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2006-09-06[n年前へ]

西村経済学教授へのインタビューまとめ板書 

Title 先日行った、西村和雄 京都大学経済研究所教授へのインタビューの「まとめ」板書です。「選択と未来」「イノベーションのジレンマ」「(16才の頃)知っておきたかったこと」など、なかなか興味深い話が登場しています。

 経済学インタビューは「全6回」ということで始まりました。全6回のうち、すでに3回文が公開されています。後は、すでにインタビューが終わっている第4回"感情で動いてる"友野先生、今回の第5回 西村和雄先生の次となる回でインタビュー自体を終えることになります(さらにもう一回だけ、まとめの回があります)。第2シーズンなんていうものもあったら良いな、と個人的には望んでいたりしますが、とりあえず、第6回目のインタビューはラストになるわけです。というわけで、最後は「希望学」の東大社会学研究所 玄田先生に話を聞きに行きたい、と思っています。

2006-09-12[n年前へ]

経済学インタビューの最終回は希望学 

『希望学』:東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト玄田ラヂオ 経済学インタビューの最終回は、東京大学社会科学研究所 「希望学プロジェクト」で知られる玄田有史 東大助教授にインタビューをさせて頂くことに決まりました。ありきたりかもしれませんが、経済学インタビューの最終回はつまり「希望」がテーマです。これまでの「満足」「価値」「魅力」「選択肢」「感情」「技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後はやはり、「希望」です。

キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。 「3つ」のヒント 玄田ラジオ
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 魯迅 竹内好 訳「故郷」

2007-09-09[n年前へ]

「ヒューリスティクス」と「焼き肉」と「ビール」 

 NTTがテレホンカードを導入した頃、20年くらい前、KORGのM1を抱えながら、武蔵野線に乗って初めて柏に行った。夏休みを迎える頃、「運河」近くで2,3日過ごしたような気がする。朝から晩まで技術工作をして、夜は運河へ蛍を見に行って、確か2,3日の時間を過ごしたような気がする。

 70年前の「いかにして問題をとくか」を読んで、ようやく「ヒューリスティクス(発見的論法)」の意味がわかった気になりました。
 その時のいつかの早朝に、ゴミ捨て場でFtbというカメラを拾った。1年もしない内に、そのカメラは永眠したけれど、そのカメラには色んな影響を受けた。少なくとも、その後の20年くらいは、そのカメラに影響を受け続けた。
 人はやがて いつかみんな 死んでしまうのですから
 それから何年も経ってから、繰り返し柏近くへ行くようになった。その近くで、1月半ほど過ごしていたこともある。午前の5分間の休憩と、45分間の昼休みと、午後の7分間の休みを経て、いつも夜には中華料理屋でビールを飲んだ。
 今年の初め、東京大学大学院 新領域創成科学研究科で話をしてきました。その夜は、基盤情報学専攻の某研究室の人たちと焼き肉屋で美味しいビールを飲んでいたわけです
 とても美味しかった焼き肉は、ふと思い返してみれば「牛鈴」だった気もする。 いや、違ったかもしれないけれど、茨城の県道沿いにある、焼き肉屋までテクテク歩いて行った気がする。…つまり、それをひとことで言うならば、つまりは「最高に美味しい焼き肉」だ。
  ヒューリスティクス(発見的論法) AならばBであるとき、Bだった→Aは正しいらしい

"How to Solve It" George Polya@1945
 確実なことも、100%正しいことも、きっと世の中には存在しない。そんな世界で、ポリア教授が書くヒューリスティクス(発見的論法)は、とても新鮮に響く。
 なにか心配事があってもだいじょうぶですよ
 それから、繰り返し柏に行くようになった。行く目的や、行く立場は変わっていったけれど、何度も何度も柏へ、あるいは、柏近くへ行くために柏を通り過ぎた。
「女性を感じさせないから(感じる前に終わるし)、体内を(女の子になるX精子が生き残りやすい)酸性のまま」にしておけるし、「ゴールから遙か遠くから、精子耐久レースを始めることができるから、酸性に弱い(男の子になる)Y精子を最後まで行かせない」ことができる…というような告白が「遺伝的アルゴリズム、遺伝的プログラミング、人工生命」というキーワードとともに語られたのです。
 「こんなものがあったらいいな」と思うことがある。けれど、そんな時「そんなものがあったらいいな」と思ってくれる人がいないことは多い。「そんなもの」が「どんなもの」なのかわかってくれる人はいないのが普通の当たり前だ。
だって、人には 限界があるのですから人にはできないことも あるのですからだから 一生懸命がんばったらあとは神様に おまかせすればいいのです
 そんな時、「そんなもの」が「どんなもの」なのかを実際に作り出すことになる。そのための長い時間が、一番楽しい時間だと私は思う。作り出した瞬間はほんの一瞬で、その峠を過ぎる一瞬が訪れたと同時に、その瞬間は過去の事象に変わる。だから、「そんなもの」が「どんなもの」なのかを作り出すための長い時間が、一番楽しい時間だと私は思う。
 だって、人はやがて いつかみんな 死んでしまうのですから

2010-03-24[n年前へ]

「贈る言葉」 

昭和の中頃を描いた、西岸良平の「三丁目の夕日」は、もうずっと昔の物語なのだろう、と読む人は誰しも思うのではないだろうか。それなら、「3年B組金八先生」はどうだろう。それも、やはり、昭和の中頃を描いたずっと昔の物語なのだろうか。

 1979年の10月26日から、翌年の春先までの期間、半年にも満たない期間に放映されたのが「3年B組金八先生」だ(第1シリーズ)。その短い期間に、どれだけ密度の高いものが詰まっているように感じたろうか。どれだけの気持ちを感じたろうか。

 「我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。そのために諸君は今、受験勉強をやっているわけです。もし東大に入って大蔵省の官僚になれる人がいたら、人間の本当の幸せのために1万円でも多く予算をぶんどってきなさい。大工さんになる者は家族たちの笑い声がいつも絶えないような、そんな素晴らしい家を作ってください。(中略)そしてこの川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか本当の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女たちがいることをお前たちは忘れるな。

3年B組金八先生 第1シリーズ 「第十六話」

 ふと…考える。もう、ずっと昔に「3年B組金八先生」は、前世紀の古い物語になってしまっていたのかもしれない。21世紀になって、すでに十年以上が経っている。時代が「平成」という名前になってから、すでに二十年以上過ぎている。あんな「贈る言葉」を、もう古く感じる時代になっているのだろうか。

 戦後が一段落して、これからバブルが来るっていう第2シリーズの頃が、一番いい時代だったのかもしれないね。

「”≠腐ったミカン”加藤優」を演じた「直江喜一」

2011-04-03[n年前へ]

「プレゼンする」ための基本的な「技術」 

 少し前に書いた「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」の日本語版第5刷と台湾版初版が、先月出荷されました。

 この本が「論理的」かどうかはさておき、人に何かを伝えようとする時のアドバイスを詰め合わせた本としては、手に取る価値があるものだと思っています。「基本的なことを書いた」ので「基本的過ぎる」と思う方も多いと思います。けれど、95パーセントの人は「その基本的なことができていない」というのも、またひとつの事実なのです。

 基本的なことに重心を置きすぎただろうか…と考えていた時に、こんなことを言われたことが印象に残っています。

論理的にプレゼンする技術 が一番売れた書店は、実は東京大学キャンパスの生協なんです。基本的過ぎると考えているかもしれないですけれど、"頭がいい東大生"ですら”そんな基本的”な本を買っていってくれているんです。おもしろいですよね?」

 そんな解析結果が、「うーん、なるほどなぁ」…と納得させられつつ、同時に「(底なしの向上心旺盛な)東大生恐るべし」とも感じさせられた、エピソードだったりします。

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