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2008-05-01[n年前へ]

力積で考える「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押し込む打撃」 

 「強いパンチを打つ方法」(物理編)を描きながら、「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押す打撃」の違いを示したグラフを思い出した。空手と合気道の打撃の違いだったか、あるいは、ボクシングのパンチ種の違いだったか、とにかく、非常に強い力を素早く一瞬の間に与える「カミソリパンチ」と、さほど強くはなくともある程度の時間にわたり「ググゥーッと押すような打撃」がどのように異なるかを解説したものだった。

 頭部を打つような場合には「カミソリパンチ」は効果があるけれど、ボディ(腹部・胸部)などを打つには「カミソリパンチ」ではあまり効果がない、というようなことだったと思う。
 つまり、重量の軽い頭部なら一瞬の鋭い力でショックを与えることで(相手の頭部を急激に動かすことで)ダメージを与えることができる。けれど、重量のあるボディ部に対しては、そういった一瞬の力では、力積(力×時間)が小さいため、ダメージを与えることができない、というのである。
 だから、ボディ(腹部・胸部)などに打撃を与えるときには、「ググゥーッと押し込む打撃」が良い、というわけだ。

 「強いパンチを打つ方法」(物理編)では、一瞬「強い力」を与えることはできそうだが、「ググゥーッと押し込む打撃」を与えることはできそうにない。ということは、「強いパンチを打つ方法」(物理編)は頭部狙いの打撃技術ということになりそうだ。

「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押す打撃」






2008-05-02[n年前へ]

理科の教科書に出てくる「仕事」と「駅前で聴く音楽」 

 力積で考える「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押し込む打撃」の「力積」は「力の大きさと力が働く時間を掛けあわせたもの」です。その一方、「力と変位を掛け合わせた(内積)もの」を、理科の教科書の中では「仕事」と呼びます。


ちなみに、AがBに「仕事」をすると、AからBにエネルギーが移ります。

 中学か高校の頃、理科か物理の教科書の中で「仕事」という言葉が出てきたときに、何だかその言葉の感覚と教科書の中での定義がズレていて首を捻ったような覚えがあります。たとえば、Wikipedia に「仕事とは呼ばない例」として挙げられているようなこと

 人が重い荷物を抱え・支えている状況では、荷物は静止していて、エネルギーは変わらない。つまり、この場合、人は荷物に対して仕事をしていない。
を聞きながら、それは仕事でないのかぁ……!?と悩んだわけです。「重い荷物を抱え・支えている状況」はとてもしんどそうなのになぁ……と感じました。それは「仕事」ではないかもしれないけれど、筋肉がパンパンにつく肉体改造・大成長状態だろうに……と思ったのです。
 私と同じように、理科の教科書を読みながら、頭の中に大きなハテナマークを浮かべた人はきっと多いと思います。

 先日、「手作り三次元グラフ」と"Life Work"「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描くといったラクガキをしました。そのとき、”理科の教科書の中の「仕事」の説明を読みながら、頭に浮かんだハテナマーク”を思い出しました。
 あのラクガキ中の「他人の満足」という軸は、「その人がどれだけ他の人を満足させたか・その人の力で他の人(の心を)どれだけ動かしたか」という、まるで理科の教科書に出てくる「仕事」なのかもしれない、と感じたのでした。

 駅前で誰かが演奏している音楽を聴いて心が動かされたとき、「何だか心の中に豊かなエネルギーが入ってきたなぁ」と思ったりもします。それを、理科の教科書を思い出しながら言うならば、「あぁ誰かに仕事をされたんだなぁ」と感じたりするのです。

 「力積」と「仕事」はイコールではありません。もしも、「自らを脅かし・揺るがし、新たな出会いや発見がある」としたら、それは「仕事」よりは、力積に近いものなのだろうか、と思っています。

2008-05-03[n年前へ]

「金玉満堂」と「福来る」 

 台湾系の中華料理屋の2階で周りを眺めていると、たくさんの「福」の字が飾ってある。たくさんの「福」の字が逆さに貼ってある。福の字を逆さにしてしまうと、何だか「福の正反対」のような気もするけれど、これは「福来る」という意味だ。

 中国語で「福が逆さ」は「福倒了」と書き、「福来る」は「福到了」と書く。そして、これら2つの発音は同じだ。そういうわけで、中国語では、逆さの「福」は「福来る」という祈願を意味する言葉になる。

 数え切れない逆さ福に混じり、それと同じくらいの枚数の「金玉」という言葉が壁に張ってある。金玉満堂!?キンタマまんどう……と読みたくなり、なぜにキンタマ?と思いたくもなる。

 けれど、日本語の「金玉」、男性が2個ほど持つ「球状の物体」という意味は中国語の「金玉」にはない。中国語の玉はたとえば宝石のように貴重で美しいものを表現する言葉であって、「丸いもの=球」ではない。だから、中国語の金玉は金色の球でもなければ、日本語のキンタマでもない。……そんなわけで、「金玉満堂」は「財産が蔵に沢山詰まるほど豊かになりますように」という願い・祈りになる。

 「福」の逆さま、まるでキンタマと読みたくなる「金玉」、そんな同じ文字なのに、そんな全然違う色々な意味になるものは多い。

 結局のところ、それが「言葉」というものなのかもしれない。

金玉






2008-05-04[n年前へ]

ゴールデンボールズの放熱問題を解いてみる!? 

 中国語の金玉と日本語の金玉と全然意味が違うという話をしていると(「金玉満堂」と「福来る」)、「日本語の方の語源は何に遡るのか?」「日本語の方が指し示すものの”しわ”は放熱のためか?」という全く別の2つの話題となった。「”しわ”は放熱のためにある」ということの真偽はわからないけれど、もしもその放熱効果を考えてみるならば、”しわ”があることによって、一体どのように効率的な冷却が行われるものだろう?

 放熱・冷却の効果は、皮膚の表面における"各領域での(皮膚と空気層の)温度差"を表面積にわたって積分したものに比例しそうに思える。また、皮膚内部における伝熱も重要であるに違いない。大雑把にラクガキしてみれば、それは下の図の「緑色の面積が大きいほど放熱・冷却効果が大きい」というイメージになる。


 皮膚の”しわ”の効果、表面積の増加、”しわ”が伸びることによる”皮膚と空気層の温度差"の増加、あるいは、(体の)本体と離れることによる伝熱の違い……などを考えていくと、答えを解析的に解くのは困難であるように思える。

 暑い夏になった頃、夏休みの宿題がわりに"エクセルで金玉の放熱問題を数値的に解いてみる"ことにしよう。暑さを吹き飛ばす放熱問題を解いてみることにしよう。

金玉の放熱と日本語の語源放熱問題






2008-05-05[n年前へ]

「サービス整理」と「目標」と「結果」と「理由」 

 『(ヘア)スタイルに関する「知りたい・気になるキーワード」で検索をかけると、たくさんスタイルを見つけることができて、気に入ったスタイルがあれば、そのスタイルを自分の顔で確かめることができる!その流行度合いもわかる!』ということを目標に作ったWEBアプリケーションが、”Make up Award!”でした。「目標」と「結果」はほとんどの場合違うものですが、そんなことが「目標」でした。

 ところで、「目標」と「結果」が違うように、作る「目標」と作る「理由」もまた違います。このWEBアプリ Make up Award! を作ったのは、「Mash up Award 3rd」に参加するためでした。なぜかというと、Mash up Award 3rdに参加すれば、富士ゼロックス株式会社のネットプリント・サービス連携インターフェイスを使うことができると知ったからです。

 コンビニエンスストアに設置してあるコピー・プリンタ複合機とケータイとGoogleMapを連携させよう、という「WEB 2.0時代のコンビニ・プリント活用法」を書いた時に、「もっとコンビニ・プリントをもっと上手く活用してみたい」とつくづく思いました。そう思いながらも、やれたことはネットプリント・サーバをMechanizeでHackするということくらいだったのです。

 そんなフラストレーションがあったせいか、ネットプリント・サービスの連携インターフェイスを使うことができるというだけの理由でMash up Award 3rdに参加しました。もちろん参加したからには、アプリケーションを作らなければならない…というわけで、Make up award!を作りました。Mash up Awardに参加するためのアプリだから、名前は"Make up award!"という単純ストレートなネーミングにしました。ネットプリント・サービスの連携インターフェイスは、転送ファイルサイズなどの制限もあって、サービスに付けるとこまでは行きませんでした。

 ビギナーズラックで"Make up award!"は受賞式に出ることができたのですけれど、今ではその作りは眺めるのもイヤで、自分用のフレームワーク上で画像処理系のWEBアプリをすべて作り直したくなってきました(よくあることだと思いますが)。そこで、"Make up award!"などの整理をし始めました。

 そういうわけで、いつまで現状の"Make up award!"を動かすかどうかわかりませんが、とりあえず、「浴衣」や「卒業式」といったキーワードで、スタイル検索をしてみると、結構面白いく楽しめるかもしれません。その流行度合いをグラフで眺めてみたりすると、あぁこういったものは「季節もの」なんだなぁ、ということを納得させられます。「浴衣」や「卒業式」の言及グラフを少し離れて眺めてみると、季節の移り変わりを実感することができるかもしれません。

2008-05-06[n年前へ]

「舞台裏」 

 マンガ家の西原理恵子が「サンデー毎日」に連載していた4コマ・マンガとエッセイをまとめたものが、1993年に毎日新聞社から出版された「怒濤の虫 」だ。西原理恵子は、「あのコラムは毎日新聞の担当の方が、私の文章を手直ししてくれているんです。時には、原文の姿がどこにも見当たらないほどに」というようなことをどこかで書いていた。その言葉を当然のように受け入れられるほど、確かに「怒涛の虫」はいかにも手馴れた具合で言葉が書き連ねられている。

 世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、ということになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を続けている人にとって、舞台は何なのだろう。
 少し前、河合さんの文章を読み、ずっと思い返していたのは、「怒涛の虫」の中の「死んだのはひとりの芸術家でした」という文章だった。
 彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。
 「怒涛の虫」の中で、(唯一といってよいと思う)4コマ・マンガが描かれず文章だけが書かれていたのが、「死んだのはひとりの芸術家でした」だった。西原理恵子と担当編集者が書いた言葉の割合はわからないけれど、若い頃の西原理恵子の「番外編」のような内容で、なぜかずっと忘れられない。
 死んだのは、フリーアルバイターではなく、ひとりの芸術家でした。

 当時のサンデー毎日の”担当S”、今は毎日新聞で「毎日かあさん」の担当をしているのが、毎日新聞出版局の志摩和生だ。「毎日かあさん 出戻り編 4」の「後ろ見返し写真」には、フリーカメラマンの鴨志田穣の笑う姿とマンガ家の西原理恵子の後姿が写っている。この写真を撮ったのは、カメラのファインダーを覗いて、そんな景色を切り取ったのも志摩和生氏だ。そうだ、あの”担当S”氏だ。

 本が作られるまでの裏作業、写真を撮影するための作業、舞台の上で演じられる演劇の舞台裏…そんなことを見るのも良いな、と時折思う。華やかな舞台の舞台裏や、それとは程遠い舞台裏を知りたい、と時々思う。

2008-05-07[n年前へ]

ローヤル ブリンブリン ガウクリアで胸の美容 

 「ローヤル ブリンブリン ガウクリア」をもらった。 そのパッケージには、

●バストの美容に
●女性の美容と健康維持に
●老若男女を問わずご愛飲下さい。
という売り文句が印刷されている。パッケージデザインは、いかにもバスト美容をイメージした画像が描かれていて、容器や箱を手に取るのが少し恥ずかしい感じだ。

 ローヤル ブリンブリン ガウクリアの粒は「風水専門家設計によるきのこ形」で、品質だけでなく、学業・事業などすべて良くなるイメージを持つ、という。瓶1本のお値段が「(少なくとも印刷されている価格では)一万八千円なり」なので、材料・加工法の売り向上だけでなく、そんな超科学的エッセンスも詰め合わされているのが楽しい。

 ローヤル ブリンブリン ガウクリアのパッケージ裏にはこう書いてある。

 食卓とかお勤め先のデスク等の目のつきやすい場所に常備されて、お召し上がり下さい。
このパッケージを「目のつきやすい場所に常備する」のは、ちょっと気恥ずかしい。それに、「老若男女を問わずバストの美容」というあたりも少し首をひねってしまう。けれど、健康維持の役に立つのなら飲んでみようか…ちょっとコワイけれど。

ローヤルブリンブリンガウクリアローヤルブリンブリンガウクリアローヤルブリンブリンガウクリアローヤルブリンブリンガウクリアローヤルブリンブリンガウクリア






2008-05-08[n年前へ]

「巨大なぷちぷち」の達成感 

 ビニールの緩衝材をプチプチ潰し音を立てる「ぷちぷち」好きな人は多い。目の前に緩衝材があれば、無意識のうちにつまんで「パチッ」と心地良く響く破裂音に耳を澄ます人はたくさんいるだろう、と思う。

 「ぷちぷち」には、やたらに巨大なものもある。 大きな空気の玉を掴んで、力いっぱい潰してみると、やっぱり「パチッ」という音がする。心地良い音が「響く」というよりは、バチッっと力強い音が「響き渡る」という風だ。

 普通のぷちぷちが無意識的な暇つぶし感覚なら、この巨大なぷちぷちの場合は、意識的にやるスポーツのような感覚だ。バチッと三回くらい音を響き渡らせれば、それで「十分やった」というような達成感が得られる。「巨大なぷちぷち」には、普通のぷちぷちとはまた違う魅力がある。

ぷちぷち






2008-05-09[n年前へ]

「新幹線」という名前の場所 

 「新幹線」という場所がある。静岡県函南町にあるその場所は、東海道新幹線が開業するずっと昔、第二次大戦中から「新幹線」という名前で呼ばれていた。


大きな地図で見る

 昭和十年代、「新幹線(弾丸列車)計画」が進められていた。その際、新丹那トンネル工事を行うために工事宿舎が建てられていた地区が、いつしか「新幹線」と呼ばれるようになり、昭和29年には正式に字(あざ)名となった。

 「新幹線(弾丸列車)計画」の流れを汲む東海道新幹線が起工されたのが昭和34年、開業したのが東京オリンピックが開催された昭和39年だ。新幹線という名前の場所は、その場所近くを通る「新幹線」を、20年ほども待ち続けていたことになる。

 最初の「新幹線」を新幹線という場所が20年ほど待ち続けていたように、それぞれの地名はそれぞれの歴史を持っている。不思議な地名を目にすると、歴史ミステリの表紙を開く心地になる。

2008-05-10[n年前へ]

山本式Virtual Sound System ソフトウェア(デバッグ版)を作る 

 「SRS(R)と山本式バーチャルサウンドシステムYVSSを比較する!のナゾ」を読んで、「デジタル的に同一な原音の左右信号を用いた際に、その左右の差(間接音成分)がゼロになっていない結果になっている」ことが気になったので、hirax.net::立体音感を考える::(1999.12.06) で作った山本式Virtual Sound System ソフトウェアのデバッグ版を作ってみました。プログラム内部での左右音の演算後値を "C:\wavemix_debug.text" というファイルにCSV形式で出力します。

 Delphi(Object Pascal)を久しぶり(10年振りくらい)に触りました。何だか、時の流れを感じます。その時間が(自分自身にとって)長いのか一瞬に過ぎないのかは、まだよくわかりません。

 参考までに書けば、Delphiという名前は、データベースソフト Oracleと接続するために作られたことによります。つまり、ギリシャのアポロン神殿で得られる神託(Oracle)=「デルファイ"Delphi"の神託」に由来しています。そんな、個人を離れた悠久の時の流れから見れば、10年はまさに刹那なのだろう、と思います。

 蛇足をさらに書けば、「刹那」は現在では10のマイナス18乗(100京分の1)を示す言葉です。

立体音感を考えるSRS(R)と山本式バーチャルサウンドシステムYVSSを比較する!のナゾ






2008-05-11[n年前へ]

腹部全脂肪面積減少のヒミツ 

 こんなキャッチフレーズの新聞広告を見た。

 「コーヒー豆マンノオリゴ糖」には、腹部全脂肪面積を減少させる効果がみられました。
そこには、(成人男女が)缶コーヒーを一日一回飲むことで、12週間のうちに20cm^2ほど「腹部全脂肪面積」が減少しているグラフが掲載されていた。そのグラフによれば、「比較対照のコーヒー飲料」を一日一回飲んでいた場合には、-4cm^2ほど「腹部全脂肪面積」が増加している結果が示されている。

 「腹部全脂肪面積」とは一体どのようなものだろうか?……単純にそれを想像するなら、それは「腹巻で腹部を巻くようにしたときの円筒状の部分の表面積」に思える。もし、そうであるならば、このグラフは次のような結果に見えてくる。

 「腹巻で腹部を巻くようにしたときの円筒状の部分の表面積」は

高さ(cm)×2×3.14×腹部の半径(cm)
である。腹部の高さは、成人男女であれば20cmほどだろう。そこから逆算して見ると、20cm^2ほどの「腹部全脂肪面積」減少は、0.16cm=1.6mmほどの腹部の半径(脂肪厚み)減少を示すことになる。たった、1.6mmの変化である。

 と書くと、いかにもの「数字のマジック」でしかないようにも思える。しかし、「(腹部に巻く)ベルトの長さの変化」でそれを表現すると、それは1cmほどになる。そう考えて見ると、今度はこの脂肪減少量が結構大きいものに感じられてくる。何しろ、ベルトの穴一個分ほどの量である。

 ちなみに、「比較対照のコーヒー飲料」を一日一回飲んだ場合の「4cm^2ほどの腹部全脂肪面積増加」は、30μmほどの腹部の半径(脂肪厚み)増加を示している。30μmでは髪の毛の太さにも満たない程度の変化である。ここまでくると、誤差としか言いようのない範囲に思える。

 結局のところ、「よくわからない」としか言いようがないが、次にコーヒーを買うときには、この広告が気になって(この)「体脂肪が気になる方に」のコーヒー飲料を買ってしまいそうな気がする。もっとも、「20cm^2ほどの腹部全脂肪面積減少」よりは、「一月でベルトの穴1つウェストが細くなる」という売り文句の方が実感できそうな気もするのだが。

腹部全脂肪表面積減少グラフ






2008-05-12[n年前へ]

続・腹部全脂肪面積減少のヒミツ 

 「腹部全脂肪面積減少のヒミツ」を書いた後に、もしかしたら「腹部全脂肪面積」というのは、腹部の断面を撮影した際の「脂肪の断面積」を表しているのかもしれない、とふと考えた。つまり、右の胴体輪切り画像で言うところの「斜線部分=腹部全脂肪面積」なのかもしれない、と考えた。

 腹部断面の脂肪断面積を「全脂肪」と言うのも不思議な感じがするし、それを「面積」と言うのもまた奇妙な気がするけれど、ふとそう考えた。そこで、「腹部全脂肪面積」が腹部断面における「脂肪の断面積」だった場合に、

20cm^2ほどの「腹部全脂肪面積」減少
がどの程度の脂肪厚み変化に相当するかを計算してみた。

 すると、たとえばウェスト(腹部周囲長)が85cmの人であれば、20cm^2ほどの「腹部断面積」の変化は、腹部の半径(脂肪厚み)が2mm減少することに相当することがわかる。ということは、「腹部全脂肪面積」=「腹巻で腹部を巻くようにしたときの円筒状の部分の表面積」とした時の昨日の計算結果、すなわち、腹部の半径(脂肪厚み)が1.6mm減少する、という結果と大して違いがないものになる。

 ……とはいえ、脂肪厚みが2mm弱減少する、つまり、ベルトの穴で一つ細くなる、というのは(それが本当であれば)結構魅力的である。一体、香るブラック ブレンディの「コーヒー豆マンノオリゴ糖」のちからが示す「腹部全脂肪面積」は何を示しているのだろうか。

続・腹部全脂肪表面積減少のヒミツ






2008-05-13[n年前へ]

「レアメタル(希少金属)」と「(森下)仁丹」 

 レアメタル(希少金属)の記事をよく見かけるようになった。「希少」な金属、言い換えれば「需要に対して供給量が足りない」金属があることを説明する記事や、使われなくなった携帯電話や電子基板からレアメタルをリサイクルしようとする企業がいること、希少金属の産出箇所が限られていることなど語るニュースをよく見かけるようになった。

 レアメタルにまつわるニュースを見ながら不思議に思い出すのは、どの駅にも欠かさず置いてある希少金属だ。駅の構内を行きかう人たちが持ち歩く携帯電話に載せられているレアメタルではなく。つまり、コスト(値段)と性能(できること)を考えたバランスの上で使われている希少金属ではなく、何だかよくわからないけれど希少なはずの「銀」が使われている森下「仁丹」、小さな粒の生薬が銀箔に包まれている森下「仁丹」、強く生薬独特の匂いを撒き散らすあの「仁丹」だ。

 箪笥(たんす)の奥には「おばあちゃんの匂い」が詰まっているという人は多い。そして、森下「仁丹」は「おじいちゃんの匂い」がだという人も多い。そんな「おじいちゃんの匂い」が詰まっている「仁丹」は必ず駅のキオスク(KIOSK)に置いてある。20世紀初頭に生まれ銀箔に包まれた「仁丹」が、21世紀の現在のキオスクに常備してあるのは不思議だけれど、何だか素敵だと思う。

 「仁丹」が22世紀にも残っているとは思えない。そして、銀箔に包まれた「仁丹」は、きっともうじき消えそうに思う。需要が遥かに供給量を上回り、その状態を反映し銀の価格が上昇していくならば、いつか銀箔に包まれた小粒の仁丹は消えてしまうことだろう。

 けれど、まだ駅の売店ではおじいちゃんの匂いが詰まった森下「仁丹」を売っている。レアメタルが詰まった携帯電話を持った人が行き来する駅のホームには、まだ、懐かしいおじいちゃんの匂いが置いてある。

仁丹






2008-05-14[n年前へ]

続々・腹部全脂肪面積減少のヒミツ 

 こんなことを教えて頂きました。

 脂肪が多いと(肥満していると)、脳卒中・心筋梗塞などの疾病に罹患しやすいのですが、脂肪が多くとも比較的元気な人と高リスクの人がいることがわかってきました。そこで、「内臓脂肪による肥満」と「皮下脂肪による肥満」が健康に与える影響は違うという仮説が出てきました。
 さらに、他人どうしを互いに比較するために、へそ(臍)の高さの断面写真から「内臓脂肪面積」「皮下脂肪面積」「総脂肪面積」が測定されるようになりました。
 コーヒー広告の「腹部全脂肪面積」というのは、この「臍の高さでとったCTから測定されたトータルの脂肪の面積」ではないでしょうか。
 ということは、コーヒー豆マンノオリゴ糖」の広告言うところの腹部全脂肪面積は、「続・腹部全脂肪面積減少のヒミツ」と同じような次元のものであるように思われます。

 20cm^2ほどの断面積は、集めて見れば「4.5cm×4.5cm」になります。「5cm四方の面積の脂肪」を思い浮かべれば、それは大きな脂肪の塊に思えます。その一方で、円周が85cmで幅が2mmのドーナツ状の脂肪を想像すると、それはごく薄い脂肪に感じられてきます。何だかそんな違いは不思議で面白いと思います。

 一万分の一と聞くととても小さく感じると同時に、白い1m^2の中の1cm^2の黒い領域はとても大きく感じたりもします。それが、人の感覚というものなのかもしれません。不思議なものです。

2008-05-15[n年前へ]

PSoC制御の「加熱ホッケーブレード」や「堅さ可変シューズ」 

 PSoCはCypress社のマイコン・チップで、各種デジタル・アナログ回路が搭載されていて、その組み合わせをユーザがプログラミング(設計)できる、というものだ。FPGAほど高性能ではないけれど、PICより少し賢く便利なアナログ回路が色々詰めあわされている(だから周辺回路を大幅に減らすことができる)、という感じだろうか。アナログ制御・入出力をしたい場合には、とても便利そうなチップである。

 このPSoCが使われている商品で面白いなぁ、と思うのが「Therma Blade」と「adidas_1, intelligence level 1.1.」だ。

 Therma Bladeの方は、アイス・ホッケー・シューズのブレード(氷と接触する金属板部)の氷との摩擦係数を低くし、スピードを高めるために、PSoCでヒーター制御し、ホッケー・シューズ・ブレードの温度を適正に調整したり、ON/OFFしたりするものである。スケートが滑るのは、ブレードと氷の間で氷が解け水になることで、摩擦係数が下がるだ。それならば、「ブレードの温度を上手く制御してやれば、摩擦係数が下がりスピード速く滑ることができる」という狙いの技術である。



 一方、adidas_1, intelligence level 1.1.の方は、PSoCで制御したモータで踵部分にあるエアクッション部を押すことで、エアクッション内圧力=靴の堅さ(衝撃吸収率)を適正に変える、というものだ。電子制御されている車のサスペンション機構(タイヤと車ボディの間で、路面の凹凸・カーブなどがあるときの衝撃を吸収する機構)も多いけれど、それと同じような技術が搭載されたシューズである。

 こういったシューズで高機能・高付加価値の流れはどれだけ進んでいくのだろうか。いつか、「トランジスタ技術4月号」で、「フレッシャーズのためのアイスホッケーシューズ制御のABC」といった特集記事が当たり前のように書かれる日が来るのだろうか。

adidasThermabladespSoCshoseshoesblade






2008-05-16[n年前へ]

バストの測り方の「定義」と「実態」 

 男性にとって「バストサイズの測り方」は、接する機会の少ないもののトップ10に入るものの一つだ。しかし、女性からしてみれば、そんなことは、日常生活の中で当たり前のように知っている「常識トップ10」に必ず入ることの一つに違いない。

 「ブラジャー・カップ解体新書」で調べたように、「ブラジャーのカップ数」は、JIS規格によれば、ボトムバスト(胸のバスト直下の部分の胸囲)とトップバスト(バスト部分の胸囲)の差で決められている。
 このJIS規格(JIS L 4006)は、一見すると実に事務的で厳密な定義に見える。……しかし、よく考えて見ればこれほど曖昧な定義もない。ボトムバスト=「バスト直下の部分の胸囲」はともかく、トップバスト=「バスト部分の胸囲」というものをよく考えて見れば、これほど曖昧な規格もない。

 その疑問をひとことでいえば、「バスト部分」とは一体何だろうか。その形も存在も定かでなく、まるでアメーバのように姿を変える「バスト部分の胸囲」とは一体何を指すのだろうか。ブラジャーのサイズを規定しているJIS規格JIS L 4006「ファンデーションのサイズ」からでは、「トップバスト」が何であるか(さらにはカップサイズが何であるか)は、実はまったくわからないのである。

 トップバストの定義を調べていくと、ワンピース作成時の測定寸法表(PDF) や、基本身体寸法の表示など、「女子のバストポイントを通る胸部の水平周囲長」といった表現が多い。男性がこの言葉から受けるイメージは、「直立した女性の胸部を、水平に輪切りしたような状態で、巻尺(メジャー)で図った周囲長」である。しかし、トップバスとの計り方の「実態」は違うらしい。

 青山まりの「ブラの本。」を読み返してみると、「(まっすぐ立って計ると、実際より小さな値になってしまうので)90度の角度で、お辞儀をするスタイルでトップバストを計る」と書いてあった。つまり、バストの周囲の脂肪が胸部に集まり、そして伸びているような状態で胸部の周囲長を計るのが、トップバストの計り方の「実態」だというわけである。

 「理想」/「現実」や「定義」/「実態」など本来ひとつの同じものにも複数の姿(見方)がある。裏も表もなく、ただ一つの見方しかない(できない)ものは、映画やテレビのセットくらいで、現実には存在しない。「ブラジャーのトップバストの測り方」からそんなことを考える……のは妄想しすぎ、なのだろう。

トップバストの計り方






2008-05-17[n年前へ]

RSSリーダは「究極の読み飛ばし」を提供する 

 スラッシュドットのRSSに関する記事を読んだ。RSSリーダで「記事更新と大雑把な記事内容を知るため」でなく、記事を眺めるだけで済ます人は、究極の速読をしているのだと思う。楽に、異なるフォーマットのWEBページ郡に書かれている内容を「大雑把に素早く滑らかにパラパラと眺める」ことができるRSSリーダは、実に便利だとも思う。その便利さをひとことで言えば「眺め飛ばすことができる」というものだ。

 RSSリーダ「だけ」で記事を読み済ます人がどれだけいるかは知らない。が、そんな人は、「読んでいる」のではなく「見ている」だけであることに留意することが大切だと思っている。文章や画像の配置や配色、動画やメディアファイルの情報が失わなれたものを眺めているのは、非常に大雑把に眺め飛ばしているだけだ、と意識することが欠かせない、と思っている。

RSS






2008-05-18[n年前へ]

ブラジャーが透けない「モカ茶のヌードライナー」と「シャツの色」 

 「ブラジャーはシャツの色と同系色でないと透けて見えてしまう」と聞いたことがある。「ブラジャーを着けている部分(A)と着けていない部分(B)に色の差があると、シャツの上からブラジャーが識別できる」ということを「透けて見える」というのだろうか。だとすれば、確かに、ブラジャーとシャツが同系色であればAとBの色差が小さいために、ブラジャーが識別できない=透けて見えることはない、ということになる。

 青山まりの「ブラの本。」を読み直していると、こんなことが書いてあった。

 どんなにカラフルな色のブラジャーを着けても、その上にモカ茶のヌードライナーを着れば、表に透けません。
  青山まり 「ブラの本。」 p.121
   なぜ、「モカ茶」のヌードライナー(スリップ)の下のブラジャーは見えづらいのだろう? それは一体なぜだろうか。

  モカ茶はこんな色(Spectrum Color Conversion)である。RGBで表現して見ると、RGB = (1.0,0.3,0.3) * 255という感じだろうか。モカ茶色のヌードライナーの下に、たとえば赤い色RGB = (1.0,0,0) * 255のブラジャーを着けた場合の色を、大雑把に単純に近似すると( a*(1.0,0.3,0.3) +(1-a)^2 * (1.0,0.3,0.3) × (1.0,0,0) ) *255 という具合になりそうだ。ここで、aやbはヌードライナー(スリップ)が(その内側を隠す割合を示す)隠蔽率・着色度を示す係数である。端的に言えば、aはヌードライナー中での光散乱を示す係数だ。

 この式を眺めて見ると、まず、モカ茶色のヌードライナーの下の赤い色や黄色い色のブラジャーは識別できそうにないことがわかる。それは、モカ茶色に緑色や青色の成分がそのそも少ないために、ブラジャー中の赤色光の量が小さくない限り(上記式による)外から見た色は大差なくなってしまうからである。

 では、青色のブラや緑色のブラならどうだろうか。適当な値を入れて見ると、たとえばこんな感じになる。

 色の違いは微妙で「ブラが透けて見えない」とも言えそうでもあるし、「微妙にブラが透けて見える」とも見える。結局のところ、よくわからない、としか言いようがない。
 定量的なデータが入手できた時にでも、「モカ茶のヌードライナー」と「シャツの色」と「ブラの色」の「見え方」について、真面目にシミュレーションでもしてみることにしようか。


spectrum






2008-05-19[n年前へ]

ビデオ業界でのバストサイズの計り方 

 バストの測り方の「定義」と「実態」で書いたように、青山まりの「ブラの本。」には

(まっすぐ立って計ると、実際より小さな値になってしまうので)90度の角度で、お辞儀をするスタイルでトップバストを計る
というようなことが書いてある。

 技術的な文章に登場するような、トップバスト=「直立した女性の胸部を、水平に輪切りしたような状態で、巻尺(メジャー)で計った周囲長」というように定義する計り方もあれば、最近の女性の間ではより一般的に用いられている「90度の角度でお辞儀をするようにして計る」という計り方もある。いくつもの「見方(視点)」があるように、「計り方」もいくつも、ある。

 そしてこの他にも、つまり、「最近の女性の間では一般的な計り方」とは違う計り方もさらにあるという。それは、(アダルト)ビデオ業界でのバストサイズの計り方だ。

 (アダルト)ビデオ業界で、どのようにトップバストを計るのが一般的かというと、

(右の図のように)「(手をついた)うつ伏せ」の状態になって計るのが普通だ
……という。この話を聞いたときに考えたことは、そんな計り方をするのは、(特に計測対象が大きな人が多い業界で)「90度の角度で、お辞儀をするスタイル」は腰に悪いからではないか、という想像である。5kg近い負荷を上半身にかけ、90度のお辞儀姿勢は大変そうだから、「(手をついた)うつ伏せ」でトップバストを計るのが一般的になったのではないか、という妄想である。

 本当のところ、その理由がどんなものなのかはわからない。それどころか、「本当の理由」があるのかどうかもわからない。しかし、たくさんの「計り方=見方」があって、そのそれぞれの計り方・見方には各々理由があるのだろう、と思う。そんなことを考えたきっかけは、「トップバストの計り方」なのだけれども、そう思う。

ビデオ業界でのバストサイズの計り方






2008-05-20[n年前へ]

「ネイティブ言語」の意外性 

 「DAPDNA」は、IP Flexダイナミック・リコンフィギュラブル・プロセッサ「DAPDNA」だ。ダイナミック・リコンフィギュラブル(動的再構成)技術、つまり、チップの処理内容をns(ナノ秒)単位で切替えることで、多種機能を自由度高く比較的小規模なチップで実現することができるチップである。

 私は去年、日本ですごい異世界を発見してしまいました。手話です。ネーティブの人、つまり「ろう者」の先生から直接手話を習っているんです。福祉に目覚めたわけでは全然なく、それが言語だと知ったからなんです。
  高野秀行

 このDAPDNAの統合開発環境には2種類ある。一つは、C言語のような「高級言語」を使う DFC Compiler で、もう一つが演算器をドラッグ・アンド・ドロップで繫げるGUI 形式の開発環境 DNA Designer だ。

 DAPDNAの紹介文書を眺めていると、”DFC Compiler ではC(風)言語で手軽・簡単に記述することができます””DNA DesignerはGUIを使った開発環境で、ハードウェアの能力を最大限に活用した細かなチューニングをすることができます”というようなことが書いてあった。一瞬、「おやっ?」と不思議に感じた。「C言語なら簡単・手軽で、GUIプログラミングではハードウェアの能力を活かしきるチューニングが可能だ」というフレーズに意外性を感じた。たとえば、「Windowsのアプリケーションを作るのに、APIゴリゴリのプログラミングより、GUI開発環境でプログラミングする方が、チューニングできる」と聞いて、「あれっ?」と感じるような意外性を感じたのである。

 言語が違うということは世界の見え方が違うということです。

  高野秀行

 しかし、これは少し考えれば当然のことだ。行いたい処理を、「C言語」で記述した内容から演算器群を用いて自動生成するのと、演算器を回路図として記述するのでは、後者の方が「ハードウェアの能力を最大限に活用した細かなチューニングをすることができる」のは当たり前である。GUI開発環境上でドラッグ・アンド・ドロップされ、それらの繋がりが描かれた演算器群こそが、こういったチップの動きを一番素直に記述する「ネイティブ言語」なのである。並列化が進んだシステム上で動くものを作るときには、GUI言語こそがネイティブ言語と言えるのかもしれない。

 手話も、手話ネーティブもほんとに面白い。福祉の話題にしておくのはもったいなさすぎます。こんなに文字かなところに異世界があるんだから、一人でも多くの人に楽しんでほしい。

  高野秀行

CGUICIRCUIT






2008-05-21[n年前へ]

「言語の特徴」と「古池や蛙飛び込む水の音」 

 言語はそれぞれ個性を持っていて、それを学ぼうとする私たちは、それを新鮮に感じたり、それを面倒だなぁ、と感じたりする。たとえば、名詞ごとに性別があったり、複数形単数形で言葉が姿を変えたりする。あるいは、音の大きさでリズムが刻まれたり、あるいは、音の高低で言葉の意味が変わったりする。そんな特徴は、私たちを悩ませると同時に、不思議な面白さも感じさせる。

 今週号の週刊SPA!の坪内祐三×福田和也「これでいいのだ!」を読んでいて興味深く感じたのが、松尾芭蕉の「古池に飛び込んだ蛙は一匹か?100匹か?」という話題だ。自然な日本語では、複数形と単数形をほとんど区別しない。だから、「蛙」という言葉が書かれていても、その蛙が一匹なのか、それとも100匹なのかはわからない。そして、「水の音」と書いてあっても、それが「たくさんの水音」なのか、「ひとつ響き渡る水の音」なのかは、わからない。

古池や蛙飛び込む水の音
  松尾芭蕉

 この「蛙」をラフカディオ・ハーンは"frogs"と訳し、正岡子規やドナルド・キーンは、"a frog"と訳したという。古池の水面に一匹の蛙が飛び込み水音が静かに聞こえるのと、たくさんの蛙が次々と水中に飛び込んでいき、その音が次々と響き渡るのとでは、全く違う景色である。全く違う世界だ。「終わり」と「始まり」という言葉と同じくらい違う趣(おもむき)の景色だ。

 蛙が何匹であるのか、その水音はどんな響きなのか、それは読者の心が決める。その自由度が、曖昧であると同時にとても良い。

松尾芭蕉






2008-05-22[n年前へ]

グラビア写真の「体積」と「面積」の大きさ感覚 

 当たり前のようだが、体積と面積は次元が違う。たとえば、「満腹30倍」ダイエットキャンディのヒミツでは、こんなことを書いた。

 体積で30倍ということは、長さでは3倍程度に過ぎない。つまり、「縦3倍×横3倍×高さ3倍≒体積30倍」というわけである。
 「体積が30倍でも長さは3倍程度に過ぎない」というこの当たり前の「意外さ・齟齬」は、次元にまつわる色々なことに対して当てはまる。

 グラビア写真を撮影するカメラマンいわく、

 実際に見ていると、胸がとても大きく感じるモデルを撮影していても、写真にしてしまうとその大きさがあまり感じられなくなってしまう。なぜか、胸が小さく見えてしまう。
だという。実際に三次元の物体を眺めている時に感じる巨大さを、二次元の画像で眺めてしまうと、あまり巨大には見えなくなってしまうのだ、というのである。

 「体積が30倍でも長さは3倍程度に過ぎない」ということは、体積が30倍の立方体は、面積では3x3=9倍程度に過ぎない。半球で言えば、体積が2倍もある半球であっても、断面部分の面積に換算してみれば、それは1.6倍に過ぎない。

 つまり、バストのような3次元の半球状物体を、2次元平面で把握してしまうと、三次元立体として把握したときに比べて、「大きさ」がかなり小さく感じられてしまうのだ。

 たとえば、グラビアカメラマンの立場からすると、この違いは大問題に違いない。

 「(体積や面積といった)次元」と「グラビア写真」という一見関係なさそうに見えるものも、実は密接に繋がっている。無味乾燥に思える教科書に書かれていることで、グラビア写真集を写している人たちの苦労が想像できる、ということが意外で面白い。

2008-05-23[n年前へ]

『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 「個性溢れる11人の経済学者の方々に話を聞く」という趣旨の本、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』が発売されました。大竹文雄・玄田有史・友野典男・松原隆一郎・小島寛之・奥村宏・西村和雄・森永卓郎・中島隆信・栗田啓子・中村達也という、11人の経済に関わる方々が、ものわかりの悪い生徒に実に丁寧に教えてくれたこと、その内容が本になりました。

 本書には、一般の方々や経済学者の方々のアンケートから、「経済学者」「一般のひと」がそっくりだけれど、ほんの少しだけ違う姿が浮かび上がり、「豊かになるために必要なもの」をクラスタ分析した結果から、「希望とか自由とか愛」といった見えないものの繋がりを眺めたりすることができるオマケもついています。また、産業・科学や芸術・宗教といった歴史背景と、経済学の世界地図の上に時系列で並べた「歴史年表」もついています。

 豊かになるために、小島先生はたくさんのものを選び、(「若い頃は時間があるけれど金がなかった。今は時間だけが必要…つまりは年をとったということです」といった言葉とともに)大竹先生と友野先生は時間だけを必要とし、森永先生は「愛」だけを選びました……

 一般の方々や経済学者の方々へのアンケート結果、そこに記された言葉を眺めていると、不思議なほど私たち自身(そして私たちの分身のような経済学者の方々)の姿が見えてきます。そんな私たち自身の姿・私たち自身が望むことを眺めつつ、経済学者の先生方が話すこと読むのも、一興かと思います。

理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く!






2008-05-24[n年前へ]

続・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 クールビズ・ウォームビズの効果に関するシミュレーション記事の「原稿料の分け方」を飲み屋で話したことをきっかけとして、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』は生まれました。

 私が授業を受けた11人の経済学者の先生たちには、2つの特徴があったように思います。1つは、ものごとを色々な方向から眺め一種冷めた考え方もする、ということでした。そして、もう1つは、多くの人と同じように、先生方の仕事への熱意は「素朴で単純な」暖かな気持から生まれているのかもしれない、と感じたことです。つまり、クールな頭とウォームな心が混じりあっていた、ということです。
  「はじめに」

 単行本にするにあたり、コラム(今気づきましたが、p.217のフローチャート中の「上がる」「下がる」が逆になっていました)や読んで欲しいと感じた本の「ブックガイド」を書き足しました。インタビューから少し時間を経てから書いたものですが、その分、少し漬かっていて味が深まっていると良いな、と願っています。

 何より大変で、なおかつ、何より一番新鮮だったのが「経済学者の先生方に行ったアンケートの集計作業」でした。「好きな経済学者とその理由」「分数もできないみんなの判断でも”正しい”ことが多いと思うか?」「豊かになるために必要なものは何ですか?」という3つの拙い設問に対して書かれた言葉は、本当にどれも新鮮に感じたのです。記事中で先生方が語った言葉をアンケートに書かれた言葉とともに読み直したい。改めてその言葉を聞き返したいと強く感じさせられました。

 「経済学の目的はみんなを幸せに豊かにすること」だといいます。それならば、「幸せ・豊かさ」とは一体何なのでしょうか。そんな「豊かさ」というものは、人が自分自身で見つけ出すしかないのかもしれません。そんな「豊かさ」は少し「孤独」と似ています。
 最終ページ 中村達也著「豊かさの孤独」に対する紹介文

『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』






2008-05-25[n年前へ]

続々・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』を出す際に、200人の人たちに「あなたが豊か・幸せになるために必要なものは何ですか?」と尋ねてみました。右に走り書きしたような「自由」「お金」「食べもの」「時間」といった選択肢を並べ見せながら、その人が豊か・幸せになるために必要なもの、を尋ねてみたのです。

 そして、amazonで表示される「お勧め本」やはてなダイアリの「お勧めページ」を算出するのと同じように、つまりはその選択肢を選んだ人の重複度合いなどを計算し、クラスタ分析をした結果の樹形図が右のようになります。右の図ではA,B,C……などのように記号で書いたありますが、もちろん、本の中でもアルファベットが書いてあるわけではなく、「お金」「睡眠」「時間」といったものがクラスタ分析・表示されているわけです。つまりは、「クイズの答え」を知りたくなったら、本書を手にとりそのページを眺めてみて下さいね、ということになります。

 「貨幣とは鋳造された自由である」というのはドストエフスキーの言葉ですが、クラスタ分析の結果は、見事なまでに「お金」と「自由」の距離や、「愛」や「希望」の距離を算出しています。右の図のA,B,C,D,……といった記号が「一体どんな言葉」なのか予想をしてみて、そして回答編を書店で眺め・楽しんで頂けたら幸いです。

クラスタ分析結果選択肢






2008-05-26[n年前へ]

ハードディスクに「手動でデータを書き込んでみる」 

 ハードディスクが動かなくなった。動作音を聞いていると、ヘッドが動こうとしてはいるけれど動くことができない……そんな感じの音だ。仕方がないので、このハードディスクを使うことはもうあきらめて、ディスクの覆いを開いた状態でどんな風に動いているかを眺めて見ることにした。それが、この下に貼り付けた動画である。



 ハードディスクの動きを眺めているうちに、ふと、ただ眺めているだけではつまらないような気がしてきた。そこで、ハードディスクに手動でデータを書き込んでみることにした。ホワイトボード用のカラフルなペンを手に持ち、高速で回るハードディスクの表面にデータを書き込んでみたのである。

 そのようすが次の動画である。まるで「ろくろの上で回る陶器に色付けをしている」ような具合になった。意味あるデータを書き込むことはできそうにないが、素早く回るハードディスクにラクガキをするのはなかなかに綺麗で新鮮だ。



2008-05-27[n年前へ]

「色んな単位」と「”メガ”+”乳”=”メガ乳”という方程式」 

 「メガ乳」という言葉の発明者と会ったことがある。マクドナルドのハンバーガー「メガ・マック」などをきっかけに、メガ×○△といった言葉を良く聞くようになったが、最近では、この「メガ乳」という言葉が使われることも多いらしい。「100万倍」を意味する科学用語・単位「メガ」が、こういった用途に使われるということに、奇妙な新鮮さを感じる。

 科学離れが語られる今日この頃だけれども、こんなことにも「100万倍=メガ(mega)」という科学用語が使われているのだ。科学と日常生活の距離は、ずっと昔からそうだったように、(もちろん、近いとも限らないが)決して遠くはないのである。

 よくよく眺めて見ると、「メガ」+「乳」=「メガ乳」という言葉は、案外良い組み合わせだと思う。たとえば、「メガ乳」の10億倍を意味する「1000兆倍=ペタ(peta)」では、「ペタ」+「乳」=「ペタ乳」になってしまう。これでは、妙にフラットな印象をかもし出してしまうように思う。それなら、むしろメガの10万分の1の「10倍=デカ(deca)」の方が迫力を感じるような気がする。

 単位系を眺めているうちに、結構気に入ったのが「1兆分の1=ピコ(pico)」だ。「乳」という言葉の接頭語としては、「ピコ」も結構似合うような気がする。

メガマックSI単位系






2008-05-28[n年前へ]

『専門家11人に「経済学」を聞く! 』と『11人いる!』 

 私個人の感覚としては、『理系サラリーマン専門家11人に「経済学」を聞く!』の「11人に聞く!」というタイトルは、萩尾望都のSF漫画「11人いる!」の暗黙的なパロディです。

 小島寛之先生に、「10人の経済学者がいれば、11個の経済学説がある」という話を聞きました。その時、ふと「11人いる!」を思い出しました。あの話は「ロケットに乗ったのは10人のはずなのに、なぜか11人いる!」という話でした。「11人いる!」の結末は、「宇宙では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが起きる。そんな時にどうするかが宇宙では重要だ」という感じだったように思います。

 宇宙大学への入学のための試験会場の宇宙船へ着いてみると、10人のハズが1人増えていた!

 そんなことを、玄田有史先生に話を聞いた時にも、感じました。上の言葉の「宇宙」を「人生」に置き直したら、玄田先生が語る言葉に近いように感じたのです。あえて書いてしまえば、それは、「人生では思ってもいないことが起きる。必ず想定外のことが人生では起きる。 そんな時にどうするかを知ることが、本来の人生教育だ」というような具合です。

 というわけで、経済学者が「11人いる!」と気づいた時に、何だかちょっと面白く・そして何故か当然のようにも感じたのです。

 宇宙はつねに変化に満ちている概念が通用しない場合もある常に異端の11人目が存在するようなものだ。

2008-05-29[n年前へ]

「言葉を解釈する文章」と「眼で見る文章」 

 南伸坊の「ごはんつぶがついてます」中で宮武外骨に関して書いた文章を読み、「あぁ、そういうことなんだよなぁ」と感じた。

 一般に「頭がいい」とされる人は、説明のできる人であって、つまり言葉でわかっている人、耳の人のことです。
 ここで言っている「耳の人」というのは、「音を聞く器官としての耳」というよりは、「言葉を解釈する器官としての耳」というような意味合いだ。本当に素の文字の羅列としての言葉だけを受け取る器官というニュアンスである。
 南伸坊はこんな感じ方に対する説明を書く一方で、それとことなる「解る」をも並べ書く。
 論理をつみあげていって、何かを解(わか)るというのではなく、何かをじっと見ていたり、何かをそこらに並べて、一望していることで、解ることというのがあります。
 南伸坊は、「こういった感じ方をする人々は耳の人ではなく眼の人だ」と名付ける。
 さて、眼の人である宮武外骨は、文章も眼で書いています。……つまり書かれている「内容」ではなくて、書かれ方が「内容」であるというような意味合いにおいて、これは眼の文章なのです。
 「ごはんつぶがついてます」 p.192
 南伸坊が言う「眼の文章」というのは、レイアウト・タイポグラフィー・イラストレーション……といったものがすべて組み合わさった総合体を指している。
 さまざまなWEBページを眺めるとき、ページごとにスタイルも違っていて読みづらさを感じる時がある。もしかしたら、そう感じる時は「耳の人」寄りな頭になっているのかもしれない。そして、スタイルシートでデザインされたページを眺めていて、何だか色々なものの組み合わせが合わさった気持ちよさを感じ、何かを読み取ったつもりになりそうなときは、きっと、「眼の人」よりになっているに違いない。
 そんな、「言葉を解釈する文章(あるいは読み方)」と「眼で見る文章(あるいは見方)」があって、それはそれぞれ得意・不得意な分野があるのだろうと思う。
 論理を積み重ねるようなものが得意な方、曖昧模糊としたものを明瞭に浮かび上がらせることが得意な方、その両方の感覚を兼ね備えられれば良いのかもしれないが、現実それは無理な話だろう。せいぜい、その時の自分の読み方が「耳の人」寄りなのか「眼の人」寄りなのかを意識しておくことくらいしか、できないのかもしれない。

2008-05-30[n年前へ]

(加速度センサ対応)体感・実感バストシミュレータを作る 

 体感・実感バストシミュレータを作ってみました。アプリケーションのウィンドーを揺らしたり、(もしThinkpadユーザなら)PCを揺らしたりすると、その振動に応じた変形を計算・表示するというシミュレータです。下の動画はその(Windows上で動作する)アプリケーションを動かしている例になります。マウスでウィンドーを動かすと、その力(加速度)に応じた複雑な変形が生じたりすることが見て取れると思います。
 また、Thinkpadを持ち上げ、傾けてみたり・揺らしてみたりすると、その動きに対応する変形が生じるので、まるでバーチャルリアリティのようにその変形の因果関係を体感できるかもしれません。端的に言ってしまえば、このアプリケーションを動かしつつ胸の前でThinkpadを持って体を動かすと、その動きに応じた変形シミュレーション計算結果を刻々表示(レンダリング)する、なんていう遊びもできるわけです。

 不可思議に見える動きでも、案外こんな実験をしているうちに、その因果関係を実感・納得できるかもれいません。それが、「体感バストシミュレータ」だったりすると、ナニな感じは漂いますが、そんなクダらなさがこのサイトの一つの特徴でもあるので、(色々な視点から眺めた下の動画でも)適当に流し見しつつ・楽しんで頂けたら幸いです。

 このアプリケーション(バイナリ実行ファイル)はここに置いてあります。計算部はC++で適当・速攻で作り、(皮膚からの表面張力を働く)弾性・塑性的な性質を持つPartcleクラスを多数保持するBodyクラスにより、変形状態が計算される、という具合です。書き飛ばした部分を整理し、C++ Bodyクラスのソースも近々置いてくことにしようと思っています。

2008-05-31[n年前へ]

鴻上尚史の「仕事の分類」「恋愛関係の分類」 

 鴻上尚史のドン・キホーテのピアス(668)に、俳優やミュージシャンになろうとする子供を応援する親が増えてきたことに驚きつつ、「きっちりした仕事」「浮き草のような仕事」や「実業」や「虚業」といった区別に意味のない時代になっていて、「やりたい仕事」「やりたくない仕事」くらいの区別しかできなくなっているのかもしれない、ということが書いてあった。

 もっと厳密に言うと、「やりたいけどやれない仕事」と「やれるけどやりたくない仕事」と「やりたくないけどやらなきゃいけない仕事」ということかな。
 おっ、まるで、恋愛関係みたいだ。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 「「手作り三次元グラフ」と"Life Work"」や「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描く」で作った分類(黒色の横軸="他人の満足"という軸。あるいは、その"他人の満足"が形を変えた”お金”といったもの、青色の縦軸は"自分(本人)の欲求・満足"を示す軸、赤色の軸は"時間軸")に少し似ています。

 少し似てはいますが、鴻上尚史の分類には上のような分類とは決定的に違う・それはまさに決定的な軸がひとつ入っています。それは「やれるけれどやりたくない」と「やりたくないけどやらなきゃいけない」の間で迷い・決定するという「選択肢・意思」です。その選択や意思の軸が、鴻上尚史の分類では明確に描かれています。
 私が描いた三次元図では、もしも人がこの三次元中を移動していくように見る場合には、その人が(その人の仕事が)動く軌跡の過程の中にその選択肢が含まれているというわけです。

 俳優とかバンドマンどか、表現にかかわる仕事の多くは、「失業が前提」の職業になります。……「やりたくてやれる俳優の仕事」が来る日まで、「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするかどうか迷いながら、(「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするくらいなら、レストランのバイトなんかの)「やりたくないけどやらなきゃいけない他の仕事」で生き延びるのです。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 ふと、私が描いた「自分の満足軸」と「他人の満足軸」が一致してしまったりすると、あるいは、その区別ができなくなってしまうと、「自分自身の満足」というものは得られない・見えなくなってしまうのかもしれない、と思う。
 この資本主義社会に生きている限り、商品とは、他人の欲望を具体化したものです。自分が作りたいだけでは、それは商品とはなりません。それが、他人が欲望するものとなって初めて商品となるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社
 …問題がひとつだけあるとすると、優秀なセールスマンほど他人の欲望をまず一番に考え続ける結果、自分の欲望がわからなくなることです。いったい、自分は何がしたいのか、自分の人生の意味は何なのか、全くわからなくなるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社

「勝った試合」と「負けた試合」から学ぶこと 

 「たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ」
  H2 あだち充