hirax.net::Tech-logs::2011-08-25

2011-08-25[n年前へ]

繋がる「点」が描きだす世界 

 「点と点とナード」から。リンク先や、関連して連想したことを並べてみました。そしてまた、”この記事の「関連お勧め記事」”あたりも眺めてみると・・・面白いかもしれません。

 …世間的な常識や評価、あるいは自分の将来の得失とかを考えると、どうもこういうことをやってて良いのか不安になるんだけれど、でもどうしても今これをやらずにはおれないんだ、という人に対して、「今それをやっておくことは将来必ず何かにつながるから、心配せずに好きなだけ入れ込みなさい」と…

点と点とナード
 俺達は今ある選択肢の中で、冷静に、自分にとって一番良いものを選ばなければならない。どんな選択肢を選んでも、点と点がつながる可能性は捨てなくていいのだから。

点と点がつながると信じてたバカへ。
 同じように、どの選択肢を選ぶかよりも、選んだことをどれだけ上手く実行するかが重要なのだ。宝くじ(”当たりくじ”)は、どんな道を歩んでも買うことになる。(どんな選択肢も結果的には”当たりくじ”であって、そこから価値を生み出すか否かは実行力が決めるのだから)

点と点がつながると信じてたバカへ。
 数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができる"Connecting The Dots"ってパズルがあるじゃない? バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良かったりするのかな?って時々思ったりするの。

あしたのあたし
 これから、興味があること楽しいことが、たくさん見つかるのかもしれません。そんな「たくさんのもの」の中から、自分でどれを選んでいくんでしょうね?何が、「一番のお気に入り」になるんでしょうね?

 うーん、「一番のお気に入り」って何でしょう? 私は多分、ずっと、その場その場で気に入ることをするのかもしれません。そして、もしも飽きたら、新しいところに行きたがるんだろうなぁ、と思っています。 どうでしょ?

 私も「ずっと、その場その場で気に入ることをする」感じかもしれません。 自分が一番気に入ることを続けた結果、一番最後に浮かび上がってくるものは(今の自分自身には)まだよくわかりません。…けれど、もしかしたら、他の人から見れば、かすかに見えていたりするのかもしれません。

 「浮かび上がってくるもの」は、「他人から見た自分」のような感じがしますね。それは、もしかしたら、死ぬまで自分では見えないかもしれない。 けれど、でもその「浮かび上がってくるもの」が、どのような気持ちで描かれているかとか、どうやって描いたのかを知っているのは自分だけ。 それは、不便なような、だけど、面白いような。

「あなたが一番したいこと」
 星が散らばっている時、その星を結んだ瞬間が一番楽しい。

水道橋博士と河合隼雄が語る「星座」と"Connecting Dot"な「日々」
 この「星」というのは、誰かの「足跡」ということである。ただ眺めてみた時には、それらの足跡の集まりは 、何の姿も持たない「空に散らばっている星」にしか見えない。けれど、その人の足跡・星を結んでいくと、そこには、ただの点でも直線でもない「その人の姿」が浮かび上がってくる、ということだ。
 私たちは毎日走り続けている。時には、立ち止まったり、ゆっくり歩いてみたりしながら、流れる時の中で、何かの歩みを続けている。あるいは、好む好まざるに関わらず、移り流れゆく世界の中で、泳ぐことを続けている。その軌跡は、一体、どんな星座を描くのだろうか。

水道橋博士と河合隼雄が語る「星座」と"Connecting Dot"な「日々」