2008-04-27[n年前へ]
■水道橋博士と河合隼雄が語る「星座」と"Connecting Dot"な「日々」
20年くらい前に、こんな言葉を聞いた。京都府の山中にある学校の学園祭だったか、大阪市内のコンサート会場だったか、あるいは、武蔵野のどこかの学園祭だったか、…その言葉を聞いた場所は忘れたけれど、それは種ともこの言葉だった。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができる"Connecting Dot"ってパズルがあるじゃない? バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良かったりするのかな?って時々思ったりするの。この言葉を聴いてから、"Connecting Dot"というパズルを見ると、そのバラバラに散らばった数字が「人の一生」に見えてしょうがない。
種ともこ
「河合隼雄 その多様な世界―講演とシンポジウム 」を読んでいたとき、河合隼雄が語るこんな言葉を見た。
(目の前にいる人・目の前にある悩みを)ボーと見ていると、おもしろいものが見えてくる。その面白いものが見えてくることを"コンステレーション"と呼びます。"コンステレーション"というのは「星座(を意味する言葉)」です。この言葉とよく似た言葉を、お笑いコンビ「浅草キッド」の片割れの水道橋博士が、1年ほど前にインターネットラジオで語っていた。
河合隼雄 「河合隼雄 その多様な世界―講演とシンポジウム 」
星が散らばっている時、その星を結んだ瞬間が一番楽しい。この「星」というのは、誰かの「足跡」ということである。ただ眺めてみた時には、それらの足跡の集まりは 、何の姿も持たない「空に散らばっている星」にしか見えない。けれど、その人の足跡・星を結んでいくと、そこには、ただの点でも直線でもない「その人の姿」が浮かび上がってくる、ということだ。
浅草キッド 水道橋博士
私たちは毎日走り続けている。時には、立ち止まったり、ゆっくり歩いてみたりしながら、流れる時の中で、何かの歩みを続けている。あるいは、好む好まざるに関わらず、移り流れゆく世界の中で、泳ぐことを続けている。その軌跡は、一体、どんな星座を描くのだろうか。
2011-08-25[n年前へ]
■繋がる「点」が描きだす世界
「点と点とナード」から。リンク先や、関連して連想したことを並べてみました。そしてまた、”この記事の「関連お勧め記事」”あたりも眺めてみると・・・面白いかもしれません。
…世間的な常識や評価、あるいは自分の将来の得失とかを考えると、どうもこういうことをやってて良いのか不安になるんだけれど、でもどうしても今これをやらずにはおれないんだ、という人に対して、「今それをやっておくことは将来必ず何かにつながるから、心配せずに好きなだけ入れ込みなさい」と…
点と点とナード
俺達は今ある選択肢の中で、冷静に、自分にとって一番良いものを選ばなければならない。どんな選択肢を選んでも、点と点がつながる可能性は捨てなくていいのだから。
点と点がつながると信じてたバカへ。
同じように、どの選択肢を選ぶかよりも、選んだことをどれだけ上手く実行するかが重要なのだ。宝くじ(”当たりくじ”)は、どんな道を歩んでも買うことになる。(どんな選択肢も結果的には”当たりくじ”であって、そこから価値を生み出すか否かは実行力が決めるのだから)
点と点がつながると信じてたバカへ。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができる"Connecting The Dots"ってパズルがあるじゃない? バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良かったりするのかな?って時々思ったりするの。
あしたのあたし
これから、興味があること楽しいことが、たくさん見つかるのかもしれません。そんな「たくさんのもの」の中から、自分でどれを選んでいくんでしょうね?何が、「一番のお気に入り」になるんでしょうね?
うーん、「一番のお気に入り」って何でしょう? 私は多分、ずっと、その場その場で気に入ることをするのかもしれません。そして、もしも飽きたら、新しいところに行きたがるんだろうなぁ、と思っています。 どうでしょ?
私も「ずっと、その場その場で気に入ることをする」感じかもしれません。 自分が一番気に入ることを続けた結果、一番最後に浮かび上がってくるものは(今の自分自身には)まだよくわかりません。…けれど、もしかしたら、他の人から見れば、かすかに見えていたりするのかもしれません。
「浮かび上がってくるもの」は、「他人から見た自分」のような感じがしますね。それは、もしかしたら、死ぬまで自分では見えないかもしれない。 けれど、でもその「浮かび上がってくるもの」が、どのような気持ちで描かれているかとか、どうやって描いたのかを知っているのは自分だけ。 それは、不便なような、だけど、面白いような。
「あなたが一番したいこと」
星が散らばっている時、その星を結んだ瞬間が一番楽しい。
水道橋博士と河合隼雄が語る「星座」と"Connecting Dot"な「日々」
この「星」というのは、誰かの「足跡」ということである。ただ眺めてみた時には、それらの足跡の集まりは 、何の姿も持たない「空に散らばっている星」にしか見えない。けれど、その人の足跡・星を結んでいくと、そこには、ただの点でも直線でもない「その人の姿」が浮かび上がってくる、ということだ。
私たちは毎日走り続けている。時には、立ち止まったり、ゆっくり歩いてみたりしながら、流れる時の中で、何かの歩みを続けている。あるいは、好む好まざるに関わらず、移り流れゆく世界の中で、泳ぐことを続けている。その軌跡は、一体、どんな星座を描くのだろうか。
水道橋博士と河合隼雄が語る「星座」と"Connecting Dot"な「日々」
2011-09-02[n年前へ]
■明日は明日の風が吹く - Tomorrow is another day.
今日、30分ほどの話をする機会がありました。話す内容を何も考えていなかったので、早朝起きて話のアウトラインを描き・PowerPointスライドをテキトーに作り、実に情けない突貫工事状態で話をしてしまいました。
話した内容のうち「終盤(クロージング)」部分を、話した流れを自分で忘れてしまわないよう(話しつつ見せたデモなどは割愛しましたが)ここにメモしておこうと思います。
…こういったこと、「キャラクター」「シナリオ」「数打つ」と3つのことが、(先ほどまでの例とはまったく違うジャンルではありますが)新しい技術を見つけ・選び出し・生み出すということを考える上でも、やはり大切なのだろう、と私は考えます。 自分たちの”違い”・個性・特徴・ポジションを生かさなければ、「他の人たちでなく自分たちこそができる」という状況にはなりえないでしょう。 また、「道筋・ストーリー・ゴールへの台本」なくしては、長いこと・大きなものを作り出すことは不可能だと思います。 そんな台本なんてない、という人もいるかもしれませんが、そんな人の頭の中には、それがたとえ無意識下にせよ「台本・予想図」があるはずだ、と私は確信します。 そして、数打つこと、つまり、「たくさん手にする」ことが不可欠です。 数打たなければ、アタらないのです。
未来は、未来になってみないと「どうなるか」なんてわかりません。 不確実なものが未来です。 予想的中の明日で (^_^)v ということもあれば、予想した通りの残念な明日でやっぱり (>_<) ということもあると思います。 あるいは、考えもしなかった落とし穴が待ち受けていて (T_T) となるかもしれないし、はたまた、思いもしなかったプレゼントがあり (^o^) となっているのかもしれません。
未来は、予想の「アタリ」と「ハズレ」をかき混ぜたカクテルです。 しかも、その「アタリ」がほんの少しの時間を経ただけで、いつの間にやら「ハズレ」に姿を変えてしまったりもします。 その逆に、「ハズレ」馬券だったはずの紙切れが、気づくと「万馬券」に変身していたりもするのです。 つまり、「アタリ」と「ハズレ」は時に互いを入れ替え合う存在で、それらが入り交じっているのが未来だと思います。
だから、そんな未来への「宝くじ」はたくさんたくさん集めるべきだ、数打つべきだ、と強く言いたいのです。 たくさん集めさえすれば、その中には「アタリになるもの」が必ず混じっているものです。 そのアタリがいつまでアタリであり続けるかはわからないけれど、少なくともある一瞬にはアタリになるはずのものが、掌(てのひら)の中に確かに入っているはずです。 だから、「キャラクター」や「シナリオ」を見つけ出しながら「数打つ」ことをしていさえすれば「いつかはアタる」と安心して良いに違いない、と信じています。
さて、冒頭で引いた(5,6年前にオープンソースマガジンのために書いた)記事の続きには、こんな文章が書かれていました。
「自分のための勉強ノート」ですから、いつでも私は「自分がやりたい」勉強をしていました、と言いたいところですが、そういうわけではありませんでした。 なぜかと言うと、それは「自分のやりたいこと(勉強したいこと)」はこれだ、と自分でハッキリわかっていなかったからです。 だから、その瞬間その瞬間の、好奇心の赴くままに、目の前の謎・パズルを(その秘密を解き明かすことができそうな科学技術を勉強しつつ)、楽しみながら考える、ということをやっていただけです。 そんなことを長く続けているうちに、自分のやりたいこと、「何だかおもしろく楽しくなる科学技術」という方向性がようやく見えてきたというのが本当のところです。数字がバラバラに並んでいて、1から2へ線を結び、2から3へ線を引き、さらに次の数字へと鉛筆の芯を走らせていると次第に「一枚の絵」が浮かび上がってくる、というパズルがあります。 "Connecting the Dot"と呼ばれるこのパズルと同じようなことが、新しい技術を追いかける人たちにとってもある、つまり、新しい技術を追いかけ続ける日々も、そんな"Connecting the Dot"な毎日なのかもしれません。
私のように、「自分のしたいこと」を自分自身でもよくわからないという方も多いと思います。 そんな人(時)は、とりあえず何でもいいから続けてみるのもコツだったりするのかもしれません。 そうすれば、「将来長い時間をかけて自分がやりたいこと」も浮かび上がってくるだろうし、そういった「将来・現在やりたいこと」が「これまでにやったこと」と繋がってくることも多いと思うのです。
何をしたら良いかを見つけ出すのが難しい、選んだものが何か形になりうるのかどうか悩む、…きっとそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
てんでバラバラに見えても、さまい続けているように思えても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりするかもしれない、そういうことがあるものだということを、自分自身の経験から私は信じています。 たくさんの「点・ドット」を通過し線を引いていくうちに、いつの間にやら、”偶然"か"必然"かよくわからないままに、それらが繋がり・何かが浮かび上がってきたりするのです。
今日、お話したかったことは2つありました。
(冒頭で冗談交じりに話した)1番目は本の宣伝でしたが、2番目はこんな感じのおぼろげなことです。
閉塞感がある、先が見えない、風通しが悪い…そんなことに悩む研究開発を続ける人たちに向け30分程度の話をして欲しいと言われた時、「引き受けたは良いけれど、何を話せば良いかわからなかった」というのが正直なところです。
そこで、どんなことをとりとめのない話をしても矛盾しなさそうな「題目」を、とりあえず、メールで送信してしまいました。
それが、今日の題目、
「明日は明日の風が吹く」 "Tomorrow is another day."
です。予想もしなかったことですが、意外にこの言葉が何かの答えだったのかもしれない、と今は思います。
ガラクタのような話の中から何かの役に立つところを見つけ出して下されば、心から幸いです。 ありがとうございました。