2010-01-06[n年前へ]
■利用者(≠研究者)視点の信念が欠けた研究からはイノベーションの推進力になる技術は育たない。
国策スパコン、復活の意義を問う 「利用者視点の強い信念がなければ技術は育たない」から。タイトルを繰り返すなら、「活動資金は研究者にとって欠かせないが、利用者(≠研究者)視点の強い信念がなければイノベーションの推進力になる技術は育たない」という、非常に重要かつ現実的なひとこと。
活動資金は研究者にとって欠かせないが、利用者視点の強い信念がなければイノベーションの推進力になる技術は育たない。むしろ、資金がないときの方が、資金に頼ることなく、新たな発想やアイデアが生まれることも多いと割り切って考えることも必要だろう。その上で、活動資金のことを考えるべきだ。
一方で、若い研究者に研究費が集まりづらいという現実もある。何の研究がイノベーションの推進力になる技術かは誰も分からないことなのだから、こうした若い研究者も育てる視点から必要最低限の資金を提供することは、別途、考える必要があるだろう。
2010-02-04[n年前へ]
■わたしが計算科学の現場で、今なお自分でプログラムを書いているのは…
「技術立国ニッポンの虚像が露呈した」~事業仕分けの当事者 金田康正氏はなぜ事実上の凍結判定を下したのか~から。
わたしが計算科学の現場で、今なお自分でプログラムを書いているのは、そうあらなければスパコンのハードとソフトの両面で何が本当に必要であるかということが分からないためだ。自分でプログラムを書き、本当に国費を投じる必要があるものは何であるのかということを発言する人材が少ない、あるいは発言してもその声が届かないという現状は、非常に嘆かわしいことである。
その背景には、最終的には「細部に神が宿る」という意識、そういう意識で手を動かす現場の研究者が評価されづらいという、日本の科学と技術への無理解が問題の根底にあるのかもしれない。いかに研究費を獲得するかということばかりに終始する研究者やそこに群がる人たちばかりが幅をきかしているのであれば、日本の科学と技術の未来は暗い。スパコン問題の本質は、単にスパコンだけの問題ではなく、日本の科学と技術の未来という、もっと高い次元で議論すべき問題でもあると考えている。
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