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2004-06-13[n年前へ]

46歳の夏目雅子 

 骨髄バンクの広告。「昭和60年、その美しい人は白血病に倒れた。あの頃、もし日本に骨髄バンクがあり、あなたのドナー登録があったなら、きっと僕らは、46歳の夏目雅子さんに会えたにちがいない」

 夏目雅子でもあるいは聞いたことのない名前でも、その「人」名前は誰でも良いだろう、と思う。そしてまた、美しい人でも、美しくない人でもどちらでも良いような気がする。九死に一生を得た46歳のあなたに会えたことは、それはとてもうれしいことのような気がするし、会えなかったら哀しいような気もする。

2009-03-17[n年前へ]

夏目雅子と阿修羅像 

 とても綺麗な顔をしているこの人が、”怒”の表情を見せたなら、それは恐ろしいほどに”怒”を写実的に表現した顔をするのではないかと、夏目雅子の写真を見るたび思う。柔らかな笑顔を見せる夏目雅子の顔を見るたび、そんなことをを考える。

 よく見る夏目雅子の写真は奈良県・興福寺の阿修羅像の正面の顔とよく似ている。喜怒哀楽のどの表情とも言い難いような、けれど、澄んで美しい顔をしている。

 奈良 興福寺の阿修羅像が左右に見せている顔は、一体どんな顔をしているのだろうか。そして、その表情は、夏目雅子のそれと似ているのだろうか。・・・と、そんなことを考えてみても、夏目雅子の色々な表情を知っているわけでないから、ただ、そんな空想にふけってみるしかない。

 (向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。

 和田勉が「向田邦子をめぐる17の物語 」中で語ったこと

 向田邦子という人についていろいろ書いてきて、いったい私はあの人のそんなに幾つもの顔を知っているのだろうかと、ふと考えてしまう。…多分、誰にも見せていた顔を、私も長い間ずっと見てきただけである。…そんなことから言えば、私などより特殊な人間関係、たとえばあの人に愛された人、憎みあった人、心配された人、可愛がられた人ーいくらもいるに違いない。あの人もそういう人の前では、激しく怒ったり、涙が出るくらい笑ったりしたはずである。

 久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年
 ずっと昔、とても好きだった人がいるの。私、その人の前では、誰にも見せたことがない表情をしていたと思う。今、そんな顔をしてみようとしても、どうしてもできないの。だって、好きだったのだもの。

久世光彦  「私があなたに惚れたのは」中の向田邦子の言

 3月31日が待ち遠しくて、たまらない。上野、東京国立博物館で開かれる「国宝 阿修羅展」の阿修羅像、夏目雅子に似た正面の顔、そして、ふだん私たちには見ることができない左右の顔、それは一体どんな表情なのだろうか。それを見る人に、どんな感情を起こさせるのだろうか。



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