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2010-03-24[n年前へ]

「贈る言葉」 

昭和の中頃を描いた、西岸良平の「三丁目の夕日」は、もうずっと昔の物語なのだろう、と読む人は誰しも思うのではないだろうか。それなら、「3年B組金八先生」はどうだろう。それも、やはり、昭和の中頃を描いたずっと昔の物語なのだろうか。

 1979年の10月26日から、翌年の春先までの期間、半年にも満たない期間に放映されたのが「3年B組金八先生」だ(第1シリーズ)。その短い期間に、どれだけ密度の高いものが詰まっているように感じたろうか。どれだけの気持ちを感じたろうか。

 「我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。そのために諸君は今、受験勉強をやっているわけです。もし東大に入って大蔵省の官僚になれる人がいたら、人間の本当の幸せのために1万円でも多く予算をぶんどってきなさい。大工さんになる者は家族たちの笑い声がいつも絶えないような、そんな素晴らしい家を作ってください。(中略)そしてこの川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか本当の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女たちがいることをお前たちは忘れるな。

3年B組金八先生 第1シリーズ 「第十六話」

 ふと…考える。もう、ずっと昔に「3年B組金八先生」は、前世紀の古い物語になってしまっていたのかもしれない。21世紀になって、すでに十年以上が経っている。時代が「平成」という名前になってから、すでに二十年以上過ぎている。あんな「贈る言葉」を、もう古く感じる時代になっているのだろうか。

 戦後が一段落して、これからバブルが来るっていう第2シリーズの頃が、一番いい時代だったのかもしれないね。

「”≠腐ったミカン”加藤優」を演じた「直江喜一」

2012-06-16[n年前へ]

もうすぐ「平成」という時代は終わるのかもしれない。 

 昨夕、蒲田の「マンガ喫茶」がある辺りへ行った。街の他の場所とは全然違い、その辺りには見渡す限り人がたくさんいて、ずっと、飽きずに(何が起こるわけでもないのに)佇んでた。夜店がないのがもったいないくらいの、けだるい・けれどなぜか心地良い空気が満ちていた。

 日本の夏、キンチョウの夏というCMを思い出させる夏近い湿気た空気の中、何人もの報道アナウンサーたちが、配分時間と映像を気にしつつ、記事原稿を読む練習を繰り返している。

 オウム真理教を知ったのは、昭和が終わり、平成が始まろうとする直前くらいだ。電信柱に変な張り紙がされていたり、チラシがポストに投げ込まれていたりして、「何だあの奇妙奇天烈な一派は!?」と評判になり、「空中浮遊」とか「ダキニ天女」といった言葉がギャグとして使われたりしたのだった。

 その後、平成が初まってからの数年間は、TVの画面中で・大学界隈で・秋葉原の街で・・・オウム真理教は確実に「時代の主役級キャスト」だったように思う。その「オウム」の、ある意味での、「終わり」を蒲田で眺めた。

 「平成」という時期の登場人物たちが、気づけば、立て続けに舞台の上から消え続けているようにも感じられる。もしかしたら、もうすぐ「平成」という時代も終わるのかもしれない。

もうすぐ「平成」という時代は終わるのかもしれない。もうすぐ「平成」という時代は終わるのかもしれない。






2019-04-30[n年前へ]

「平成」の終わり、今日も前を向いて未来へと進む。 

 GW進行の3週間前、ソフトウェアデザイン2019年6月号向けに4ページ記事を書いた。校正時、タイトル冒頭に「秒速 340 メートル、」を付け忘れてしまったことに、「平成」最後の今日4月30日に気づいた。令和が始まる最初の月、5月に発売される該当記事の内容は、秒速30万キロメートルで進む光と、秒速340メートルで進む何か…にまつわる可視化記事だ。

 「平成」が始まったのは、京都の吉田寮あたりをウロウロしていた頃だった気がする。そんな元号が今日終わる。時間は秒速1秒で進み、その進行方向を人は未来と呼ぶ。そして、過去を後ろにいつも振り返りつつ、今日も前を向いて未来へと進む。



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