2000-09-12[n年前へ]
■英語の研修中
「個人の適性に合ってない職業に就いている人を挙げて。」との質問。「個人を挙げるのはためらわれるので公人から挙げると、森総理かな。」と答えると、「その答えは今日二人目。」そりゃそうだろうな。
2001-09-12[n年前へ]
■今日見た景色 夜のお店
実際見た色はこんなじゃないあけど。(リンク)
■ An exception
Normally I wouldn't consider posting this on Slashdot, but I'm making an exception this time because I can't get news through any of the conventional websites, and I assume I'm not alone.(リンク)
2002-09-12[n年前へ]
2003-09-12[n年前へ]
■ジョナサン・ケイナーの星占い
占いを信じないのに、占いを眺めるのはとても好きなワタシ。何の根拠も無しに未来を決めつけることができるなんて、あぁ占いってなんて素晴らしいのだろう。というわけで、ジョナサン・ケイナーの星占い(週間版)なんて、思わずじっくり読んでしまったりする。読んで落ち込んでしまったり、もっと早くこの占いに出会っていれば、とか思ったりする。あぁ困ったものだ、これではまるで占いを信じているみたいじゃないか。
というわけで、リンク先はかに座のケイナー。占いを楽しむ人は各自の「各星座のケイナー」スレを読んでみると面白いかも。
■空間に画像を直接投影するディスプレー技術
画面の中に見える世界と画面を包む世界が「感覚的に」繋がるような日はもう近いのかも。
■今日見た景色
宣伝はしていないけれど、もちろん毎日続けている「今日見た景色」 そんな景色を見ながら、
皆さんの写真を見ていると「ひょっとして,そこそこご近所に暮らしておられるのでわ」という方もいらして,なんだかとっても不思議な感覚です。という言葉。
まだ、画面の中に見える世界と画面を包む世界が「感覚的に」繋がっていないのかもしれませんね。いつか、その二つが何の不思議もなく繋がっているような日が来るんでしょうか。
2004-09-12[n年前へ]
■ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド
新選組!を見ていると、獅子の時代を思い出す。というわけで、今日のBGMはダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド「時の彼方に〜OUR HISTORY AGAIN〜」
十五で世の中をわかっちまったようなヤツラから見れば 馬鹿げた話さ日々の暮しは 晴れた日ばかりじゃないが明日が雲間に 見え隠れ
■朝の千本浜
海辺には色んな人たちが住んでいる。松林の中に寝る場所を作っている人もいるし、廃車を家にしている人もいる。そんな中で、落ち着いて海を眺めている女性の人の荷物にふと目がとまる。ビニール袋と紙袋をまとめて、その近くで海を眺めてる。紙袋の一番上にはくまのぬいぐるみが入ってる。
■分子アニメーションの作り方
分子アニメーションの作り方。こんな分子アニメーションを作ってみたり、眺めてみるのは面白い。
■横須賀市小浜
今日は6km。昨日の三浦海岸のジョナサン辺り から、横須賀市小浜まで。全然進まない。
■科学と理系とエトセトラ
物理学の本を素人が読みますと、香も音も色もただそれを感じる人間の感覚器官がちがっているだけでありまして、根はおんなじもののように思われます。科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。川端康成「抒情歌」
田中麗奈の「周りに『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたら ・・・そういう事を聞きました」という話も面白いかな。それが理系でも文系でも誰でも関係なく。ところで、「その答えは何処かに有る(と思いたい)」という世界が面白いかも、あるいはそうじゃないのかも。 from ぽいんつさんのブログ.
■webrick で proxy server
webrick で proxy server. サンプルスクリプトは「mixiの広告をカットするプロキシサーバ」
2005-09-12[n年前へ]
■「ブルー・マンデー」
朝から晩まで、月曜から木曜日まで、仕事打ち合わせ(合宿)が続く。疲れるのも確かだけれど、余裕がある時間がないと気楽なのも確か。だって、(新聞予告をそのまま書き写すと)
「救えチラリ敏感パンチラ娘男の妄想にヨダレ洪水」の件を(笑いとともに)言われるのだもの…。まさにこれは「ブルー・マンデー」 これからの(いつものように続く)出張先が辛い(恥ずかしい)…。
2006-09-12[n年前へ]
■経済学インタビューの最終回は希望学
経済学インタビューの最終回は、東京大学社会科学研究所 「希望学プロジェクト」で知られる玄田有史 東大助教授にインタビューをさせて頂くことに決まりました。ありきたりかもしれませんが、経済学インタビューの最終回はつまり「希望」がテーマです。これまでの「満足」「価値」「魅力」「選択肢」「感情」「技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後はやはり、「希望」です。
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。 「3つ」のヒント 玄田ラジオ
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 魯迅 竹内好 訳「故郷」
2007-09-12[n年前へ]
■「理系」と「希望」
『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたらずっと海を眺めている人の荷物に目がいく。ビニール袋と紙袋をまとめ、その荷物の近くで海を眺めてる。紙袋の一番上にはくまのぬいぐるみが入ってる。
最終回の仮題は「希望」です。これまで「満足・価値・魅力・選択肢・感情・技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後は、やはり「希望」です。希望という文字を見ると、いつも「希ガス…」という変な文末が目に浮かぶ。もう少し言い換えれば、いつも「希ガス…」という変な文末を連想するような「気がする」…。
ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。迷うの語源を検索すると、迷う=真酔うだと書いてある。そして、「迷える者は、道を訊かない」という言葉を読む。
科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。どんな道でも人は途中で必ず迷い、そして、迷える者は道を訊かないのだとしたら、道を聞こうとする人は道に迷っていない人で、地を聞かない人は迷っている人だということなのだろうか。それとも、単にその瞬間に迷っていない人だということなのだろうか。
大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。そんな論理を考えようとしても、わからないことばかりだ。迷える者は道を訊かないという論理と同じフレイズを繰り返すなら、わからない時には人は訊くことをしないのだろうか。
海辺には色んな人たちが住んでいる。松林の中に場所を作っている人もいるし、廃車を家にしている人もいる。この小さな町は、それでも人に優しい。雨をしのぐことができる「私有地でない場所」から人を排除することはない。人が日々を過ごす場所から、その人を移動させることもない。
どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。年が明けようとする頃、週末、一日二度見ていた人が亡くなった。何年も見つ続けた景色、何年もとり続けた景色、何年も「今日見た景色」として針続けた景色の中で人が亡くなった。
十五で世の中をわかっちまったようなヤツラから見れば 馬鹿げた話さ
それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。
2008-09-12[n年前へ]
■キャンパスを歩く新入生たち
「ウォーターボーイズ」を見るたび、いつもラストシーン近くで、あまりに眩しいせいか、その眩しさに涙が出そうになります。何回繰り返してみても、いつも泣きそうな気持ちになります。
大学のキャンパスを歩いていると、学生が溢れています。新入生たちを迎えるために、学生が色々な催しをしています。そして、そんな先輩たちの中を若い新入生たちが歩いています。もちろん、若く見えない新入生もいるはずなのですが、そういった新入生は先輩や職員と見分けがつかないので、新入生だとわかる学生はみないかにも若さが満ちあふれている・・・ということになります。
若さ溢れる新入生たちを眺めていると、やはりとても眩しくてとても素敵に見えてきます。「ウォーターボーイズ」で流れるシルビー・バルタン「あなたのとりこ」のレコードが頭の中のターンテーブル上で勝手に周りだし、レコード針がプツッと音を立ててそのレコード上をなぞりだします。そんな脳内音楽を背景に聞きながら目の前の景色を見ていると、やはりあまりに輝いていて、なぜか見とれてしまうのです。
2009-09-12[n年前へ]
■「99%の努力」を支える「1%の才能」
「努力」と「才能」という文字を前にすると、特に、「99%の努力と1%の才能」というような言葉を目にすると、少し考え込んでしまいます。そういうわけで、下の「関連お勧め記事」にあるようなことを書き連ねているのだろう、と思います。
下に書き写した杉浦日向子の言葉を読んだとき、ふと「なるほど」と思わされました。( 「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」中の「体に悪いスポ根」から)
秀でたスポーツ選手は、1%の才能と99%の努力から成る、といわれる。その、1%の才能こそが、99%の努力を支えるのであって、ベルモット抜きのドライマティーニがありえないように、ほんの微(かす)かな才能の香りすら見いだせなかったら、努力のきっかけもまた得られないではないか。1%が重要なのだ。
「努力」するか否かが大切だけれども、それでは「努力」をする意思・その意思の支えは何なのだろう?という問いに、あなたならどう答えるでしょうか。
ちなみに、この「体に悪いスポ根」は、杉浦日向子がスポーツ競技に対し、「運動神経に関し1%の才能もない側」から書いたエッセイです。
そして、自分は、運痴で良かった、とほっとする。
2010-09-12[n年前へ]
■WindowsのコマンドプロンプトのCOPYコマンドの結合順序の謎
以前から、時折思い返す疑問が「Windowsのコマンドプロンプトから動かすCOPY copy a.txt+b.txt c.txt と入力すると、a.txtの後ろにb.txtを結合した結果をc.txtとして作成する、…はずだと思っています。バイナリファイルのオプション/Bを付けなければ、ファイル途中のEOFは削除され・末尾にEOFが一個付くように処理され、/Bを付けると、
copy /b a.txt+b.txt c.txtEOFの除去・付加処理がなされない、という具合に動くのだと、最初は思っていました。
しかし、COPYコマンドを使っていると、ファイルの結合順序が、指定した順番になっていないことも多いことに気が付きました。結合されたファイルは、何だか妙な具合にシャッフルされていることがあるのです。
最初は、何かの不具合で(テキスト)ファイルの途中にEOFが入り込んでいるせいかと考えました。そこで、/Bオプションを付けてみましたが、それでも、指定したはずの順番でファイルの内容が並んではくれないのです。
思うように動いてくれたとしたら、COPYコマンドはとても便利だと思うのですが、思うように動いてくれないとただの使えないコマンドになってしまいます。WindowsのコマンドプロンプトのCOPYコマンドの結合順序はどのように決まっているのでしょうか?思いのままに動かそうとしたならば、どのように使えば良いのでしょうか? その答えをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂ければ幸いです。
2011-09-12[n年前へ]
■続:意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」
今日は、旧暦八月十五夜、中秋の名月です。だから、コンビニエンス・ストアやスーパーマーケットに行くと、レジ近くには、十五個入りの「お月見 お団子セット」が並べられています。
そのお団子セットを眺めてみると、(意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」で書いたような)「最下層から8個・4個・2個・1個と積み上げる」システムではなく、最上層から一個・五個・九個という配置になっていました。
そこで、白い球模型で「コンビニに売られていた十五夜お月見お団子セット」を再現してみたのが、下の写真です。左から(下から数えて)第1層目=9個・2層目=5個・(一番上の)3層目=1個で、これらを全部積み上げると右の写真のように全部で十五個の団子ピラミッドになるという積み上げ方です。
「最下層から8個・4個・2個・1個と積み上げる」システムに比べて、「最下層から9個・5個・1個と積み上げる」システムは、積み上げ方が「一階」低くなっています。
たとえば、その2種類の積み上げ方をした「お月見団子」を比較した写真を眺めてみれば、「9ー5ー1 システム」の先端が鋭く天上に伸びているのに対して、「8ー4ー2ー1 システム」のお団子は(まるでエジプトの屈折ピラミッドのように)先が鈍く低くなってしまっています。けれど、それと同時に、低くなった分だけ安定感が非常に増しています。
…もしかしたら、「お月見団子ピラミッド」を大量生産し・店頭に届けようとすると、「9ー5ー1 システム」のような安定感があるシステムでなければダメで、つまり、「8ー4ー2ー1 システム」のような構造的に不安定な積み上げ方では形を維持することができなくて、「使えない」のかもしれません。
お店で「お月見団子」を眺めたら、どんな積み上げ方=どんなシステムになっているかを眺めてみると面白いかと思います。そして、それらのシステムの違いによる安定感の違い・見た目の違いに考えを巡らせてみると、面白いと思います。
2012-09-12[n年前へ]
■「Cカップのバストなんて実在するわけがない!」ことの数学的証明
「真面目に考えてみると、意外に難しくて、意外に面白い」ということがあるものです。たとえ「真面目に考えてみる対象」が「どんなこと」であっても、です。
ブラジャーのカップサイズは、アンダーバストとトップバストの「差」で決まります。「おっぱい解析向けライブラリを書いてみる!? 第1回」で書いた(コーディングした)ような具合で、たとえば、アンダーバストとトップバストの差が5cmならAAAカップ、7.5cmならAAカップ、10cmならAカップ…15cmならCカップ、という具合です。
とても単純に、胸回りの胴体に「球状のバスト」が付いているとすると、カップサイズ=トップバストとアンダーバストの差は「円弧と弦の長さの差分を求めよ」という問題に置き換えることができます。…たとえば、Aカップなら、胸のバストカップ断面に相当する長さ(弦)に10cm足した円弧の形状が、それすなわちAカップのバスト形状だ、という具合です。
この「円弧と弦の長さの差分を求めよ」問題は、実は意外に難しい問題です。そこで、わかりやすく「もしも、胸が半球形状だったなら」という風に考えてみることにします。つまり、もしも「世界が100人の村だったら」という風に単純化してみるのです。
もちろん、半球状バストなんて、そんなマルマルとした超立体的バストなんか非現実的ですが、そんな非現実的な立体バストの場合、「円弧と弦の長さの差分=トップバストとアンダーバストの差=カップサイズ」は「(パイ−2)×胸の半径」になります。パイ=円周率は3.14...ですから、「胸の半径に約1.14を掛けたもの」が「トップバストとアンダーバストの差=カップサイズ」に相当するわけです。
自分の胸に手を当てて、じっと考えてみて下さい。あなたの「片胸の幅はせいぜい15cmくらい」ではないでしょうか。ということは、その片胸に半球状バストが張り付いているとすると、その半球状バストの半径は「15cmのさらに半分=7.5cmほど」になります。その7.5cmに1.14を掛けた結果の8.6cm が「トップバストとアンダーバストの差=カップサイズ」で、(トップバストとアンダーバストの差が)7.5cmならAAカップ・10cmならAカップということを思い出せば、(いくらなんでも、それはありえなさそうな)半球状のマルっと超立体な3Dバストですら、カップサイズは(せいぜい)Aカップに過ぎない…ということになるのです。
超非現実的でありえない「半球状のマルっと超立体な3Dバストでも、Aカップに過ぎない」となると、「アンダーバストとトップバストの差が15cmのCカップ」なんて、そんな物体が果たしてこの世に実在するものでしょうか?バストのカップサイズについて「真面目に考えてみる」と、「そんなもの、Cカップなんてものはありえない・実在するわけがない」…と気づかされるのではないでしょうか。
…といったことを「実感」するために書いた検証用「体感コード」を動かしてみたのが、下の動画になります。(アンダーでなく)トップバスト数値と「カップ」の組み合わせでバスト形状を眺めてみるのも面白い、かもしれませんね。(また、この3次元版が「バストとカップサイズからグリグリ・マルマルな立体3Dを眺めてみよう!?」になります)