2008-02-08[n年前へ]
■石田純一「可能性が1%でもある限り、おれは全力を尽くす」
いつの頃からか、手帖にメモをするようになった。 目に付いたモノ、あとで読む本、感銘を受けた言葉…そんなものを、ボールペンで書き留めるようになった。本の中にある古典の言葉、目の前にいる人がふと口にした何気ない言葉、そんな、ノンジャンルな言葉を手帖に書き留めている。
その手帖の中にある言葉の一つが、こんな言葉だ。
可能性が1%でもある限り、おれは全力を尽くす。その全力を尽くす物事が「何であるか」はわからないけれど、この言葉を語ったのが石田純一なのだから、もしかしたら、それは(はたから見れば)クダラナイことなのかもしれない。けれど、だからこそ、この言葉は本当に素晴らしく素敵だと思う。
石田純一
「素人か玄人かは、其仕事に対する作者の打ち込み方の相違だ」というのは、志賀直哉の言葉だ。
素人か玄人かは、其仕事に対する作者の打ち込み方の相違だ。人が自分の好きなことに打ち込むとき、その「打ち込み方」で其仕事に対する重みが変わるのかもしれない、とも思う。石田純一と志賀直哉の言葉を、右と左の耳から聞いてみると、その二つが不思議に溶け合って聞こえる。対位法のように、一見逆方向に聞こえる旋律が、混じり合って妙に溶け合うのが絶妙に良い。
志賀直哉
2014-01-01[n年前へ]
■「変わらない」ための「努力」
イチローが語る「努力」という定義(の変化)を読みました。かつては「自然に当たり前にしていたこと」だけど、それを「意識的にしなければならなくて、それをしなければ、自分が自分でなくなってしまうこと」それこそが努力というものだという定義が、とても確かなものに感じました。
第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか。
2013年「春」
試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。それを、なんとなくこう、やりたくない瞬間が現れるんですよ。でも、それをすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。と、想像したので。そこだけは続けたということですよね。…これが、努力なんじゃないかなと思いますね。
2013年「冬」
「(年齢の上下は全く関係無く)すごいなと思う尊敬する人はたくさんいて、けれど十年近く経った頃、…そんな人たちの何割か「あぁ、つまんない人に変わっちゃったな」と思うことがあります。もしかしたら、それはイチロー言うところの「努力」をしたか・しなかったか…ということが分水嶺になっていたのかもしれない…と考えます。
若い人は(たいがい)輝いてる。七転八倒で、七転び八起きで…何というか、下っ端ーずでも何であっても、主体的で・可能性に満ちてる(…十年くらい後に「つまんない人に変わっちゃったな」と思うこともあるけど)。何はともあれ、可能性に乾杯だ!
「大事なこと」や「可能性」に乾杯だ!
もう十年近く前、「変わらないということは、変わるということ」という言葉にひどく印象づけられました。あの言葉は、とても非情で正確な言葉だったのだろうとも思いますし、それと同時に「変わり続けていると、その中に変わらないものが見えてくるのかもしれない」とも思います(参考:続「変わらないということは、変わるということ」)。
「変わらない」でいるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。その人自身や状況といったものが変化している限りは、自分も変化していかないと、取り残されてしまう…という冷徹な言葉だ。
2014年の01月01日、今年最初の日記は『変わらないための努力』です。
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