2010-08-01[n年前へ]
■「身の丈を知る」と「巨大な金型」
「型(かた)にハマらない(ハマれない)人」が好きです。そんな私の好きな人の言葉を聞きながら、アンゴルモワの恐怖の大王が訪れるはずだった1999年に、「パンドラの鐘」に野田秀樹が書いた言葉を思い出しました。
そこなのだ、ものをつくるってことは。
私はいまだに自分がつくる芝居がこの世で一番おもしろいと思っている。そう思ってつくっている。これはもはやカッコ悪いことなのかもしれない。
でもね、でもね、近頃つまらない芝居が増えてきたのは「身の丈を知る」なんていうコトバが横行しているからだ。身の丈知りたかったら舞台にあがるな、どっかそこら辺にいろと私は言いたい。金型に樹脂を流し込む巨大な装置を初めて見たとき、その横には条件出しをしている過程で作られた部品のようなものが山積みになっていました。巨大建築物のような装置と、横の樹脂の山を見ながら、「型にハマる」のも「型にハマらない」のも、どちらも大変なものだなぁ、と思ったものでした。
2011-04-18[n年前へ]
■「南国のドラえもん」と「四次元ポケット」
一年前、占拠状態の街にいるドラえもんを不思議な心地で眺めていました。たくさんの赤と若干の黒シャツを着た人たちが溢れる占拠地の中心集会所地区で、重要個所を守る警備員も(占拠地帯で占拠を続ける親戚たちと共に遊ぶ)こどもたちも、どちらも同じようにドラえもん銃を持ち、同じように気まぐれに水鉄砲をこっちに向けて、水をピューっと掛けてきたりします。
灼熱の太陽の下で、熱せられたコンクリートの上に座り込みを続ける人たちをずっと眺めていると、興味深いことに気づきます。地球が回り、太陽が空を動く…その動きにしたがって横断歩道やビルの陰は少しづつ動いていきます。そして、彼らは灼熱の太陽の下ではなくて動くビルの陰の上にいて、少しづつ動く陰と同じように彼らは座り込む場所を動かしていくのです。建物の陰がちょっと動くと、その陰に座る人たちもちょっと座る位置を変えていき、そして数時間も経てば、みな全然違う場所に座りこみをしているのでした。
街を眺めれば、いたるところにドラえもんがいます。町中に溢れ・人を眺める仏像のように、たくさんのドラえもんたちが人々の中に溢れていました。そのドラえもんを印象深く感じながら、表現する言葉を見つけられないままに、一年経ってしまいました。
今、あの南国からドラえもんが日本に帰ってきたとしたら、四次元ポケットからどんなものをとり出すのだろう、と考えます。色々なものが現れた後で、四次元ポケットに残ったただひとつのものは、もしかしたら「希望」という名前なのかもしれないとも、ふと思います。