2003-02-08[n年前へ]
■日の出や湖面や槍ヶ岳
諏訪湖で日の出を眺めた。八ヶ岳の向こうから朝日がさしてくる。そんな朝日にデジカメを向けてシャッターを押してみる。少しきれい。そして、周りを眺めてみると、色んな山に朝日が差し始めてる。下を眺めてみると、諏訪湖では湖面をボートが滑つように動いてた。とても寒いけれど、きれいで静かな景色だ。
新穂高ロープウェイスキー場ではいつものようにゴンドラの中から槍ヶ岳を眺める。最上部が2200mで標高差日本一(知られていないけど)のスキー場だから、景色は本当に晴らしい。もちろん、狭くて急でコブで埋まるコースだって気持ちがいい。たまにコースを外れて小枝を避けながら、木々の中を滑ってみるのだって、とっても気持ちがいい。そんな感じで雪山の中を何にも考えずにただ滑る。陽はなかなか差してくれないけれど、ただひたすら滑ってみる。
■立体写真で眺める新穂高ロープウェイスキー場
交差法です。遠くを眺める要領で、新穂高ロープウェイスキー場「だましの棚」の終わり、第三鉄塔の下からの景色を眺めてみて下さいな。それにしても、このスキー場がなくなるなんて…。
2004-02-08[n年前へ]
■風の強い日
今日は風がずいぶん強い。防波堤の上で誰かが風に吹かれてる。
風がこれだけ強く吹くと、手を広げて防波堤の上に立てば、その風に体をまかせることができる。もちろん、いきなり風が吹き止んだりしたら防波堤の下へ落ちてしまうだろうけれど、風が吹いている限りは、体を風に任せて風上に寄りかかることができる。
2005-02-08[n年前へ]
■Odyssey Skiの特許
Odyssey Skiが取得している特許の話がオレスタイルブログに。
特許の内容は、トップ = 104mm 〜 126mmテール = 101mm 〜 121mm長さ = 140cm 〜 181cm半径 = 14m 〜 18m
■トヨタの企画室
「私はトヨタの企画室にいる人間だが…」、で全てが始まるという「トヨタの企画室」関連の話題。
■京大の百万遍の石垣の上で
ちょっとした騒動の末、京都大学・百万遍の石垣の上に突如登場した石垣の上の喫茶店。「学生街の喫茶店」だなんて、一体いつの時代の話だ?と思うわけだけれど、それがもちろんあのガラパゴス諸島の良くも悪くも偉大な特徴なのだろう。
その「喫茶店」は寒い京都の冬に対応したこたつ装備だとか、それ以前にテレビのドラマのようなお茶の間(断面が外に丸見え)の超オープンな構造だとか、一杯50円のコーヒーは超アメリカンだとか、「らしい」と言ってしまえばそれで終わりの「京大の百万遍」「学生街の石垣の上の喫茶店」だ。これから一体どうなるんでしょう?
ぜひぜひ、(そろそろ登場するハズの)折田先生(世に復活させた生みの親)の意見を聞いてみたいところ。
2008-02-08[n年前へ]
■石田純一「可能性が1%でもある限り、おれは全力を尽くす」
いつの頃からか、手帖にメモをするようになった。 目に付いたモノ、あとで読む本、感銘を受けた言葉…そんなものを、ボールペンで書き留めるようになった。本の中にある古典の言葉、目の前にいる人がふと口にした何気ない言葉、そんな、ノンジャンルな言葉を手帖に書き留めている。
その手帖の中にある言葉の一つが、こんな言葉だ。
可能性が1%でもある限り、おれは全力を尽くす。その全力を尽くす物事が「何であるか」はわからないけれど、この言葉を語ったのが石田純一なのだから、もしかしたら、それは(はたから見れば)クダラナイことなのかもしれない。けれど、だからこそ、この言葉は本当に素晴らしく素敵だと思う。
石田純一
「素人か玄人かは、其仕事に対する作者の打ち込み方の相違だ」というのは、志賀直哉の言葉だ。
素人か玄人かは、其仕事に対する作者の打ち込み方の相違だ。人が自分の好きなことに打ち込むとき、その「打ち込み方」で其仕事に対する重みが変わるのかもしれない、とも思う。石田純一と志賀直哉の言葉を、右と左の耳から聞いてみると、その二つが不思議に溶け合って聞こえる。対位法のように、一見逆方向に聞こえる旋律が、混じり合って妙に溶け合うのが絶妙に良い。
志賀直哉
2009-02-08[n年前へ]
■向田邦子と源氏物語と精神的別居
谷崎源氏にめぐりあったのは、昭和三十八年から九年にかけてではなかったどうか。…私の気持ちは一番沈んでいた頃だった。一身上にも、心の晴れないことがつづき、仕事の面でも、わかれ道に立っていた。これは、向田邦子の「源氏物語・点と線」の中の一節だ。単行本には収録されておらず、「向田邦子 全集第二巻 」の補遺の節で読むことができる。
向田邦子は、出版されている本は少ない割に、似たような話・似たような文章・似たような表現が頻出するように思う。「昭和三十八年から九年にかけて…一身上にも、心の晴れないことがつづき、仕事の面でも、わかれ道に立っていた」といった文章も、他の随筆の中でも(たとえば「父の詫び状 」収録「チーコとグランデなど」)何度か読んだような気がする。
その後、(父が向田邦子を気遣いわざと仕掛けた)口げんかから、
些細なことから父と言い争い、というわけで、向田邦子の一人暮らしが始まるわけだが、その少し前、昭和37年に向田邦子は「精神的別居」という随筆を書いている。この随筆は単行本には収録されていないので、やはり全集の中でしか読むことができない。
「出てゆけ」
「出てゆきます」
ということになったのである。
「父の詫び状 」収録「隣の匂い」
たまりかねて、アパートへ移りたいと申し出たら、これは、一言のもとに反対された。後になってから書かれた文章でない分、この昭和37年に書かれた「精神的別居」という文章は、後半少し道を失っているようにも思える。
(中略)
しかたがないので目下、家族とは精神的別居という手段をとっている。
もっとも、世間には、…
だからこそ、興味深い。
2010-02-08[n年前へ]
■「プロ棋士と将棋ソフトの対局許可」と「競技(スポーツ)の本質」 (初出:2005年10月16日)
「日本将棋連盟が女流プロを含むすべてのプロ棋士に対し、コンピュータ将棋ソフトと公の場で許可なく対局しないよう通知した」というニュースが、新聞各紙で報じられていました。対局を規制した理由としては、「プロ棋士とコンピュータとの対局の商品価値を高めるため」「強くなってきたコンピュータ将棋ソフトに人間が負け、プロ棋士がコンピュータより弱い、というイメージを持たれないようにするため」というふたつの理由が書かれていました。
将棋とよく似たゲームであるチェスの世界で、コンピュータが人間に勝ったのは1997年のことです。IBMが作り上げたDeep Blueがチェスの世界チャンピオンだったゲリー・カスパロフに勝ち、それ以降はコンピュータの方が人間よりもチェスが強い時代になったのです。しかし、チェスと違い将棋の場合は「取った相手の駒を使うことができる」というルールなどにより計算量が膨大であるため、コンピュータ将棋ソフトが人間に勝つことは難しいと言われ続けてきました。
たとえば、少し前であれば、「将棋ソフトとの対戦は(ソフトが弱くて)つまらない」と言われていたものです。しかし、すでに現在ではプロ棋士が負けるようなことも起き始めているといいます。
こういったゲームの世界で、(人間が作り出したはずの)コンピュータに人間が太刀打ちできないということが増えていくのかもしれません。
しかし、「相手に勝てないから(そんな勝負が)つまらない」かというと、それは違うように思います。今年、コンピュータと戦ったチェスチャンピオンのカジムダノフが「人間とコンピュータの対決」に関して、かつてこう語っています。
Sports are not about reaching a result. Sport is about developing your inner qualities.自分の中の才能を成長させようとするなら、「相手が弱くてつまらない」よりは、もしかしたら相手が強い方が楽しいのかもしれません。
競技(スポーツ)は記録や勝ちを手に入れるためのものではない。それは、私たちが自分の中ある価値を成長させるためのものだ。
もちろん、…その勝負に負け続けるだけであれば、それはつまらく面白くない気持ちにもなるの確かでしょう。けれど、(強いコンピュータに鍛えられて)自分の将棋の腕が強くなることも、またひとつの事実であるのかもしれません。
コンピュータの街でもあるサンノゼで知った、このカジムダノフの言葉はとても噛みごたえのある・力強い言葉です。
「たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ」
あだち充 「H2 」
2011-02-08[n年前へ]
■MacOSXユーザにお勧めの「ThinkPad USB トラックポイントキーボード」
「いいな」と感じる部分だけを組み合わせた道具があったらいいなと思うことは多いものです。たとえば、そんな風に思うことのひとつに、(旧)IBMのキーボード&ポインティグデバイス環境にApple Mac OSXのGUI環境を足し合わせたものが欲しい、という欲望があります。
Mac OSXを使っていて、実に心地良いGUI環境として、ExposeやSpacesがあります。それは、単なる仮想デスクトップ環境や、(任意の)ウィンドウ選択機能と言ってしまえばそれまでなのですが、その動作速度や動作の仕組みが実に心地良いのです。
しかし、その一方で、IBMや昔の東芝のようなポインティング・デバイスも実に魅力的です。キーボードの上から手を動かさずに、キーボードを叩くこともできれば、ポインティングデバイスを介してマウスを動かすこともできる。自分の意思をエネルギー・ロス無しに伝達することができる、そんなハードウェア・デバイスを使い続けたい、という風にも思います。
というわけで、先日「レノボ・ジャパン ThinkPad USB トラックポイントキーボード(英語) 55Y9003 (オークション ">オークション)」を買って、Mac OSXに繋いでみました。
・・・この環境は実に心地良いです。ドライバをインストールする必要もなく、「ThinkPad USB トラックポイントキーボード 」をMacintoshにUSB経由で繋ぐだけで、キーボードのみならずポインティング・デバイスも使うことができるのです。そして、手をキーボードの上から離さずに、ありとあらゆるキー入力やマウス操作をすることもできます。ボリューム(音声)調整キーも何の問題もなく使うことができて、Thinkpadキーボードから、音声出力を大きくしたり・小さくしたりすることができるのです。
(仮想デスクトップ・ゆーティリティである)Spacesや(ウィンドウ選択ツールである)Exposeも、Lenovo Thinkpad USBキーボードに備えられた(マウス)右・中央ボタンを使うことで、自由自在に操作することができます。この(マウスでいえば)中央ボタンをSpaces操作用キーにしてしまえば、体(手や指)に何の無理をさせる必要も・大きな動きをさせる必要もなく、コンピュータの操作を自由自在に行うことができます。
こんな風に、「いいな」と思った部分だけを組み合わせた道具があったらいいなと思ったりもする一方で、「良くないな」と思うことを受け止める力も得たいなとも感じます。つまるは、「タフさ」を手に入れつつも、「いいな」と思うことを追求する貪欲さも追求したい、と思うのです。
2015-02-08[n年前へ]
■名作CM Sony "Balls" の撮影場所に行ってみよう!
サンフランシスコのダウンタウン近く、まるで小高い山のような坂道を歩いていると、不思議な既視感に襲われました。坂の遙か下に白塔が立っていたり、坂道の下に海が会って小さな島が見えていたり…「どこかで見た景色だ」と感じます。
しばらくして、10年前に流された SONY の有名CM "Balls (Sony Bravia Bouncy Balls)"が撮影された場所だと気づく。…あのCMは、(iPodに入れて)何度も繰り返し眺めていたから、まるで既に眺めていたかのようなデ・ジャヴな心地になったようです。
Filbert st.とLeavenworh st.が交わる交差点に立ち、東の方向を眺めると坂の向こうに見える丘の上に白いCoit Tower が立っています。その左、北方向を眺めると、坂道の下には海が広がっていて、そこにはアルカトラズ島が見えています。
ところで…撮影のために生産した25万個のボールを、下にめがけて投げ出したこのCM、放たれたボールの位置エネルギーは一体どれほどの「凄さ」なのでしょうか?そこで、「何と同じくらいのエネルギーだろう?」と予想をしながら計算してみます。
撮影場所の標高(65m)、ゴムの密度(0.9g/cm^3)、25万個のボールを直径2cmとすると…坂の下、海面近くまで転がっていくボールたちが解放する位置エネルギーは、およそ60万ジュール。
1.5キログラムのTNT火薬が爆発する時のエネルギーと聞けば大きいような気もするけれど、成人女性の1日の摂取カロリー(推奨値 1500kcal)とほぼ同じ…だと、何だか意外に少ないような心地にもなります。
…といった妄想や色んなことを想像させられる、SONY "Balls"の撮影現場、ダウンタウンやフィッシャーマンズワーフから近いので、行ってみると結構面白いかも。