2011-09-01[n年前へ]
■実は凄まじい「光の屈折で水深が浅く見える効果」
「浅いと思った水中に足を差し入れると、思うよりずっと深かった」ということは誰しも経験したことがあるのではないでしょうか?空気と水の間の光の屈折により、水面を上から眺めると、本当の水の深さよりも、水がずっと浅いように見えるのです。
しかし、「(水面の上から眺めると)水の深さが浅く見える」というのを確認する実験は「お椀の仲に五円玉を沈めて眺めてみる」という程度の大きさであることが多いと思います。実は「本当の水の深さよりも、水がずっと浅いように見える」という”(見た目の)空間湾曲効果”は、そんな「スケール」では実感できないほどに実は「強烈」です。
下の写真は、床に格子模様が描かれた「水深5メートルのプール」を水面の上から撮影した写真です。透明度が高いので、足下すら水深が深く見えませんが、少し離れた辺りは水深がとても浅くなっているかのように見えてしまいます。離れた場所になると(まるで)水深が10cmほどもない浅瀬に見えてしまいます。…もちろん、このプールは「どこをとっても水深5メートル」です。
プールを満たしている水の透明度が高く、風もないために水面はただひたすらに平らなので、足下ですら「5メートルという水深」を感じさせないかもしれません。しかし、このプールは正真正銘、足下も5メートル、その先もすべてピッタリ水深5メートルです。
「光の屈折で水深が浅く見える効果」を大きなサイズで眺めてみると、たとえばこういった感じになります。「光の屈折で水深が浅く見える効果」は…異世界を感じさせるほどに実は凄まじいものなのです。
(この動画版が 続:実は凄まじい「光の屈折で水深が浅く見える効果」 にあります)
2011-09-02[n年前へ]
■明日は明日の風が吹く - Tomorrow is another day.
今日、30分ほどの話をする機会がありました。話す内容を何も考えていなかったので、早朝起きて話のアウトラインを描き・PowerPointスライドをテキトーに作り、実に情けない突貫工事状態で話をしてしまいました。
話した内容のうち「終盤(クロージング)」部分を、話した流れを自分で忘れてしまわないよう(話しつつ見せたデモなどは割愛しましたが)ここにメモしておこうと思います。
…こういったこと、「キャラクター」「シナリオ」「数打つ」と3つのことが、(先ほどまでの例とはまったく違うジャンルではありますが)新しい技術を見つけ・選び出し・生み出すということを考える上でも、やはり大切なのだろう、と私は考えます。 自分たちの”違い”・個性・特徴・ポジションを生かさなければ、「他の人たちでなく自分たちこそができる」という状況にはなりえないでしょう。 また、「道筋・ストーリー・ゴールへの台本」なくしては、長いこと・大きなものを作り出すことは不可能だと思います。 そんな台本なんてない、という人もいるかもしれませんが、そんな人の頭の中には、それがたとえ無意識下にせよ「台本・予想図」があるはずだ、と私は確信します。 そして、数打つこと、つまり、「たくさん手にする」ことが不可欠です。 数打たなければ、アタらないのです。
未来は、未来になってみないと「どうなるか」なんてわかりません。 不確実なものが未来です。 予想的中の明日で (^_^)v ということもあれば、予想した通りの残念な明日でやっぱり (>_<) ということもあると思います。 あるいは、考えもしなかった落とし穴が待ち受けていて (T_T) となるかもしれないし、はたまた、思いもしなかったプレゼントがあり (^o^) となっているのかもしれません。
未来は、予想の「アタリ」と「ハズレ」をかき混ぜたカクテルです。 しかも、その「アタリ」がほんの少しの時間を経ただけで、いつの間にやら「ハズレ」に姿を変えてしまったりもします。 その逆に、「ハズレ」馬券だったはずの紙切れが、気づくと「万馬券」に変身していたりもするのです。 つまり、「アタリ」と「ハズレ」は時に互いを入れ替え合う存在で、それらが入り交じっているのが未来だと思います。
だから、そんな未来への「宝くじ」はたくさんたくさん集めるべきだ、数打つべきだ、と強く言いたいのです。 たくさん集めさえすれば、その中には「アタリになるもの」が必ず混じっているものです。 そのアタリがいつまでアタリであり続けるかはわからないけれど、少なくともある一瞬にはアタリになるはずのものが、掌(てのひら)の中に確かに入っているはずです。 だから、「キャラクター」や「シナリオ」を見つけ出しながら「数打つ」ことをしていさえすれば「いつかはアタる」と安心して良いに違いない、と信じています。
さて、冒頭で引いた(5,6年前にオープンソースマガジンのために書いた)記事の続きには、こんな文章が書かれていました。
「自分のための勉強ノート」ですから、いつでも私は「自分がやりたい」勉強をしていました、と言いたいところですが、そういうわけではありませんでした。 なぜかと言うと、それは「自分のやりたいこと(勉強したいこと)」はこれだ、と自分でハッキリわかっていなかったからです。 だから、その瞬間その瞬間の、好奇心の赴くままに、目の前の謎・パズルを(その秘密を解き明かすことができそうな科学技術を勉強しつつ)、楽しみながら考える、ということをやっていただけです。 そんなことを長く続けているうちに、自分のやりたいこと、「何だかおもしろく楽しくなる科学技術」という方向性がようやく見えてきたというのが本当のところです。数字がバラバラに並んでいて、1から2へ線を結び、2から3へ線を引き、さらに次の数字へと鉛筆の芯を走らせていると次第に「一枚の絵」が浮かび上がってくる、というパズルがあります。 "Connecting the Dot"と呼ばれるこのパズルと同じようなことが、新しい技術を追いかける人たちにとってもある、つまり、新しい技術を追いかけ続ける日々も、そんな"Connecting the Dot"な毎日なのかもしれません。
私のように、「自分のしたいこと」を自分自身でもよくわからないという方も多いと思います。 そんな人(時)は、とりあえず何でもいいから続けてみるのもコツだったりするのかもしれません。 そうすれば、「将来長い時間をかけて自分がやりたいこと」も浮かび上がってくるだろうし、そういった「将来・現在やりたいこと」が「これまでにやったこと」と繋がってくることも多いと思うのです。
何をしたら良いかを見つけ出すのが難しい、選んだものが何か形になりうるのかどうか悩む、…きっとそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
てんでバラバラに見えても、さまい続けているように思えても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりするかもしれない、そういうことがあるものだということを、自分自身の経験から私は信じています。 たくさんの「点・ドット」を通過し線を引いていくうちに、いつの間にやら、”偶然"か"必然"かよくわからないままに、それらが繋がり・何かが浮かび上がってきたりするのです。
今日、お話したかったことは2つありました。
(冒頭で冗談交じりに話した)1番目は本の宣伝でしたが、2番目はこんな感じのおぼろげなことです。
閉塞感がある、先が見えない、風通しが悪い…そんなことに悩む研究開発を続ける人たちに向け30分程度の話をして欲しいと言われた時、「引き受けたは良いけれど、何を話せば良いかわからなかった」というのが正直なところです。
そこで、どんなことをとりとめのない話をしても矛盾しなさそうな「題目」を、とりあえず、メールで送信してしまいました。
それが、今日の題目、
「明日は明日の風が吹く」 "Tomorrow is another day."
です。予想もしなかったことですが、意外にこの言葉が何かの答えだったのかもしれない、と今は思います。
ガラクタのような話の中から何かの役に立つところを見つけ出して下されば、心から幸いです。 ありがとうございました。
2011-09-03[n年前へ]
■難しい漢字を書く人・書かない(書けない)人
小学生の頃、毎朝行われる漢字ドリル(テスト)が苦手でした。「読み」は不得意でなかったような気がしますが、「書く」ことがとにかく駄目だったのです。何しろ、7回連続(5点満点中)0点を取り、小学校六年生から五年生に「(バツとして)落第」したこともあったほどでした。
「小学生の頃」と書きましたが、今でも漢字を書くのは大の苦手です。苦手という言葉では美化し過ぎなほどで、私が手書きするメモはひらがなだらけ、ほとんど相田みつを状態です。だから、「漢字が書けなくたっていいじゃないか(ホントは良くない!)…だってにんげんだもの」とつぶやきつつ、いつもひらがなとごくごく簡単な漢字だけを書き連ねています。
いわゆる普通の日本語を書くときに、いったいどのくらい難しい漢字が使われているものかを知りたくなりました。そこで、Rubyで「テキスト中で使われている文字の平均画数」を算出するコードを書き、試しにいくつかの文章に対して解析を行ってみました。その結果が、たとえば、下の5つです(ちなみに、普通に使われる範囲のかな・漢字全体で平均画数を算出してみるとおよそ12画になります)。
- 「日本国憲法」平均6.8画
- 小栗虫太郎「失楽園殺人事件」平均5.5画
- 夏目漱石「吾輩は猫である」平均5.0画
- 太宰治「走れメロス」平均4.7画
- 相田みつを「にんげんだもの」平均3.4画
なるほど、日本国憲法は漢字が多いな、と当たり前のことを実感させられます。小栗虫太郎は漢字を多用しそうですし、漱石は太宰より漢字が多く、漢字が比較的少ない太宰よりも相田みつをはさらに漢字が少ない、という結果です。やはり、相田みつをは「画数少ない選手権のトップ1」です。
今回は5つほどのテキストのみをノミネートし、文章の「(平均)画数少ない選手権」を行ってみました。次回はもっと多くの各種文章に対し解析を行ってみようと思います。
漢字が書けなくたっていいじゃないか、
だってワープロじゃないにんげんだもの。
(いや、よくない)
2011-09-04[n年前へ]
■「虹色のバラ」と「国際特許というハッタリ」
染料を混ぜた水に切り花を挿すと、その花はその染料の色に染まります。そのため、ちょっとした細工をすれば、右のような虹色に彩られたバラを作り出すこともできたりします。また、バラは比較的日持ちするという理由で、こうした美しいバラは通信販売されていたりもします。
通信販売サイトを眺めていると、「色の染め上げ技術には、国際特許が取得されています」という言葉が書いてありました。また、"Wikipediaの"Rainbow Rose"を見ると、同じような文言が並んでいます。
TheIn 2004, they developed a method of adding color to the petals of chrysanthemums and applied for a worldwide patent.なにやら、ホラ(ウソとも言う)の香りがプンプンします。「国際特許」なんて存在しないよね?とか、”Worldwide Patent”って何それ…?といった当然の疑問が頭の中に浮かんでくるわけです。特許というものは、(EU含む)国別それぞれに分かれています。「国際特許」なんてものは存在しないのです。存在しないものを「取得」していると書いているということは、これはウソ(営業上のハッタリ)か、何かの勘違いである、ということになります。
そこで、もう少し調べてみると(こういう調査は事件調査と少し似ています)、Rainbow Roses の製造・販売元である River Flowers が特許申請した件というのは、PCT国際出願制度を利用した”WIPO Patent Application WO/2007/055565” "METHOD AND APPARATUS FOR COLORING FLOWERS, AND CLEAVING ELEMENT, HOLDER AND ASSEMBLY OF CLEAVING ELEMENT AND HOLDER"のようです。PCT国際出願制度というのは、各国に特許出願する手続きを簡略化する制度ですが、あくまで「出願への入り口」とも言うべき手続きに過ぎません。実際に特許を取得するまでには、「各国語での特許申請」やら「(日本で言えば)審査請求(特許を審査して下さいという手続き)」などを進めていかなければなりません。
しかも、WIPO Patent Application WO/2007/055565のステータスを眺めてみれば、出願国内(欧州特許庁)ですら「出願取り下げ」となっています。出願国ですらそういう状態ですから、その他の国は言わずもがな…です。
という具合で、やはりウソくさい「国際特許を所得している」”applied for a worldwide patent”という売り口上は営業上のハッタリ・ウソだったのだな、ということがわかるわけです。
現状のWikipediaは、自己宣伝による書き込みが多くされたものとなっていますから、"Wikipediaの"Rainbow Rose"も製造メーカー自身が作成したものなのでしょう(あるいは、販売元のビジネス・トークを真に受けた誤解が書かれているのかもしれません)。
それはさておき、虹色のバラは不思議な趣があって、少し魅力的です。「虹色の綺麗なバラ」と「国際特許というハッタリ」は似合わないような気もしますが、美しい花は一筋縄ではいかないトゲを持ち・何かしらのウソで自らをを彩り飾っている…というのも、またひとつの真実であるようにも思います。そんな風に考えてみれば、「不思議な美しさを感じさせるバラ」と「国際特許というウソとハッタリ」は、実はとても似合っているのかもしれません。
2011-09-05[n年前へ]
■長野 下諏訪駅で夏風に吹かれる風鈴の音
長野にある諏訪は(数えで七年毎に開かれる)「御柱」祭で有名です。そんな諏訪にある上諏訪駅や下諏訪駅のホームには風鈴が飾られていて、夏の風が吹くたびに、その流れに合わせ心地良いガラスの鈴音が響いていたりします。
下の動画は、下諏訪駅の改札口で眺めた景色です。人影のない駅のホームに夏の終わりの風が吹き抜け、丸時計の横に吊されたたくさんの風鈴が揺れ、そして、涼しげな音を周りに心地良く響かせる…そんな景色です。
小さな変化しか生じない映像と、その映像に重なる風の音色を、ヘッドフォンでもかけて聴いてみると、夏の終わりを実感させられるかもしれません。
2011-09-07[n年前へ]
■「うるさい電車の車内放送」を避けるためのテクニック
電車に乗ると、過剰な音量で流されている車内放送に驚きます。駅と駅が離れている地方の路線では異なると思いますが、首都圏を走る電車ではのべつまくなしに車内放送が流れていて、「あ”〜うるさい〜!」と感じることしきりです。
そんな時、頭上を見上げると頭の真上や正面真上にはいつも車内放送用スピーカーがあり、いつも「このスピーカーさえなかったらなぁ…なんでスピーカーのすぐ近くに座ってしまったのだろう?」と恨めしく間近にあるスピーカーをいつも見上げ続けてきました。
しかし、考えてみれば「自分の真上にいつもスピーカーがある」というのは、少し変なような気がします。そこで、飛び乗った東急東横線 各駅列車車両を隅から隅まで眺め、一体スピーカーがどこにあるのかを確認してみました。確認した結果の図、車両のどこに車内放送用スピーカーがあるかを描いてみたのが下の図です。
この図を描いてみて、「私は列車の中で隅っこの席に好んで座っていたけれど、そんな”隅っこの席”14/16=87.5パーセントの確率で間近にスピーカーがあったのだ!」ということに気づきました。隅っこの席には、(今日、確認した東急東横線の車両では)非常に高い確率で「真上・正面・すぐ横」のいずれかにスピーカーがあったのです。
「鉄道車両内部の音響特性について」という(遠藤氏らによる)研究報告を読むと、スピーカーの近くと(少し)離れた席では、(身長ほどの160cmの高さですら)4dB程度も”車内放送が響く音量”が違います。4dB…されど4dBです。
というわけで、今日見つけ出したのは「うるさい電車の車内放送」を避けるための
- あえて、隅の席には座らず、7人掛け席の真ん中に座る
ちなみに、上の図にも書き入れたように、「車両の隅っこの特定側にある席=隅っこの席かつ静かな席」となっていました。…しかし、その他の路線の車両種によっては、この席の真上にスピーカーがあることも多いのです。…というわけで、その席に座ろうとするならば、席の真上を見上げスピーカーの有無を確認しなければならない・・・という落とし穴があるのです。いやぁ、奥が深いものですねぇ。
2011-09-08[n年前へ]
■人に優しく・”バスト”に優しいブラの時代
「横縞模様の服は太って見える」「太く見えないように、縦縞模様のシャツを着ましょうね」といったアドバイスが「着こなし入門本」には必ず書かれているものです。
しかし、そんな縦縞・横縞のような単純なデザインが及ぼす知覚・視覚心理学的影響について書かれた本が大いにしても、「もう少し複雑なパターン」について書かれた着こなし解説本・服飾デザイン本はなかなか見つけることができません。
下の写真は視覚心理学を応用した「ブラジャー」と「普通のブラジャー」を比較した写真です。視覚心理学を応用したブラジャーの方は、10年近く前に作られたデザイン(設計)に沿い、5,6年前に、下着メーカの協力のもとに時代を先駆け作成された「バストが超立体的・3D的に飛び出す、人類の夢の産物=イリュージョンブラ」です。そんな「魔法のブラジャー」と、「普通のブラジャー」を着用した女性を撮影した画像です。そして、もちろん左下の女性も・右下の女性も同一人物です。
スマートフォン・クラウド、そんなキーワードが世の中に溢れています。しかし、そんな2010年代のこの時代になっても、人間の錯覚を十二分に活用した服飾デザインが登場していないというのは少し不思議です。しかし、…こんな”イリュージョン・ブラ”は必ず登場するに違いない、と私は思います。
人が「欲しい・あったらいいな」と考え・願い焦がれるものを、ドラえもんならぬ技術者は必ず作り出すのです。それが技術者であり、人なのです。
だから、こんな人に優しく・”バスト”に優しい”イリュージョン・ブラ”や”イリュージョン水着”が、来年の夏頃には巷(ちまた)に溢れているに違いないのです。…と、そう考えつつ「はや数年」経つ2011年の夏が終わります。
2011-09-09[n年前へ]
■続:実は凄まじい「光の屈折で水深が浅く見える効果」
『実は凄まじい「光の屈折で水深が浅く見える効果」』で「深い(水深5m)のプールも、光の屈折で”とてつもなく”水深が浅く見える・プールの底がねじ曲がって見える」ということを書きました。右の画像は、そんな深いプールの底面が浅く・ねじ曲がってみえるようすを撮影した写真です。しかし、人がそんな景色を実際に眺めた時に感じる奇妙さは、この写真の何十倍も激しいものです。
下に貼り付けた動画は、右上の写真を撮影した時と同時に撮ったものです。つまり、「綺麗な水が満たされ、水面に波がまったくない深いプールを眺めた動画」です。視点(カメラ)を動かすのにともない、プールの底がまるで深さを大きく変えるように変形しています。いえ、正確に言えば、まるでプールの底が変形しているかのように、光の屈折のために見えるのです。
水面での光の屈折がゆえに「浅いと思った水中に足を差し入れると、思うよりずっと深かった」ということはよくあるものです。しかし、それが「水深5mのプール」ならどうでしょう?飛び込んでみたら、水深5mだった…なんて、「光の屈折で水深が浅く見える効果」恐るべし、なのです。
2011-09-11[n年前へ]
■意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」
旧暦8月15日の夜には、「お団子」や「里芋」を作り 、夜空を動く満月を眺める「お月見(つきみ)」をします。満月の「十五夜」ということにちなみ、一般的には十五個のお団子を積み上げて飾ります。
ところで、「十五個のお月見団子」を一体どんな風に積み上げるものでしょうか? 十五個の「球」をピラミッド型に積み上げるというのは、少し考えてみれば、「とても難しい」ということに気づかされます。
一番上が一個というのは外せないとして、その下の上から2層目を三個、つまり、三角錐志向でお団子ピラミッドを作り始めると、上から4層目でにっちもさっちもいかなくなります。かといって、上から2層目を4個という四角錘志向にしてみると、上から三層目を作り終わった段階で、1個あまりが出てしまうのです。
十五個のお月見団子は、さまざまな積み重ね方があるのでしょうが、最下層から8個・4個・2個・1個という風に積み上げるのが一般的であるといいます。…と書いても非常にわかりにくいので、「お月見団子」の代表的な積み上げ方を、白い球模型で示してみたのが下の写真です。
まずは、下の写真は、左端から「(お月見団子を十五個積み上げる際の)下から1層目・2層目・3層目・4層目」をそれぞれ別々に示した模式形状です。
そして、上写真のような「お団子層構造」を4層分積み上げていくと、下に貼り付けた写真のような、ピラミッド状「お月見お団子」ができあがるというわけです。
十五個のお月見団子を「8個・4個・2個・1個」といいう具合に積み上げようとすると、これが結構難しいものです。特に、最後の「2個・1個」という山頂部分は、かなり無理がある構造で、不安定極まりない構造です。それはつまり、運動会などで行われる「組み体操」の一番上のような状態、2個並んだ団子の上に(一番上の)団子が一個乗っかるという状態です。もしも、彼らの団子三兄弟を(前や後ろから)ポンッと押せば、あるいは揺らせば、すぐに倒れること間違いない不安定状態なのです。
さて、明日は中秋の名月です。お団子を自分たちで作り、がんばって十五個の団子を積み上げてみるのも面白いはずです。あるいは、コンビニやスーパーで月見お団子をセットを買うのなら、その十五個のお団子がどのように積み上げられているかを調べてみるのも面白いと思います。もしも、面白い積み上げ方がされているのを「発見」したならば、お裾分けに、わたし(jun@hirax.net)にもこっそり教えて頂ければ幸いです。
コンビニやスーパーで、十五個のお月見お団子がどのように積み上げられているかを調べてみた話が『続:意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」』に書かれています。
2011-09-12[n年前へ]
■続:意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」
今日は、旧暦八月十五夜、中秋の名月です。だから、コンビニエンス・ストアやスーパーマーケットに行くと、レジ近くには、十五個入りの「お月見 お団子セット」が並べられています。
そのお団子セットを眺めてみると、(意外に難しい、お月見団子の「積み上げ方」で書いたような)「最下層から8個・4個・2個・1個と積み上げる」システムではなく、最上層から一個・五個・九個という配置になっていました。
そこで、白い球模型で「コンビニに売られていた十五夜お月見お団子セット」を再現してみたのが、下の写真です。左から(下から数えて)第1層目=9個・2層目=5個・(一番上の)3層目=1個で、これらを全部積み上げると右の写真のように全部で十五個の団子ピラミッドになるという積み上げ方です。
「最下層から8個・4個・2個・1個と積み上げる」システムに比べて、「最下層から9個・5個・1個と積み上げる」システムは、積み上げ方が「一階」低くなっています。
たとえば、その2種類の積み上げ方をした「お月見団子」を比較した写真を眺めてみれば、「9ー5ー1 システム」の先端が鋭く天上に伸びているのに対して、「8ー4ー2ー1 システム」のお団子は(まるでエジプトの屈折ピラミッドのように)先が鈍く低くなってしまっています。けれど、それと同時に、低くなった分だけ安定感が非常に増しています。
…もしかしたら、「お月見団子ピラミッド」を大量生産し・店頭に届けようとすると、「9ー5ー1 システム」のような安定感があるシステムでなければダメで、つまり、「8ー4ー2ー1 システム」のような構造的に不安定な積み上げ方では形を維持することができなくて、「使えない」のかもしれません。
お店で「お月見団子」を眺めたら、どんな積み上げ方=どんなシステムになっているかを眺めてみると面白いかと思います。そして、それらのシステムの違いによる安定感の違い・見た目の違いに考えを巡らせてみると、面白いと思います。
2011-09-13[n年前へ]
■「十三個お月見団子ピラミッド」と「名残の月」
今日は新暦いわゆる太陽暦の9月13日ですが、旧暦の9月13日…つまり、来月の頭頃には「十三夜」の観月が行われます。旧暦8月15日「十五夜」が「仲秋の名月」なら、旧暦9月13日「十三夜」は「名残の月」と呼ばれます。
十五夜は、ススキを飾り、月見団子や枝豆などを頬張り、空に浮かぶ月を眺めました。…いえ、正確に言えば、十五夜の一日前にあたる日曜夜、ススキならぬ「ススキみたいな草木」を飾り、まだ完全には丸くない月を眺めました。それはつまり大晦日に正月を祝うようなものですし、それっぽいけれど、そこはかとなくニセモノの香りも漂ってきます。
しかし、想像した以上に「十五夜の月と空」は綺麗でした。月が時折雲の後ろに隠れ、動く雲の背後から輝いていることもありましたが、空を動く雲の速さを新鮮に感じることができて、それもまた趣ある光景だったのです。
肌寒さが感じられるだろう来月の頭「十三夜」には、どんな風に月を眺めてみようかと考えます。そしてまた、十五夜の「十五個お月見団子ピラミッド」の並べ方に頭を悩まされたように、今からすでに、十三夜の「十三個お月見団子ピラミッド」は一体どういう風に積み上げれば安定なんだろうか・綺麗に見えるのかというパズルを楽しんでいます。
今年の「十三夜」は10月9日の日曜夜です。日曜の夜なら、「大晦日に正月を祝う」かのごとく「日にちをずらす」ようなことはしなくても良さそうです。
あなたは、どんな風に十三個のお月見団子を積み上げて、どんな十三夜の月を眺めるのでしょうか?
2011-09-16[n年前へ]
■東京パラダイス「千鳥ヶ淵のボート乗り」を体験してみよう!?
パラダイス…それは、時間を超え・空間を超え・人の常識を遙かに越えた桃源郷です。 首都 東京にもそんなパラダイスへと続く隠れ戸がたくさん隠されていて、たとえば東京駅から十分ほど、中央線・総武線の市ヶ谷駅前に広がる釣り堀の「市ヶ谷フィッシュセンター」などは、そのひとつです。
そんな時空間を超越した「パラダイス」のひとつ、「千鳥ヶ淵のボート乗り」を体験してきました。江戸城(皇居)を囲むお堀のひとつである(日本武道館のある北の丸公園を囲む)千鳥ヶ淵では、ボートに乗ることができ、桜の季節には皇居の桜を眺める人たち(多くはカップル)が溢れます。しかし、強い日差しが差す真夏ともなると、日差しから逃げ場のない水面へ繰り出そうとする物好きはほとんどいません。…というわけで、真夏の太陽の下、千鳥ヶ淵のボート乗りをしてみました。
千鳥ヶ淵のボート乗りは30分500円、1時間で1000円です。値段を見ればわかるように、時間単価は変わりませんから、まずは30分のチケットを買い・長引いた分だけ後で追加で払うのがお勧めです。
また、手こぎボートと足こぎボートがありますが、足こぎボートは屋根付きなので、日焼けを避けたいのであれば、足こぎボートの方が良いでしょう。しかし、空を見上げたい開放感好き&ボートを力一杯漕ぎたい人であれば、足こぎボートの方が良いかもしれません。また、手こぎボートなら向かい合わせに座ることになりますが、足こぎボートでは(車の運転席・助手席のように)並んで前を向き座るという「座り方」の違いも、カップル・デート向けには大きな違いとなるかもしれません。
お堀の水面に浮かぶボートからは、都会の街並みでなく・水辺の木々や草しか見えなくなります。そんな、緑に囲まれた水の上で、空を見上げると時空を超えた桃源郷、”ザ・パラダイス”を感じます。
2011-09-17[n年前へ]
■続:秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?
秋葉原と御徒町の中間にある、歴史を感じさせる銭湯「燕湯」は早朝から営業しています(参考:秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?)。だから、汗をかく暑い夏、あるいは冷たい風に吹かれて体が冷えた寒い冬、昼間から熱い湯船につかりたい時には、燕湯の入り口をくぐります。
入浴料金450円と、貸タオル料金20円を払い、大きな荷物も入れることができるロッカーに服や鞄を入れ浴室へ繋がるガラス戸をガラガラ開けると、奥は深さ1m近くの泡風呂と(岸壁に滝がもうけられた)岩風呂があり、その先にある壁一面には、(時折描かれ直す)「富士山の眺望」が広がっています。今は、小高い山の向こうに見える富士には雪が残り・桃色の桜が咲き・滝壺を松の木が囲う…そんな景色が(男風呂からは)見えています。さらに、上を眺めると、三階相当の吹き抜け天井に連なる窓は開けられていて、開けられた窓の向こうには青空がさらに広がっているのです。
銭湯の「湯」は家ではいるお風呂よりも「熱い」のが基本です。特に、一番風呂から間もない「焚きたて」の湯船は、人が入ることで湯の温度が下がることもなく、ピリピリと熱く透明度の高いお湯が満たされているものです。それが、銭湯のキホンの定理です。
「燕湯」のお湯は、浴槽に湯を注ぐ部分に取り付けられている温度計を見ると、45℃〜46℃となっています。しかし、私の体感的には「湯船は43℃前後かな?」といった程度です。つまり、「湯船に足を入れ・湯にひたる…チリチリ熱いと感じつつ3〜5秒待つ…よしっ、熱さもほどほどで心地良いなぁ〜」と感じる程度です。
余談ですが、本当に熱い湯の場合には、「チリチリ熱いと感じつつ3〜5秒待つ」の終わり頃に、「うわぁ、熱さが収まるどころか増すばかりだぁ!」となります。不思議なことに、最初の2,3秒は「本当に熱い or 心地よく熱い」の区別がつきにくいのです。湯に浸ってから数秒後、ようやく、熱さのピリピリが消える・ますます増える…の違いがわかるように思います。余談をさらに続けると、だから真のリアクション芸人は、「熱湯風呂」に落ちた直後に「アッチッチ〜」と叫びつつ飛び出すのではなく、数秒待った後にこそ「アチィ〜!」と飛び上がるべきだ、というのが私の伝熱人体工学的持論です。
本題に戻ると、熱い湯に漬かった後に冷水を浴びると、最高に気持ちが良いものです。体の表面の熱を冷水が奪い去るのと同時に、体中の疲れも冷水が流し去っていくように感じます。冷水は「熱さ」だけでなく「疲れ」も消し、その代わりに「心地よさ」を体に満たしていくのです。…端的に言ってしまえば、この「水で体を冷やされる瞬間」を手に入れるために、銭湯の熱い湯に漬かるのだ、といっても良いくらいです。
こんな風に銭湯の湯を楽しんだ後、番台の横を抜けて銭湯から外に出ると不思議な浮遊感を感じます。ノスタルジックな空間を出るとメイドさんたちがたくさんいる秋葉原の町がある、というのは実に奇妙な感覚です。
今日は、九段下へ自転車で行く途中に、秋葉原「燕湯」に寄りました。右に貼り付けたのは、燕湯に入った後に秋葉原を抜け、その秋葉原の街を振り返り眺めた2011年9月の風景です。
2011-09-18[n年前へ]
■「放射性物質」と「ひまわり」と「こどもパワー」
福島の校舎屋上で集めた砂埃を、線量計のプローブ上に乗せてみます。すると、ここ数日に収集した砂塵も線量計を鳴らしますが、それと比べものにならないくらい、3月に収集した砂塵は今もうるさく「キッキッキキキッ」という音を鳴らします。半年少し前では非現実的なことであったようにも思えますが、こんな放射能体感実験を、今では、いとも簡単に行うことができるようになりました。
いつの間にか、「放射能」という言葉が日常的なものになってしまいました。これからも長い期間にわたり、そんなことを受けれざるをえない日々が続くようです。
だとするならば、そんな状況に応じて「いろんなこと」を学び・いろんな「教え方」をしてみるのも良いかもしれません。たとえば、小学校で「こんな授業」をすることもあるのかもしれないと思ったりします。
「放射性物質はね、花粉なんかと同じように、地面の表面や草木の表面にくっつくんだよ」
「雨が降ればどうなるの?」
「どうなりそうか、想像してごらん。雨が降れば、草木の表面から洗い落とされ・地面表面から奥へと染みこんで行きそうだよね」
「ヒマワリや菜種を植えれば、放射性物質を”地面から吸い込んで集めてくれる”って言ってたよ」
「そうだね、根からいろいろなものが溶け込んだ水分を吸ってね」
「土の中にある根っこが地面にある放射性物質を吸い上げられるの?ヒマワリの根って、わりと地面の深くに伸びているよね?」
「地表にあるものを、深く根が張るヒマワリの根で吸い上げることはできないよね。菜種ならもう少し根が浅いかもしれないけれど、それでも地表のものは吸い上げられないだろうね。雨が降って放射性物質が地面から地中へ入かないと、地中にある根からでは吸えなさそうだね」
「だけど、雨が降って、地面から土の中に染みこんで行った放射世物質を、全部吸い上げることはできないんじゃないの?」
「そうだね、土に染みこんで行った中のほとんどは、染みこんでいってそのまんま、だろうね」
「それなら、雨が降った方がいいの?それとも、雨が降らない方が良いの?どういうことが起きるの?」
「どういうことが起きそうか、どうしたら良さそうか、想像したり・考えてみることにしようか。さぁ、どう考える?」
九段下、お堀近くに建つ財務省の旧官舎で、福島県から避難しているこどもたちと「自転車鬼ごっこ」をして遊びます。こどもたちがシャカシャカシャカシャカと小さな小さな自転車のペダルを力強く漕ぎ、そのこどもたちに混じり、使われなくなった官舎駐車場でオタオタと遊び回る夏の終わりの日曜日です。
2011-09-19[n年前へ]
■染料インクで白い「鉄道花(ヒメジョン)」をカラフルに染めてみよう?
「虹色のバラ」と「国際特許というハッタリ」で書いたように、染料を混ぜた水に切り花を挿すと、花は色はその染料の色に染まります。染料というのは、簡単に水に溶くことができるような、たとえば数十ナノメートル程度の大きさの小さい色材です。植物が水を吸い上げていく細胞膜の穴は数十ナノメートルから百ナノメートル程度の大きさですから、植物が水を吸い上げようとすると、水に溶けた染料も植物の細胞を自由自在に通り抜け、花びらの先までたどり着くというわけです。だから、染料インクを使うインクジェット・プリンタ用詰め替えインクに切り花を生けると、花はその色に染まります。
「染料」と強調しているのは、つまり「顔料」ではない、ということです。顔料というのは百ミクロン大きさを持つ色材の凝集体ですから、そのままでは水に溶けることもありませんし、細胞膜の穴を通り抜けて行くにもサイズが大き過ぎるのです。だから、「顔料インク」に花を生けても、花が綺麗に色づくことはありません。
右の写真は、100円ショップのダイソーで買った「詰め替え染料インク」にヒメジヨンを生け、花にインクを吸い上げさせることでカラフルに染め・作り上げた「小さなカラフル花束(ブーケ)」です。色とりどりカラフルに見えるこの花束は、実はすべて白いヒメジョンで、「ヒメジョンをシアン・マゼンタ・イエローの三色のインク(とシアンとイエローを混ぜ作り上げたグリーンのインク)に生ける」ことで作り上げたものです。
そして、下の動画が「染料インクにヒメジョオンを生け、色づく」ようすを撮影したものです。インクに生けられた花が、水を吸うと同時に色を吸い上げて、花の色が変わっていく様子がわかります。デジカメの動画ではわかりづらいかもしれませんが、実際に眺めていると、ものの数分経たないうちに、花びらの葉脈から色づき・染まっていくことがわかります。
ところで、初夏から晩秋にかけて、小さな白い花を咲かすヒメジョオンは、線路沿いに咲きそろうことも多く「鉄道草」と呼ばれたこともあるといいます。鉄道大好きな「鉄子=鉄っちゃんな女性」が身近にいたならば、(右の写真のような全長10cm弱の)こんな鉄道花で作り上げた”お手製”カラフル・ブーケ(花束)を作り、「あなたみたいな小さいけれど可愛い花ですよ」と手渡してみるのも良いかもしれません。
鉄道花の花言葉:「君は鉄分100パーセント」
*ヒメジョン(鉄道花)の本当の花言葉は「素朴で清楚」です。
2011-09-20[n年前へ]
■A全判 = A1判( 約60センチメートル × 約84センチメートル )の世界一広い!?迷路(PDF)
「迷路」を作り・描き出すRubyスクリプトを書いてみました。手作業無しに迷路を自動作成することができるコードを書いたので、勢い余って「A全判 = A1判( 約60センチメートル × 約84センチメートル )の世界一だだっ広い!?迷路(PDF 6.5MB)」を作ってみました。
そのサムネイル画像(サムネイル画像のリンク先はPDFファイル)が下の迷路です。下の画像では、均一なハーフトーン画像に見えるかもしれませんが、実は巨大な迷路です。その巨大迷路を拡大して眺めてみれば、「左下」と「右上」に、それぞれ「入口」と「出口」があることもわかるかもしれません。この迷路(464x323ユニットもあります)を、左下(入り口)から右上(左上)まで抜けるには、どんな迷路上級者でも丸一日以上かかるのではないでしょうか。
さて、「手作業無しに、プログラマブルに迷路を自動作成することができる」コードを書いたにしても、その迷路が果たして使いものになるか・どの程度のものなのか…という確認作業は「とても手作業ではできない」ということに今更ながらに気づかされました。巨大迷路をプログラムで作り出すのは一瞬ですが、その巨大迷路がまともなものであるかどうかを確認するのは、ちょっと面倒そうです。
迷路のテスト・評価を手動でできないのなら自動でやろう!ということになるわけですが、さてさて「迷路生成プログラムの品質を評価するテストコード」は一体どのように書けば良いのでしょうか?
2011-09-21[n年前へ]
■「実装」の「迷路」
昨日、迷路を描くRubyコードを書きました。 コードは「壁が交わる格子点」基準で書きました。 壁基準で書いた方が、簡単に迷路が作れ・右手法での迷路解法プログラムを書くのも簡単だろう、と考えたからです。 しかし、コードを書いている途中に、壁基準のコードだと複雑なことをしようとする時に「うまくない」かもしれないなぁと、ふと考えました。 それは、床を基準に格子点を作り出し・処理させた方が使い回しがきくかもしれない…といったような雑念でした。
しかし、床基準でコードを書いたとしても、それはそれで「うまくない点/苦労する点」に思い当たり、「壁(壁格子点)基準で書けば良 かった」と隣の芝生が青く見えたのかもしれない、とも思います。
何か目的があったとき、その目的を実現するものをどう実装すれば良いのだろう、とよく考えます。 どのやり方が良いのだろう?そもそも一体どういうやり方をしたら良いのだろう?と悩むことがあります。 あんなやり方/こんなやり方…さまざまな実現/実装方法を数多く経験したことがなければ、目的地にたどり着くまでにとても苦労したり、あるいは、目的地に辿り着くことすらできなかったりするのではないか、と思います。
経験が少ない状態で、経験以上に大きな看板を掲げて何かを作り始めると、ほとんどの場合失敗するように思います。 経験値ゼロで、役立つ武器もない状態で、巨 大な実装の迷路へ足を踏み入れたりすると…ゴールまで辿り着けるわけがありません。
結局は、経験値を稼がないといけないのだろう、と思います。 最初は小さなモンスターを相手に、小さなことからコツコツとの精神で経験値を貯めていくしかないように思います。 そして、経験値が高くなり、使える武器を少しずつ揃えていけば、中くらいの迷路の森を抜けることはできそうです。 さらには、経験値MAXになって・武器が十分揃ったならば、大きな迷路ですら抜けることもできるかもしれません。
そうすれば、壁に囲まれても目的地を見失うこともなくなり、あるいは、必要とあれば、迷路の壁をぶち破り突き抜けることもできるようになるかもしれません。
2011-09-22[n年前へ]
■「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」を作ってみた
AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会で篠田麻里子が優勝したので、記念に「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」を作ってみました。遙か遠くから眺めるとニッコリ微笑む巨大な篠田麻里子に見えるけれど(篠田麻里子が巨大だと言っているわけではありません)、近づいて眺めてみるとなんとビックリ、それは実は限りなく巨大な迷路だった!!という「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」です(「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」PDF 5.1MB)。その巨大迷路が「迷路」であることがわかるように、右目辺りを拡大してみたのが右の図です。このあまりにも巨大迷路、拡大して眺めてみないとわかりませんが、右上の角に「迷路の入り口」があり、左下角に「出口」があります。
篠田麻里子を推すファンであれば、この「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」選手権に挑戦してみるのはいかがでしょう。「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」選手権に参加することで得られるものは、巨大迷路をひたすら歩き、ようやく出口に辿り着いてみれば、そこは「お釈迦様の掌の上」ならぬ「巨大なまりこ様(篠田麻里子)のお顔の上」だった…という実にエキサイティングな体験です。そして、「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」選手権に挑戦し、誰よりも早く一番最初に「出口」に辿り着いた勇者は「自分こそまりこ様ファンのトップ・オブ・トップだ」と(自分の心の中だけで)誇ることができる達成感を手に入れることができるのです。
さて、オマケに…と言っては何ですが、「ちっちゃいAKB48 高橋みなみ 巨大迷路」も作ってみました(「ちっちゃいAKB48 高橋みなみ 巨大迷路」PDF 4.3MB…ファイルサイズもちょっと小さめ、です)。こちらの巨大迷路も入り口は右上で、目指す出口は左下、です。たかみなファンの方々は、この「たかみな巨大迷路 脱出レース」に挑戦してみるのはいかがでしょうか。
ちなみに、私は「たかみな巨大迷路 脱出レース」に”誰より早く””一足先に”フライング出場しており(まりこ様もたかみなも好きなんで…)、今現在、たかみなの左手首上辺りをウロウロとさ迷っているところです。…そして、「この迷路、実は出口まで辿り着く経路が無かったりしないよなぁ?」と疑心暗鬼になりつつ「あっ、迷路自動生成プログラムを作ったのはオレだったっけ…うーん、全然信用できねぇ」「あっ、そういえばテストコード書いてないし、テストなんてしてねぇ…orz」と「たかみな巨大迷路」のどこか片隅で崩れ落ち倒れているのです…。(参考:迷路自動生成アルゴリズム)
自分には何が足りないのだろう?
ひとり悩んだ時もあった。
だけど、立ち止まっていてもしょうがない。
じゃんけんみたいに運は巡るもの
君のペースでゴールまで走り抜けろ!
AKB48 「チャンスの順番」
2011-09-23[n年前へ]
■カラフル版「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」に挑戦してみよう!?
「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」を作ってみたで作ったのは「迷路の壁の厚みで濃淡(絵)を表現する巨大迷路」でした。しかし、白黒だけではつまらない…というわけで、今回は「カラフルに色を塗った壁」で仕切られた「巨大なAKB48 篠田麻里子 カラフル迷路」を作ってみました。
そして、作り上げた「”まりこ様”カラフル巨大迷路」の入り口から巨大迷路内部へと突入し、ウロウロ・グリグリしてみたさまを撮影したのが下の動画です。この動画を一目眺めれば、「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」の常識はずれの大きさを実感できるだろうと思います。
この「巨大なAKB48 篠田麻里子 "カラフル"迷路」の設計図面をPDFファイル(6.8MB)にしておきましたので、「われこそは巨大なまりこ様(篠田麻里子)の笑顔」を到達し・さらにその先にあるゴールを目指すのだ」「出口までたどりつく最初のという猛者(ファン)は、巨大な紙に印刷するなどして、このジャイアント迷路通過レースにぜひ挑戦してみてもらいたいものです。
ちなみに、今回は入り口(右上)からゴール(左下)までの経路が存在していること、前もって確かめておきました。決してあきらめず、迷路の中を(印などをつけつつ)少しづつ進んでいけば、必ず出口へとたどり着くことができるはずです。…さぁ今回のカラフル版「巨大なAKB48 篠田麻里子 迷路」通過選手権の勝者は誰だ!?
2011-09-27[n年前へ]
■iPhone 4 で広角の動画を撮影する時にはフェイスカメラを使おう!?
iPhone 4 で「イマイチ」と感じることのひとつが「動画撮影時の画角の狭さ」です。 静止画撮影時には比較的広角気味な画角なのですが、動画撮影モードに変更した途端、(上下ともに)画角が狭くなるのです。 つまり、撮像素子であるCMOSセンサーの中央部分のデータのみがプレビュー・撮影に使われるようになります。 比率で言うと、上下ともに2/3程度にまで、上下ともに画角が狭くなってしまうのです。 だから、風景を動画撮影しようとした際などは、静止画で撮影するのに比べると、「目の前の景色が広がる感じ・雄大な感じ」が失われがちになります。
しかし、AV Watchの過去記事を読んでいて、ふと気づきました。 iPhone 4 の液晶面と同じ側にあるフェイスカメラは静止画撮影時も動画撮影時も画角が同じで、その画角は「メインカメラの静止画撮影時と同じ」です。 ということは、「目の前にある広大な風景を”広角の動画”として撮影したい時には、フェイスカメラで撮影すれば良いではないか!」と気づいたのです。
メインカメラ静止画 | フェイスカメラ静止画 | フェイスカメラ動画 |
---|---|---|
メインカメラ動画 |
---|
…とはいえ、フェイスカメラで撮影をしようとすると、液晶画面を見ながら撮影をすることができなかったり、カメラ(iPhone)操作が非常にしづらかったり…と難点も数多くあります。 つまり、「目の前にある広大な風景を”広角の動画”として撮影したい時には、フェイスカメラで撮影すれば良いではないか!」という大発見は、かなり無理のある思いつきと言わざるをえません。
しかし、人のいない大自然の中で「青空の雲が動いていくようすを撮影しようとする時」などには、このテクニックを使うこともできそうです。 もしも、そんなシチュエーションになった時には、メインカメラを青空に向けるのではなく、iPhone 4 をそっと地面に置き「フェイスカメラで真上を動画撮影してみる」のはいかがでしょうか。
2011-09-30[n年前へ]
■「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは本当に小銭が欲しいのか!?
他の人からお金を取り上げることを「カツアゲ」と言います。「カツアゲ」の鉄板イメージと言えば、次のような台詞です。
「オラ、金出せや」
「えぇ、お金なんて全然ありません〜」
「その場で飛んでみろや」
(チャリ・チャリ〜ン)
「あるやんけ!」
「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは小銭が欲しいのでしょうか?…その疑問を言い換えると、上の会話はこの後どのように進んでいくのでしょう。少し妄想してみると、こんな具合でしょうか。
「あるやんけ!」
「この十円玉6枚と5円玉1枚のことですかぁ〜」
「そや、六十五円もあるやんけ」
…少しおかしい状況です。こんな風に、小さなことからコツコツと、小銭を集め廻るカツアゲ・ヤンキーがいるとも思えません。
だとすると、こんな具合でしょうか。
「この十円玉6枚と5円玉1枚のことですかぁ〜」…これはこれで、「なぜ、それなら”その場で飛ばせてみたのか”という疑問が沸いてきて、どうも矛盾するような気がします。
「ちゃうわ!そんな小銭いらへんわ!」
…
カツアゲするとき・カツアゲされるときの「飛んでみろ」という定番台詞は、(ありがちな定番都市伝説でなかったとしたならば)一体何を意図したものなのでしょう。「飛んでみろや」とカツアゲするヤンキーは本当に小銭が欲しいのでしょうか!? ...*
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