二十年弱でできてしまうなんて、ちょっと意外だ。二十年という長さが短いような長いような不思議な感覚におそわれる。
そしてまたこんなことも考える。もしも、地球上の全ての人が大粒の涙をこぼしたとしたら、世界がいっせいに涙をこぼしたとしたら、この「涙のプール」はどのくらいの時間で一杯になるのだろうか?試しに、プール一杯の量を60億人で割ってみると、
(25×10×1 ×1003) /( 6000000000 ) ≒0.040.04ccとなる。両目からこぼす涙の量0.4ccのちょうど十分の一だ。だから、世界中のもしも十人に一人が両目からホロリと涙をこぼしたならば、その一瞬で「涙のプール」は一杯になってしまうことになる。
色んな場所で、色んな人が泣いている。小さな赤ちゃんが泣いて、その横で新米のお母さんがやっぱりほろほろと泣いていて、振られて泣いている学生もいれば、映画館でスクリーンを見ながら泣いている人もいる。きっと、ありとあらゆる場所で泣いてる人がたくさんいる。世界中の何百分の一か位はきっと泣いている人達だ。だとしたら、この「世界中の十人に一人が両目からホロリと涙をこぼしたら涙のプールのできあがり」というペースを考えると、これはもう世界中の色んな場所で「涙の25mプール」の建設ラッシュだ。そんな風に想像したりすると、色んな街角や林の中に隠れていたこんな「涙の25mプール」の姿が陽炎のように見えたりするかも、と想像してみたりする。