2010-12-21[n年前へ]
■流れる時間を見るには、それなりの時間がかかる。
微速度動画を撮影するために、上海問屋の「携帯電話用 三脚固定ホルダー DN-100CC」を買いました。携帯電話やiPhoneなどを三脚に固定するためのミニ万力です。その構造は、あくまで単なるミニな万力に過ぎません。だから、万力が掴むことができるものであれば、どんなものでも三脚に固定することができます。
デジカメに近づこうとする携帯電話は数多くありますが、三脚用の穴を備えた携帯電話がある、という話は聞きません。閑雅て見れば、それも至極当然の当たり前の話で、撮影中は三脚に固定されてしまうような携帯電話があったとしたら、それはもはや「携帯」電話ではありません。
微速度動画の撮影作業は、時間がかかります。ほんの数秒の動画のために、その傍らで数十分待ち続けなければなりません。そして、数十秒の動画を作りたければ、数時間じっと待ち続けることになります。(だから、微速度動画の撮影はとても楽しいのですが、多くの人が楽しむ機能ではないだろうとも感じています)
そんな風に時間が過ぎるのを、ゆっくり動く街を眺めつつ本を読み、ただ待ち続けていると、ドラえもんが話したこんな言葉をふと思い出しました。のび太君、百年の歴史を見るには、
百年かかるんだよ…。
流れる時間を見るには、それなりの時間がかかる、そんなことを草むらに座りながら、感じたのです。それなりの時間がかかるけれど、それなりの時間がをかけただけの価値がある、微速度動画の撮影をした後には、そんなことを感じるのです。
2011-01-24[n年前へ]
■「HDR写真」と「現実」
ハイダイナミックレンジ合成写真(HDR写真)は、とても不自然に見えます。そして、それと同時に、HDR写真からは一種独特の空気感を感じます。右の写真は、一年近く前に撮影したHDR写真です。水鉄砲を手にするこどもが遊ぶ横を、本物の銃弾を撃つことができる銃を持つ人たちが歩いていたりします。日が真上から差すこの時間には、大人は日陰で休んでいるので、通りの中心はまるでこどもたちが支配している世界であるかのようにも見えたりもします。戒厳令が出ている街とは思えない景色です。
HDR写真にしないと、日向と日陰とのコントラスト、陰と陽のコントラストを滑らかに映し出すことはできません。かといって、HDR写真にしてしまうと、現実味が欠けた景色にしか見えないのも、また事実です。
肌にまとわりつく熱い空気と折り合いをつけながら歩いていると、ビルの壁に張られた大きなドラえもんと目が合います。重要個所を守る警備員が本物の銃と共にドラえもん銃も持っているのを眺め、こどもやその家族が同じようにドラえもん水鉄砲を抱え遊ぶ姿を眺めていると、自分の目で眺める景色のコンストラスとが全然わからなくなります。そんなとき、目の前にある景色が、まるで、ハイダイナミックレンジ合成写真(HDR写真)であるかのように感じられたりもするのです。
2011-04-18[n年前へ]
■「南国のドラえもん」と「四次元ポケット」
一年前、占拠状態の街にいるドラえもんを不思議な心地で眺めていました。たくさんの赤と若干の黒シャツを着た人たちが溢れる占拠地の中心集会所地区で、重要個所を守る警備員も(占拠地帯で占拠を続ける親戚たちと共に遊ぶ)こどもたちも、どちらも同じようにドラえもん銃を持ち、同じように気まぐれに水鉄砲をこっちに向けて、水をピューっと掛けてきたりします。
灼熱の太陽の下で、熱せられたコンクリートの上に座り込みを続ける人たちをずっと眺めていると、興味深いことに気づきます。地球が回り、太陽が空を動く…その動きにしたがって横断歩道やビルの陰は少しづつ動いていきます。そして、彼らは灼熱の太陽の下ではなくて動くビルの陰の上にいて、少しづつ動く陰と同じように彼らは座り込む場所を動かしていくのです。建物の陰がちょっと動くと、その陰に座る人たちもちょっと座る位置を変えていき、そして数時間も経てば、みな全然違う場所に座りこみをしているのでした。
街を眺めれば、いたるところにドラえもんがいます。町中に溢れ・人を眺める仏像のように、たくさんのドラえもんたちが人々の中に溢れていました。そのドラえもんを印象深く感じながら、表現する言葉を見つけられないままに、一年経ってしまいました。
今、あの南国からドラえもんが日本に帰ってきたとしたら、四次元ポケットからどんなものをとり出すのだろう、と考えます。色々なものが現れた後で、四次元ポケットに残ったただひとつのものは、もしかしたら「希望」という名前なのかもしれないとも、ふと思います。