2008-04-20[n年前へ]
■油絵新技法@昭和五年九月
日本の油絵も、ようやくパリのそれと多くの距離を有(も)たぬようにまで達しつつある事は素晴らしき進歩であると思う。だがしかし、新らしき芸術の颱風(たいふう)は常に巴里(パリ)に発生している。まだ日本は発祥の地ではあり得ない事は遺憾であるが、それはまだ新らしき日本が絵画芸術のみならずあらゆる文化が今急速に新らしく組み立てられつつ動いて行く工事場の混乱を示している最中である。今あらゆる新らしきものを速かに吸収消化する能力こそ、若き日本人の生命であるともいえる。だが新らしき日本へ新らしき花を発祥させるには根のない木を植えてはいけない。一本の松は地下にどれだけ驚くべき根を拡げているかを調べてみるがいい。芸術はカフェーの店頭を飾るべき紙製の桜であってはならない。しかしややもすると、新日本文化は紙の桜となりがちである。それが最も気にかかる事だ。
2010-01-06[n年前へ]
■利用者(≠研究者)視点の信念が欠けた研究からはイノベーションの推進力になる技術は育たない。
国策スパコン、復活の意義を問う 「利用者視点の強い信念がなければ技術は育たない」から。タイトルを繰り返すなら、「活動資金は研究者にとって欠かせないが、利用者(≠研究者)視点の強い信念がなければイノベーションの推進力になる技術は育たない」という、非常に重要かつ現実的なひとこと。
活動資金は研究者にとって欠かせないが、利用者視点の強い信念がなければイノベーションの推進力になる技術は育たない。むしろ、資金がないときの方が、資金に頼ることなく、新たな発想やアイデアが生まれることも多いと割り切って考えることも必要だろう。その上で、活動資金のことを考えるべきだ。
一方で、若い研究者に研究費が集まりづらいという現実もある。何の研究がイノベーションの推進力になる技術かは誰も分からないことなのだから、こうした若い研究者も育てる視点から必要最低限の資金を提供することは、別途、考える必要があるだろう。
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