2010-07-13[n年前へ]
■”シャボン玉”自動大量生産マシーンで、街や空を綺麗な反射で埋め尽くせ
超小型のシャボン玉自動大量生産マシーンが欲しい気持ちをなかなか抑えられないでいます。「シャボン玉メーカー 」のような、シャボン液に回転する吹き口をつけ、そこに空気をあてるという機械を、「簡単に持ち運ぶことができる大きさ・使い勝手」にしたようなものが欲しいのです。ちょうど、水鉄砲のような形をしていて、その先からシャボン玉が次々と発射される機関銃のようなものが欲しくてたまりません。
それを数十個用意して、ある夏の午後遅く、都会のそれほど高くないビルの屋上からシャボン玉を思い切り世界にバラまいてみたいのです。そして、そんな景色を一度眺めてみたいのです。なかなか割れないシャボン液を使い、美しい干渉色を見せる透明な球が、目の前の景色一杯に溢れる世界を見てみたい、と思うのです。
今日は、そんな「”シャボン玉”自動大量生産マシーン」の動画を(下に張り付けたように)眺めてみることにします。こんな動画を眺めていると、シャボン玉の膜に世界が多重反射する景色を眺めてみたい、とは感じませんか?
2011-04-18[n年前へ]
■「南国のドラえもん」と「四次元ポケット」
一年前、占拠状態の街にいるドラえもんを不思議な心地で眺めていました。たくさんの赤と若干の黒シャツを着た人たちが溢れる占拠地の中心集会所地区で、重要個所を守る警備員も(占拠地帯で占拠を続ける親戚たちと共に遊ぶ)こどもたちも、どちらも同じようにドラえもん銃を持ち、同じように気まぐれに水鉄砲をこっちに向けて、水をピューっと掛けてきたりします。
灼熱の太陽の下で、熱せられたコンクリートの上に座り込みを続ける人たちをずっと眺めていると、興味深いことに気づきます。地球が回り、太陽が空を動く…その動きにしたがって横断歩道やビルの陰は少しづつ動いていきます。そして、彼らは灼熱の太陽の下ではなくて動くビルの陰の上にいて、少しづつ動く陰と同じように彼らは座り込む場所を動かしていくのです。建物の陰がちょっと動くと、その陰に座る人たちもちょっと座る位置を変えていき、そして数時間も経てば、みな全然違う場所に座りこみをしているのでした。
街を眺めれば、いたるところにドラえもんがいます。町中に溢れ・人を眺める仏像のように、たくさんのドラえもんたちが人々の中に溢れていました。そのドラえもんを印象深く感じながら、表現する言葉を見つけられないままに、一年経ってしまいました。
今、あの南国からドラえもんが日本に帰ってきたとしたら、四次元ポケットからどんなものをとり出すのだろう、と考えます。色々なものが現れた後で、四次元ポケットに残ったただひとつのものは、もしかしたら「希望」という名前なのかもしれないとも、ふと思います。
2013-04-13[n年前へ]
■タイの水掛祭り(ソンクラーン)で軍事紛争戦略を考える!?
タイの1年は4月始まりなので、お正月休みは4月にあり、ソンクラーンと呼ばれます。この時期に行われるお清めのための人々同士の「水掛け」が、今では超無礼講な、水掛合戦と化しています。そんな水掛合戦の中にいると、少しだけ軍事紛争の国際戦略を理解することができるのです。
水掛合戦の地を歩くとき、まず気づくことは、「武器(=水鉄砲)を持っていると、紛争に巻き込まれる」ということです。水鉄砲を持ち歩くということは(かなりな割合の人が水鉄砲を持ち歩いているわけですが)周りの人に宣戦布告をして歩いているようなものですから、すぐに周囲から水の集中砲火を浴びせられて、びしょ濡れになってしまいます。それはいわば、リアクション芸人の「押すなよ!絶対押すなよ!」より超鉄板の「さぁ押してくれ」ならぬ「さぁ俺を水鉄砲で撃てよ!」合図だからです。
さらには自分が「水鉄砲」を持たなくとも、そういう「目立つ武器」を持つ・ひけらかす人の近くにいるべきではありません。そういう人が近くに居ると、気づくとその辺りが(あっという間に)「紛争地帯」に化してしまいます。とばっちりでびしょ濡れになるのがイヤならば、武器をひけらかす人たちに近づいてはいけないのです。それは、イラクや北朝鮮の近くに位置する国々の悩みと少し似ています。
かといって、「武器を持たない白旗上げ」戦略が良いかというと…そういうわけでもありません。丸腰無防備でただ歩いていても、容赦なく水を掛けられることもありますし、たとえば自転車になんか乗っていたりすると、まさに通りにたたずむこどもの「標的」になり、ドブネズミのようにずぶ濡れになります。…パンツまでぐっしょり濡れつつ自転車に乗っていると、「軍隊を放棄する」と宣言した日本が自衛隊という名の「軍隊」を持ち続ける判断をしていることを、少し理解できるようになります。
それでは、いっそのこと、強力な水鉄砲を持つのはどうでしょうか。たとえば、空気圧縮式で2500〜3500cc程度の弾丸(水)容量を持つ水鉄砲を使うと、10m以上先くの相手に容赦のない無慈悲な水攻撃をすることが可能です。あるいは、水鉄砲機能付リモートコントロールヘリ なんていうものも世の中にありますから、そういった武器を標準装備してみるのはどうでしょうか。
…しかし、そういう戦略では資材物資を潤沢に持つ巨大な国には勝てません。たとえば、通りを歩いていると、水鉄砲ならぬ消防車からの放水ホース攻撃(しかもチームで!)をしていたりもします。消防車相手に水鉄砲で挑むのは、空飛ぶB29に竹槍で立ち向かうようなもので、太刀打ちできるわけがありません。アメリカみたいな国を敵に回してはイケないのです。
しかし興味深いことに、消防車が容赦のない無慈悲な放水をしてる先に、その放水に負けず・向かっていく人々がいます。放水されても、満足げに水に向かっているのです。それを見ていると、アメリカも自爆テロには勝てないだろうな…ということを何だか納得できるようになります。
ちなみに、町の通り・商店街の前などでは、こどもたちが店や家から次々と補給される水を、通りを走るバスやバイクなどに(タライなどに入れた水を)掛けています。後方支援・ロジスティックスというのは紛争戦略に非常に重要な項目です。相手がこどもたちとはいえ、こどもたちが位置する場所が支援物資が無尽蔵に得ることができる家のあたり…となると、これも決して敵にしたくはない相手です。アメリカがかつてベトナム戦線で勝てなかった歴史が当然のようにも思えてきます。
そして最後に気づくことは、街中・通りのありとあらゆる場所に、「水鉄砲」と「ペットボトルに入れた戦闘用水タンク」が山のように積まれ・売られている、ということです。それらの兵器・燃料は、次々と買われていき、そして次々と新たな兵器が積まれていきます。それはつまり、戦争が起きると、兵器を供給する側や石油を売る側に、とめどなくお金が流れ込むのだな…ということです。それを水鉄砲の戦いを通じて実感できるのです。
タイの水掛祭り(ソンクラーン)を眺めていると、何だか歴史の教科書に載っていたことや・この瞬間の新聞・TVニュースに載っていることが実感できるような気になります。