2003-09-01[n年前へ]
■紙 v.s. ディスプレイの読みやすさ
「PCで文章を読むとき、同じものを紙で読むよりも読みづらく感じます。これは何故なのか、詳しく説明している所はありますか?」というはてなの質問を遠く懐かしく感じて少し書いてみたので、ここにも少し書いておく。
富士ゼロックスの小清水氏らが「人間にとって読み易く、扱い易いドキュメント媒体の形態的特性に関する評価例」ということで報告した実験に次のようなものがあります。 同じ簡単な試験問題を「1.紙に印刷したもの」「2.CRT,液晶ディスプレイで表示したもの」で評価者達に解かせると、2の場合は解く時間は短かったが正答率は低い、一方1.の場合は解く時間は長かったが正答率が高い。つまり、人間は紙はじっくり読んで正しく認識するが、PCで使われるディスプレイに対しては読み飛ばす傾向がありさらに読み間違いも多い、ということです。
もちろん、報告用の実験ということもあるでしょうから、かなり「都合の良い」解釈が入っているかもしれないとは推察されます。とはいえ、それにしても面白い話です。これは、ペーパーレス化を進めようとする動きが盛んになる中で、少し落ち着いて考えてみるべき話だと思います。
「PCで使われるディスプレイに対しては読み飛ばす傾向がありさらに読み間違いも多い」可能性があるのです。
2003-09-02[n年前へ]
■8センチアナログ盤とミニチュアプレーヤーでレトロ気分
バンダイが“懐メロ”を収録した直径8センチのミニチュアアナログレコード「8(エイト)盤レコード」と専用プレーヤーを2004年1月中旬に発売。って、まだまだ先だー。早く来い来いお正月。
■行き止まりの林道で
何日も前の昼休み、箱根の中腹の林道へ行った。まだ工事中で山の中で突然行き止まりになる林道だ。道の途中で車の幌を開けて曇った空を眺めていると、時間をおいて二台の車が横を通りすぎていく。この林道の先は行き止まりだから、きっと何処かで車を停めて休んでいるんだろう。二台とも社用車風で、運転手は背広姿。
2003-09-04[n年前へ]
■「俺」「僕」「わたし」「私」と「あたし」「わし」
はてなダイアリーの一人称で眺める「WEB日記の立ち位置」です。WEB日記の起源は土佐日記に遡り…、です。少なくとも侍魂でないことは確かじゃないか、と。
それはともかく、とりあえずこれは杜洋右さんに影響を受けてますね、ハイ。感謝しつつ、ね。
■友達の友達の友達は…システム
マイクロソフトが出すという、インスタントメッセージング(IM)&コミュニケーションソフトThreeDegreesの記事。ThreeDegreesという名称は「six degrees of separation」に由来し、six degrees of separationは、心理学者Stanley Milgram博士による"米国民全員は、6人程度の知人の連鎖を介してつながっているという"理論にさかのぼる。つまり、ThreeDegreesの意味は、インターネットユーザーはそれよりもさらに少ない人数でつながっているということを表現しているというもの。
懐かしく、深夜特急 '99を思い出す。
そして、もうひとつ紹介したいのは安藤日記の「世界って狭い。でも逢いたい人には巡り逢えない」という言葉。Google検索ならきっと簡単に巡り会うこともできるのだろうけれど、現実に巡り会うのはそれとは違うから、ね。それに、Googleの巡り会いなんかは無い方が良いかもしれないし、ね。
2003-09-05[n年前へ]
■「昼休み」「星を見に行く」
昼休みに近くを散歩してみる。風が秋を感じさせてとても気持ちが良くなりそう。このままここで眠ってしまいたいような気になる。
夕焼けを見ると、雲一つ無くて富士山が綺麗。あまりに綺麗だから、夜は富士山の五合目まで車を飛ばす。月が明るくて、星を見るには今ひとつだけれど、だけどそれでも天の川がとても綺麗。デジカメのズームで月を撮る。
2003-09-06[n年前へ]
■ちゃろん日記(仮)とバブルの逆襲の一人称
そういえば、確かにちゃろん日記(仮)はcapsctrldaysが書くとおり、「わし」で語られていたっけ。そして、バブルの逆襲は「ワシ」が結構使われていた。
この二人はそういえば「家族」を強く意識させる文章だった。ちゃろん日記2000(仮)を読んだことのない人は、ぜひぜひ読んでみて下さいな。私の今でも一番のお気に入り。
■Google検索の時間軸?
でも、google検索って、きっかけにはなると思うです。ニアミスできるもできないも、なにかアクションがなくちゃ。という*kaco*さんの力強い言葉。そんな風に未来をGoogleで検索するのは何かとても良い感じですね。
ふと、先に出てきた言葉の「逢いたい人」ってもしかしたら過去に既に出逢っている人を指すこともあるのかもしれない、と思います。未だ見ぬ誰かを指しているんじゃなくて、という風に。だけど、「でも逢いたい人には巡り逢えない」のかな、とかね。そんな時、Google検索ならきっと簡単に見かけてしまうこともできるのだろうけれど…って。そんな風に考えてみたりしたのです。
■Elasticity Simulatorで眺める「オッパイ星人のヤング率」
どうせなら面白く物理を眺めれば、きっと中高生(大学生も?)科学を好きになるだろうということで、どうせならElasticity Simulatorで「オッパイのヤング率」を眺めてみることにしよう。
まずは、このJava Appletから 1."shape"から"disk"を選択する
2.真ん中の点を全て右クリックして、固定点(大きい丸)に変更する
3."triangular mesh"にチェックを入れる
4."gravity"にチェックを入れる
という順番の作業をする。すると、こんな画面になる。
固定点を作成したことでこのモデルは左右対称になったわけで、(例えば)左半分を無視して眺めてみることができる。つまり、こんな風に「半球状に」眺めることができる。
ハイ、判りましたでしょうか?つまり、このElasticity Simulatorは「オッパイ・シミュレータ」に大変身するわけです。"material"を変えて、ヤング率を変えることで「堅いオッパイ」「柔らかいオッパイ」、「ヤングなオッパイ」「アダルトなオッパイ」などさまざまな物理実験をすることができるようになります。もちろん、無重力条件下とか動的特性なども眺めることができるのです。
これで、きっと物理大好きな中高生ができあがり、です。少し動機がヘンかもしれませんが、とりあえず弾性体物理学(それともオッパイ)が大好きになるハズです。というわけで、こんな「物理講座」に対する中高生を持つPTAのご意見などを少しばかり聴いてみたいところですねー。感謝の声か、非難の声か、さてさてどちらでしょうねぇ。
■今日見た景色
先日までに今日見た景色宛に送られてきた写真でコンタクトシートを作ってみました。これまで、送って頂いた方にただただ感謝です。
これは小さなものですけれど、とても大きなものをきっといつか作ると思います。それはもしかしたら、ただ並べただけかもしれないし、あるいは大きなモザイク画かもしれません。
というわけで、あなたの眺めた「今日見た景色」をいつでもp@hirax.net宛に送って頂けたら、と思います。
2003-09-07[n年前へ]
2003-09-08[n年前へ]
■時間軸を自由にページ検索できる「Recall」
インターネット上のさまざまなWebサイトの歴史を保存しているInternet Archiveの110億ページを検索できるサーチエンジン「Recall」。昨日の景色も検索できる。昨日のことは検索できない方が良いかもと思ったりもするのだけど、なかなかそういうわけにはいかないか。
■いつも夢見る「昨日の景色」
明日見る「今日見た景色」はどんな景色なのでしょうか?ずっと夢見てきたような景色が、そこには見えるのでしょうか。それとも、想像したこともないような景色を私は眺めているのでしょうか?ふと、思い出したいつか書いた「今日見た景色」今でも夢見る色んな景色。
2003-09-09[n年前へ]
■ウォーターボーイズ最終回
主題歌、虹。サビより淡々としたAメロの方が好き。
2003-09-10[n年前へ]
■しかし、それはそうと…
「よりによって物理と鬱病のスレッドで物理の相談に答えることになるとは・・・」という言葉が少しほのぼの。
2003-09-11[n年前へ]
■「一回休み」
夕暮れ近くの海際を自転車で巡る。
夕暮れ近くに潮が満ちてきて、防波堤?が海面に沈み始めている。そして、そんな防波堤の上を歩いていく人がいる。防波堤が波に洗われているから、その人はまるで波の上を歩いているように見える。とても不思議だけれど、そんな「海面を歩くこと」が何故だかとても当たり前のように見える場所もある。
音も入った海の風景はこんな感じ(123)。波の音もやはり夏の終わり、秋の音色だなぁ。
■3D液晶ディスプレイ搭載ノートPC
裸眼で立体視が行える独自開発の液晶ディスプレイは、ボタン1つで2Dと3Dの切り替えが可能な“優れモノ”というシャープの3D液晶ディスプレイ搭載ノートPC。立体的な世界がノートPCの中に。
■Dr.コトー診療所・最終回
うぅ、飲んだビアシンハーとチューハイと日本酒と発泡酒が目から…。うぅ…。ウォーターボーイズの最終回でもビールが目から出そうになったのに。うぅ…。「銀の龍の背に乗って」
今まさに誰かが傷んでいるまだ飛べない雛たちみたいに僕はこの非力を嘆いている中島みゆきの声は反則技だぁ…。うぅ…。
■共感する部屋
もし壁が突然しゃべりだしたらどうなるだろう?現在の一般的な壁はただじっと黙って私たちを見守っていてくれる。壁だけではなく椅子や机なども同様である。彼らは色々な物事を見聞きしているはずだ。しかし、それを表現することができないでいる。共感する部屋。
2003-09-12[n年前へ]
■ジョナサン・ケイナーの星占い
占いを信じないのに、占いを眺めるのはとても好きなワタシ。何の根拠も無しに未来を決めつけることができるなんて、あぁ占いってなんて素晴らしいのだろう。というわけで、ジョナサン・ケイナーの星占い(週間版)なんて、思わずじっくり読んでしまったりする。読んで落ち込んでしまったり、もっと早くこの占いに出会っていれば、とか思ったりする。あぁ困ったものだ、これではまるで占いを信じているみたいじゃないか。
というわけで、リンク先はかに座のケイナー。占いを楽しむ人は各自の「各星座のケイナー」スレを読んでみると面白いかも。
■空間に画像を直接投影するディスプレー技術
画面の中に見える世界と画面を包む世界が「感覚的に」繋がるような日はもう近いのかも。
■今日見た景色
宣伝はしていないけれど、もちろん毎日続けている「今日見た景色」 そんな景色を見ながら、
皆さんの写真を見ていると「ひょっとして,そこそこご近所に暮らしておられるのでわ」という方もいらして,なんだかとっても不思議な感覚です。という言葉。
まだ、画面の中に見える世界と画面を包む世界が「感覚的に」繋がっていないのかもしれませんね。いつか、その二つが何の不思議もなく繋がっているような日が来るんでしょうか。
2003-09-14[n年前へ]
■『巡り会い』in新明解
「世界って狭い。でも逢いたい人には巡り逢えない」という言葉。Google検索ならきっと簡単に巡り会うこともできるのだろうけれど、現実に巡り会うのはそれとは違うから、ね。の続き。
それに、Googleの巡り会いなんかは無い方が良いかもしれないし、ね。
「後悔しない?…いやきっとする」を読みつつ、なるほど辞書で引くって大切だなぁと感心し、私も辞書で引いてみた。もちろん、こういうときは期待を込めて新明解で。
巡り会う=長い間分かれていたものが思いがけない所で出会う。巡る「巡る」という言葉のイメージを1にとるか、2にとるかで『巡り会う』のイメージが過去に向くか、未来に向くかが分かれるのかも?どうでしょうね?元カレと新カレのイメージの違い、という感じでしょうか?どうでしょうね?
=1.回って、元の所へ戻ること。
=2.あちこちに立ち寄る
あと、真似して歌で例えるなら中島みゆきの「時代」の「巡る」という感じかな。
■紙がいいものと電子ブック「が」いいものと
実は老眼鏡をかけて紙の本を読むより、 かけないで液晶ディスプレイでテキストを読む方が、はるかに楽なんですよ。 ディスプレイの方が明るさや眼からの距離を調整しやすいからなのです。というもの。ただし、この手の意見は通常無視されるものではないかと思う。それは、「老眼鏡をかける人」というのが多数派ではない、あるいは「老眼鏡をかける人」相手の商売はニッチな商売だと認識されているからだと思う。その認識が将来どうなるかは判らないけれど、いわゆる大企業では大きいが故のコストを考えると確かにそのニッチな商売(と判断している以上は)には手を出しづらいに違いない
どう思います?
■逝けるWEBページのためのパヴァーヌ
さて、「Google検索の時間軸」に話を進める(戻す?)と増井俊之さんの古さに応じて廃れて見えるWEBページの仕組みに私はとても気持ちが惹かれます。"Dying Page"つまり『逝けるWEBページ』proxyというのは、私はとても自然にあるべき姿だと思うのです。「劣化しないデータ」というのは技術的にはとても素晴らしいと思うのですけれど、古い記憶が劣化して見えてこそ、新しい記憶も生み出されていくのかな、と。古いページが"dying"になってこそ、新しい色に"dyeing"していくのかな、と感じたりするのです。
というわけで、BGMはもちろん亡き王女のためのパヴァーヌ(逝ける王女のためのパヴァーヌ)で。
■水晶玉トリック
ここで
(1)なんか適当に2桁の数字を頭に思い浮かべる(ここでは「88」にしたとする)。をする。有名なものではあるが、なかなか面白い。毎回リストを書き直しているのが良いところかな。
(2)思い浮かべた2桁の「数字」を足し算する。「88」の場合は「8+8」となり、 この場合は「16」になる。
(3)次に、元の数から足した数を引き算する。この場合は「88-16」で、 答えは「72」となる。
(4)水晶玉の横にある、一覧表のなかから、「72」の横にあるへんな模様を じっと眺め、覚える。
(5)その模様を強く、強く、強く念じながら、うりゃっと水晶玉をクリック。
2003-09-15[n年前へ]
■bush **** mosaic
モザイク画像は大好きなのだが、こいつはちょっと…のart of resistance。from ABC振興会。
2003-09-16[n年前へ]
■青い空と
今日の青い空。
こんな青い空を眺めた後に、青い空の話を読む。
> 同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼は全く別のことを考えている。> こんなにきれいに、空が空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、> 全然分かり合えていないんだ今まで見てきたように空気の色すら多分他人と共有しえない。という一節を読みながら、また
われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。という言葉が頭の中でぐるぐるぐるぐる。誰かの眺めた景色、少しの共感と少しの違和感を感じさせるようなそんな景色を私はぼんやり眺めてみたい。
2003-09-17[n年前へ]
■若気の至りでゴメンなさい。
昔書いた文章なんかを目にしたりすると、思わずその文章を何処か遠くに埋めてしまいたくなる。「すみません、すみません、ゴメンなさい」と叫びながら、その文章を大気圏の彼方に放り投げてしまいたい気分になる。うぅ、若気の至りでゴメンよー、と叫びたくなったりする【何故か謝るおれカネゴン】。
というわけで、BGMは桑田佳祐の悲しい気持ち。
2003-09-20[n年前へ]
■いろんな色・あなたの色
実は色は“その色”の中に“別の色”を持っていて“他の色”と組み合わされて“また別の色”を見せているのだと思います。自然にあるがままの色=自然体同士が交わり、ハーモナイズしていく方法を考えることが大切ではなかろうかと考えています。もしかしてこれって、人と人との関係でも同じかもしれないと思えてきています。人の中にある“また別の色”は決してその人が見せるだけのものではくて、その人を眺める人達が人の中にある“また別の色”を見つけ出したりもするのだろう。
■昨日の空と今日の空
昨日見上げた空を眺めながら、ふと「空の色だってきっと空を眺める人が見つけ出していくのだろう」なんて考えていると、「今日見た景色」に景色でなくて詩が送られてきた。
カムチャツカの若者がきりんの夢をみているときメキシコの娘は朝もやの中でバスを待っているニューヨークの少女がほほえみながら寝がえりをうつときローマの少年は柱頭を染める朝日にウインクするこの地球ではいつでもどこかで朝がはじまっているぼくらは朝をリレーするのだ経度から経度へとそうしていわば交替で地球を守る眠る前のひととき耳をすますとどこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってるそれはあなたの送った朝を誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ「朝のリレー」 谷川俊太郎
そうか、私が「今日見た景色」を眺めたかったのは、そんなリレーの様子を眺めたかったからなんですね、きっと。
朝、ネスカフェのコーヒーでも飲みながら(500K,56K)、「象徴的な『空』のビジュアルが語るのは、たとえどこにいようとも、見上げれば、そこには世界とひとつにつながり気持ちをリレーできる空が広がっている・・・というメッセージです。この空を見て感じることは、きっとひとりひとりちがうはず。みなさまは、何を感じるでしょうか?」という言葉を聴きつつ、そんなリレーの様子を眺めてみたいですね。
というわけで、あなたの眺めた「今日見た景色」をいつでもp@hirax.netで募集しています。
■オトナとコドモの境界線
オトナとコドモの境界線をひくとしたら何処に一体ひくだろう。十五才?二十才?それとも三十才?あるいは、人によっては自分より下がコドモで自分より上がオトナなんて線をひいてしまうだろうか?そもそもコドモって何だろう。きっと、それは単に「オトナになってない状態」のことだろう。だとしたら、オトナって一体何なのだろうか?
じゃぁ、というわけでまたもや新明解のページを眺めてみることにした。
自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人なるほど、「社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人」がオトナなのである。しみじみと深い言葉なのである。何より先に「社会には裏表がある」という言い切ってしまうところがまさに新明解なのだ。新明解はきっと苦労を知っているのである。
そして、ここでいう「裏」とは、きっとネットランナーに掲載されるような「裏ツール」などで使われる薄っぺらい「裏」という言葉とは次元の違うものに違いない、と思うのである。コドモが思う「裏」とオトナの思う「裏」とは世界がきっと違って、きっと「映画のセットの裏」と「現実の街角の裏」くらい違うものじゃないだろか、と思うのである。
それにしても、オトナとコドモの境界線って一体どこにあるんだろう。
■「朝のリレー」をテーマにしたスクリーンセーバー
ネスカフェCMの谷川賢作の音楽に合わせて、谷川俊太郎の詩が表示されるスクリーンセーバー。
■記念切手に見る日本の近・現代絵画
本の近・現代絵画 最近では手紙を書く人も減って、切手を集めている人は少ないだろうか。
日本の近・現代絵画を題材にした切手を集めた「記念切手に見る日本の近・現代絵画」を眺めるてみると、とても面白い。思わず自分のためだけに一覧を作ってみる。
2003-09-21[n年前へ]
■今日見た夕日
秋になって湿度も低く過ごしやすくなってくる。湿度が低くなると、それに従って雲の高さが高くなっていく。それは、夏の低い雲に慣れた目からするとずいぶんと空が高く感じられるようになる。
そして、そんな秋の空と言えばやはり夕焼けが一番似合うに違いない。今日はそんな秋の夕日が新潟から「 今日見た景色」宛に送られてきています。そういえば、次の「できるかな?」はそんな茜色の景色の話にする予定でいます。
■今日見た景色
ふたたび日曜日が そうしてふたたび月曜日がふたたび曇り ふたたび晴れしてその先に何がある?谷川俊太郎 「今日」この詩についての考察を読みながら、「どれも、みんな、今日見た景色」を思い出す。
いつも、「今日」という日を過ごしているはずなのに、その日見た景色が「今日見た景色」でなくなっていくのは少し不思議なことです。とはえ、「昨日見た景色」が「今日見た景色」と違うわけではないし、景色を眺めている私もやっぱり同じ私です。だから、やっぱりどれも「今日見た景色」だと思うのです。
2003-09-22[n年前へ]
■「夕焼けこやけ」の茜蜻蛉(あかとんぼ)
遠い彼方に見る陽炎です。「夕焼けこやけ」の「こやけ」の秘密をできるかな?的に調べます。調べてみると、そこに浮かび上がってくる不思議とは?そして、さらに追いかけるとそこに浮かび上がってくる三木露風が眺めた蜃気楼のような景色とは…? という話かも(違うかも)。
で、アキアカネというとこの話も面白いです。
2003-09-23[n年前へ]
■道路の傷みにおけるバスと乗用車の違い
「大型バスは大体10トンから13トンで、定員が観光バスで60人程度、路線バスで80人程度。道路の傷み計数が、重量の2〜3乗で、例えば少なく見積もって2乗として、重量比10倍の二乗としてもバスが道路へ与えるダメージは乗用車の100倍になる。だから、60〜80人の客では道路からすると割が合わない」という興味深い解説。 from F&F掲示板。
■T9 Text input
ひらがな一文字につき一回の入力ですむというT9 Text inputの日本語デモページ。入力したボタンの押し順序を見て後から文字を推定していくのはなかなか面白い。少し発想的にPOBoxと似ているかな。
とはいえ、単語の文字数が英語などに比べて少ない日本語では難しそうな気もする。 from textfile.org。
■小さな小さな「PACMAN」
16ドットx16ドットのPACMANの世界。これはなかなかハマるかも。from L.L.L@online。
2003-09-24[n年前へ]
■ピンぼけ・手ぶれレスキュー
「直線的手ぶれ補正」「手ぶれ軌跡補正」の両フィルタは、小型カメラ使用時や暗い場所で起こりやすい、手ぶれ撮影された画像補正用。「直線的手ぶれ補正」は、手ぶれの方向が一直線の場合に有効で、どの方向にぶれているのか、どの程度ぶれているのかを指定すれば、ソフトがぶれを自動的に判断し、除去してくれる。「手ぶれ軌跡補正」は、ぶれ方向が直線ではなく、輝点が尾を引くような形で不規則に流れているような画像の補正に有効。夜景撮影など、長時間露出を行った際のぶれ補正に適する。ぶれの範囲(幅)を指定すれば、その範囲内でぶれた軌跡を自動的に判定して補正を行ってくれる。というソフト。後でチェック。
2003-09-25[n年前へ]
■顔料8色のインクジェット
エプソンのPX-G900。透明樹脂のグロスオプティマイザインクも使用。
■トランジスタ技術 約14年分
入札して、会社帰りに持って帰ろうかな。
■「もうチャートとかそう言う時代じゃないんです」
という言葉に対し、
チャートとはそれそのものの存在だけが意義なのではなくて、それが及ぼす有形無形の影響がその意義なのです。すなわち、チャートや数値化したものが雑誌に掲載されることは、読者に対する具体的な指針であると同時に、もしいい加減なものを出したときに、普通の人にも分かる形でそれを示すぞ、ゆめゆめおろそかにされるなよ、という意味にもなります。という宣言。
2003-09-26[n年前へ]
■「夢」についての三国会談
一昨日、ビールと海産物を前にカナダ人・アメリカ人・日本人の三人で飲んでいた。その中で、「何で日本人や韓国人は人に将来の夢が何か聞いたり、自分の夢を語ったりすることができんねん?夢っちゅうのはもっとちゃんと具体的に考えるもんちゃうか?」と聞かれた。「夢」とか「希望」と"dream"や"hope"ってどのくらい違うのだろう?、と思って"dream"や"hope"ってどういうものか聞いてみたけれど、私の語学力(と理解力)ではなんだか上手く判らなかった。
とりあえず「夢」と「希望」って何だっけなと思って新明解をひくと、「夢=実現するかどうか判らないが、やりたいと思っていた事柄」、「希望=よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」となっていた。「実現させるか、期待するか」の違いなんだろか?
■EOS Kiss Digital
EOS Kiss Digitalを職場でいじる。レンズとセットで十万円を切らないと買わない(えない)だろうけれど、それでもEOS 1Dと比べるとその軽さが心地よい。手の小さな私には厚みがちょっと気になるけれど、今のカメラが壊れたら次は一眼レフデジカメを買ってみるのもいいかも…。
■富士山から煙がモクモク…。
北海道の自身も大変そうだが、富士山で戦後初めて噴気が確認されたというのも新鮮だ。富士山も生きているんだなぁ。って、感心している場合じゃないか?
2003-09-27[n年前へ]
■I dance
二つのダンス。一つの踊りは緩やか、だけど時折とても早くなるダンス。もう一つの踊りはきっとウソのダンス。どこかで嘘のフィルムがカタコトカタコト回っているだけのダンス。だけど、そんなウソっこの踊りにも少し見とれたのも本当のこと。曲線美に見とれるな、っと。
それとは関係なく、人を踊らせる方が良いか、自分が踊る方が良いか、さてさてどちらが好みに合っているのでしょうねぇ。
■JAZZをバックに
ホテルの部屋で一休み、しようと思ったら電話が入る。一体、何処からここを知ったのでしょう?どうして、ここにいることを知ったのでしょう?とても不思議…だけれど、とにかく一緒に飲みに行く。ずいぶん演奏の上手い本場のJAZZをBGMにビールやワインを飲んでみる。
ジャズを聴きながら次の「できるかな?」ネタがふと頭に浮かんだのだけれど、それはきっとまたいつかの話、と。
2003-09-28[n年前へ]
■今日書いた報告メール
ひらばやし@New Orleansです。今日は講習会の一日でした。Ice Breakerのパーティーでは異文化コミュニケーションの難しさをつくづく感じます。リコーの二人と一緒にメリケンさんを拉致し、「三本の矢は折れない作戦」でガチガチの凍りきったトークを試みましたが、三本の矢が次々に折れまくりの苦戦中に仲野さんが近づいてきて、その隙にメリケン捕虜に逃げられてしまいました。さて、今回の会場の辺りはずいぶんと寂れた廃墟ビルが多いです。なんというか、ウェストサイドストーリーのでチンピラ達がナイフを持って対決していそうな街並みが続いています。うーん、もっとわかりやすく言うと、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモ・ビデオでゾンビ達が踊りまくっていたような通りが続いています。この街並みでチンピラやゾンビが出てこない方が間違ってるくらいだと思うのです。昨日は街を歩いていていきなり「自然が私を猛烈に呼び始め」、ディスコのトイレへかけこみ放水活動にいそしんでいると、背後からいきなりマイケルタイソンみたいな巨漢が「アメリカンなふぁっきんなやり方を教えてやるぜ、ベイベー」と意味不明に私に唸りはじめて、私を呼ぶ自然の声もいきなり遠ざかってしまいました。教えてくれるのがなんのやり方か知りませんが、ノーサンキューのココロだったのです。今考えてみると、放水活動のやり方のことだったような気もするのですが、どちらにしてもノーサンキューのココロです。というわけで、無視してしまったわけで情けない最悪なパターンです。
■Jazz三昧
昨日も今日もCanon Life Sciences Inc.のCEOの財布で飲みに行く…。それにしても、ジャズだらけったらジャズだらけ。この時間でも外から中からジャズが響いてくるぞ、と。
2003-09-29[n年前へ]
■LANコネクタ無しのホテル
に泊まっているので、接続料金でドル紙幣が矢のように飛んでいく。近くのKINKO'SにPCを持って行けば無料で接続できるというけれど、夜中にあの街並みを歩いて行くのはチト怖い。
■今日はブルース、明日はスケート
かすかに走り気味なドラムとベースが心地よい。
明日は早く起きて、スケートでは滑りにくい路面ばかりだけれど(実は一昨日もう滑って大転倒済み)、街中をぐるりと滑ってくるつもりなのだ。
2003-09-30[n年前へ]
■スミルノフ教授
タレコミメールで知ったとても面白いページ。こういう知らなかった面白いサイトってまだまだたくさんあるんだろう。出張から戻ったら読むためにメモメモ。
最近は、ログをほとんど見なくなってしまったので、こういう面白ページをReferer経由で知ることがなくなってしまっていた。ので、少し反省。とかいいながら、やっぱりログみるのめんどくさいし見ないかなぁ…。