2007-11-04[n年前へ]
■hirax.net コンテンツ用 Rails サーバ
ハイパー日記システム(HNS)で動いているinside outと、手書きHTML集合体の旧来のコンテンツとTYPO上で動かしている最近のコンテンツを一括して動かすRailsアプリが、ある程度動くようになった。「散らばりがちな内容を(システム的に)繋げて眺めてみたい」「自分が作った(自分が手直し続けやすい)システム上で動かしたい」という理由で作り始めたのだけれど、アプリケーションを作る作業をしていると、「やりたかった目的」以外の色んなことに気づく。そして、「やりたいこと」が増える。もちろん、「やらなきゃいけないこと」はもっともっと増えた。
今決めかねていることは、「ユーザが入力した検索キーワード」と「タグ」の区別だ。Make up Award! "Keyword"では、「ユーザが入力した検索キーワード」=「タグ」だった。ユーザが検索キーワードを入力した瞬間に、その文字列はタグキーワードになった。「髪型」や「スタイル」に関するタグは、私自身は作らずに「ユーザの入力」にまかせた。つまり、「ユーザが入力した検索キーワード」と「タグ」は完全にイコールだった。さて、今回はどうしようか。
古いシステムからのページ更新は、これが最後かもしれない。使うシステムが変われば、そのシステム上で何かを書くスタイルも変わるだろう。「'雑多で乱雑な気ままな感じと繋がり見通しが見えやすい感じ」にしたいのだけれど…どうなることやら。
2007-11-11[n年前へ]
■hirax.net on Rails へ移行
サーバ環境を「手書きHTML+TYPO+HNS」から、単一 Railsアプリへの移行を始めました。いつものように、ルーティングをはじめ不具合は多々出るとは思いますが、とりあえず環境を移行します。
10年近く使っていた(放置していた)コンテンツ全文検索用のシステムは、namazu を使う形態から Hyper Estraier を使うシステムへと変えました。全文検索は、前より気持ち良く使えるのではないか、と思います。また、スタイルははてな互換(tDiaryベースのスタイル)にして、GPLなはてなテーマを使うようにしています。
今ひとつ良くなさそうな変更点として、なんでもRSSおよびTYPOのRSS出力を使わないようにしたことがあります。そのため、新しいRSSへのリンクへ変更する必要があります。
■LabVIEW Days 2007
復活していた「LabVIEW ユーザー会]
2007年11月22日のLabVIEW Days 2007の会場において、日本LabVIEWユーザー会の公開OFF会を開催します。…目からウロコが落ちるアイディアや実践テクニックが聞けるチャンスです。
2007-11-12[n年前へ]
■使いこなしにくい「不揃い」は美味しい。
ハインツのトマトケチャップが人気があるという。 そのハインツの美味しさの秘密は、ケチャップに含まれるトマト果肉の粒径が大きく不揃いなことにある(かもしれない)、という話を聞いたことがある。 多分、上田隆宣氏によるレオロジー講義中で聞いた話だったと思う。 カゴメトマトケチャップの平均果肉粒径が5μmほどであるのに対し、ハインツは15μm程度だったというデータとともに、「だから美味しい。もっとも、その特性がために瓶からケチャップが出にくくて苦労する」というようなことを聞いた。その後、ハインツのトマトケチャップとカゴメトマトケチャップを比べてみたら、ハインツの方がむしろシャバシャバとしていて、粘性が低く「あれっ?」と思ったのだが、「美味しさには不均一が大切だ」という言葉はとても自然に納得できた。
同じようなことを、「おいしさ科学館」の館長氏も言っていた。「甘辛い」や「濃厚だけれどしつこくない」といった、相反するものや不均一なものを両方含んでいるものが美味しい。たとえば、ラーメンにせよスパゲッティでも「堅くて柔らかい」という不均一で単調でないことに美味しさを感じる。アイスクリームも大量生産品は空気やアイスクリームの混合状態が極めて均一だが、名人が作る手作りアイスクリームはそれが不均一だ。けれど、だからこそ美味しいのではないか、という話だった。
さらに「不均一な状態は美味しい」が、「不均一な状態」では保存などがしにくいので、大量生産・大量流通はさせづらい、という話も聞いた。たとえば、賞味期限などを考えた場合、一番劣化しやすい箇所からダメになってしまう。分散状態が不均一だと(そのバラツキがゆえに)「容易に劣してしまう箇所」がある。そのため、大量生産・長期保存などを考えると、どうしても均一な状態として製造せざるをえない。その結果、「美味しさを生む不均一・不揃い」と「均一にすることで大量生産・遠距離運送を可能とする使いこなし」は両立しがたい相反する項目、ということになる。
この「使いこなしにくい不揃いは美味しい」という話は汎用性の高い話で面白い、と思う。
2007-11-13[n年前へ]
■「醤油マヨネーズ」と「星形口」を繋ぐ粘性の秘密
「美味しさ・料理の科学」と言えば、上田氏によるレオロジー講座中で聞いた、色々なマヨネーズの粘性違いに関する話も面白かった。 たとえば、キューピーのマヨネーズに比べて、以前の味の素のマヨネーズは醤油とマヨネーズが作りにくかったという。 マヨネーズと醤油を混ぜ合わせようとしてかき混ぜても、なかなか上手く混じり合わなかったらしい。
そこで、マヨネーズの粘度測定、つまりマヨネーズの「粘っこさ・流動しにくさ」を計り、「剪断応力(かき混ぜにくさ)の定常値の平方根」と「剪断速度(かき混ぜる速さ)の平方根」による散布図 "Casson Plot" (キャッソンプロット)にしてみると、その違いが切片、すなわち、降伏値(剪断速度を0にしたときの応力の平方根)の違いとして現れたという。味の素マヨネーズの方が、キューピーのものよりも、降伏値が大きく、剪断速度が遅い~停止状態の「流動しにくさ」が高かったらしい。なるほど、かき混ぜる速度が遅いときや、かき混ぜるのを止めたときの流動性が低ければ、確かに混ぜ合わすことは難しくなりそうだ。
この「かき混ぜる速さ」に対する「かき混ぜにくさ」の違い、味の素マヨネーズとキューピーマヨネーズの違い、を生む原因は「マヨネーズに白身が使われているかどうか」であったという。
現在と違って、かつては、
- キューピーマヨネーズ(黄身だけ)
- 味の素マヨネーズ(黄身+白身)
- 味の素マヨネーズ ピュアセレクト(黄身だけ)
味の素マヨネーズが「降伏値」が大きいために醤油マヨネーズが作りにくい一方で、「降伏値」≒「剪断速度を0にしたときの応力」が大きいということは、容器から出てきたマヨネーズの形がなかなか崩れない、ということでもある。 つまり、容器の口が星形になっている容器から出されたマヨネーズであれば、星形断面のチューブ構造(のような姿)をなかなか変えない。 その結果、綺麗に映えるデコレーションをかつての味の素マヨネーズなら作りやすい、ということになる。たとえば、色とりどりのサラダを優雅に結ぶマヨネーズによる星型紐も、そんな原料・粘性の違いから生じることになる(のかもしれない)。『使いこなしにくい「不揃い」は美味しい。』と同じように言うならば、『かき混ぜにくいマヨネーズは形が崩れにくい』というわけだ。となると、結局のところ、よくある「長所と短所は同じこと」の1例である。
醤油マヨネーズに向く「マヨネーズの粘性」や、サラダを綺麗に彩る「マヨネーズの粘性」など、食材物性や製造技術も勉強してみるととても面白く奥深いのだろう。 「醤油マヨネーズ」と「星形口」を繋ぐ味の素マヨネーズの粘性の秘密から、「長所と短所は同じこと」なんていうことも浮かび上がってくるように。
2007-11-14[n年前へ]
■「天ぷらの語源」と「美味しいテンペラ画」
ニホン"Japan"と言えば、かつてはフジヤマ・テンプラ・スシ・ゲイシャだった。 この中の一つ、日本を代表するものの一つである天ぷらは、書物を辿っていくと、安土桃山時代の頃に始めて歴史に登場していることから、その時代に他国から伝わったのだろう、と言われている。
この天ぷらの語源は今ひとつよくわかっていない。 以前観たテレビ番組「謎学の旅」では、ポルトガル国立図書館に保存されている「日本使節伝記」に、1584年に日本からポルトガル リスボンを訪れていた天正遣欧少年使節が、9月18日の四旬節(クアトロ・テンプラシ)に魚の揚げ物を食べた」と書いてあることから、このクアトロ・テンプラシが天ぷら"テンプラ"の語源ではないか、としていた(二元書房「謎学の旅」 Part.2)。
イラストレーション・ソフトを作るために油絵の勉強をした時、油絵が広まる前に盛んだったテンペラ画技法について学んだ。 15世紀の画家、ヤン・ファン・エイクらが、非水溶性の顔料を油に溶いて画を描く油絵技法を確立する以前は、色を出す顔料を卵(特に卵黄)で包んで水(時には油)に溶かし画を描くテンペラ画技法が一般的だった。
非水溶性の顔料を卵白や卵黄で包むと、卵を介して水と油を混ざるマヨネーズと同じ原理で、顔料が水に溶けたエマルジョンとなる。 そのため、本来は非水溶性の顔料であっても、顔料を水に溶かし、画を描くことができた。このタネならぬ顔料を卵で包んで、水や油に溶かすテンペラ画は、まるで料理の天ぷらのようだ。
顔料を卵黄で包み油に溶かし画を描く技法はテンペラ・グラッサと呼ばれるが、私の頭の中の天ぷらのイメージは「油を加えたテンペラ画(テンペラ・グラッセ)≒天ぷら調理法」である。 天ぷらの語源が真実がどこにあるのかはわからないが、私の妄想の中では、テンペラ・グラッセのイメージ=天ぷら、なのである。
そういうわけで、テンペラ・グラッセ技法で描かれた名画は、何だか食べることができるような気がする。できれば、塩や大根おろしや柚ポン酢をかけたい。そうすればとても美味しいような気がしてならない。
2007-11-15[n年前へ]
■「喉越し過ぎるビールの速さ」と「ポタージュスープのトロみ」を味わう
料理の美味しさについて調べていたとき、結局のところ「違い」が美味しさを生んでいるんだ、という言葉を聞いた。 それが、居酒屋でビールなら、ジョッキに注がれた黄金色のビールと上に乗る白い泡の違い、飲むうちに変わっていく味や食感のグラデーション・移り変わり・違いがビールの美味しさの大きな要素になっている、なんていう話を聞いた。
「ビール」「違い」「美味しさ」と言えば、尾崎邦宏氏の「レオロジーの世界」を読んでいるときに、一番気に入ったのが「人が飲み物を飲むときの、液体の粘度と飲むときの速度(抵抗)の関係」を示すグラフだった。 それは、流れの速度で抵抗が変わる非ニュートン液体を被験者に飲ませ、被験者たちが「どのくらいの速度(また、それに応じて変わる抵抗)で飲み物を飲んでいるか」を確かめた結果である。 面白いことに、飲み物の飲み方に関して被験者ごとの違いはなく、誰でも飲み物の粘度に応じて「同じような飲み方」をしていたという。
粘度が10Pas以上の高粘度の飲み物、たとえばポタージュスープのような飲み物は、10 s^-1 程度の定速度で飲み込む。 非ニュートン液体は流れの速度で抵抗が変わるから、それは、スープの粘度の違いを「飲むときの抵抗の違い」として味わっている、ということになる。 トロトロしたポタージュスープを飲む時はポタージュが喉の中を伝う強い抵抗を味わい、サラサラとしたスープを味わう時には軽めの抵抗を楽しむ。
その一方、粘度が0.1Pas以下の低粘度の飲み物、たとえばビールなどを被験者たちが飲むときは、飲むときの抵抗値が一定になるように「飲み物の粘度に応じて飲む速さを変え」飲んでいた。 つまり、粘度が低い液体は早い流速で飲み、粘度が高めの液体は若干遅く飲んでいた、ということである。 ジョッキの中のビールを飲み込むときには、人は、そのビールがどのくらいの流速で喉の中を駆け抜けていくかを味わいの「違い」として楽しんでいる、ということになる。
空気の振動も、それがひたすらに一定単調だったなら、それはただの「音」に過ぎない。 しかし、音の高さが次々と変わっていくとき、それは音楽になる。 口に入れた途端に溶けていくアイスクリームの食感や、舌の上で甘みや辛みや苦みのバランスを複雑に変えていく味噌の味や、渓流下りのように速度を大きく変化させながら喉の奥へ落ちていくビールの喉越し、色んな違い・変化が「美味しさ」や「楽しみ」を作り出している。 色んな物理単位を鍵にして、食感の違いや、味の違いや、喉越しの違いが語られているのを見ると、何だか少し面白い。 そんな物理単位を「味の違い」として眺めることができるようになれば、理科年表を見るだけで思わずよだれが出てくるかもしれない。 そういう人に私はなりたい!?
2007-11-16[n年前へ]
■「美味しさを生む変化」と「老舗の銘菓」
美味しいものが、食べるとき・飲むときに感じる不均一さや変化といった「違い・移り変わり」にいよるものが大きいのだとしたら、美味しさと大量生産・長期保存は背反することになりそうだ。たとえば「堅さと柔らかさ」の両方を兼ね備える美味しいスパゲッティ、堅さと柔らかさの間を変化しつつある「皿の上のスパゲティ」はを長期保存するということは簡単にはできそうにない。あるいは、「ジョッキに注がれた黄金色のビールと白い泡」もその状態はごく短い時間しか続かない。老舗の銘菓に関する記事を読み、相反する美味しさと大量生産・長期保存を繋ぐこと、不規則に揺れ動く需要の波に対応すること、はきっと大変なんだろうと考えた。
、美味しさを生む変化や不揃いを作る技術や、それを長続きさせる技術の歴史はどういったものなのだろう。そして、そういった具体的な製法・技術とは別に存在するだろう、食べる側・飲む側が「美味しさ」を想像する助けとなる観念的なものには、どんなものがあるだろう。たとえば、「老舗の歴史」や「食べ物の由来」のような、飲食をより楽しめるような食べ物の背景にある物語の効果はどのくらいあるのだろうか。
2007-11-17[n年前へ]
■A dream is a wish your heart makes.
"Rail is draw"というURLにマッピングした「線路を描く」「自分が進みたいイメージ、けれどよくわからないイメージを自分で描く手伝いをする」というWEBアプリケーション。 作っているときに気づいたことは、自分が作りたいものは「定型作業をするアプリケーションでないもの」だということだ。目的・したいことが明確に決まっているものでなく、曖昧なイメージを形にする手伝いソフトウェアを作るのが好きだ、ということがわかった。だから、曖昧なイメージが「具体的なイメージ」として目の前に集められていくこのRailisdrawは、結構気持ち良く気に入っている。
システム手帳に"Cinderella Magick"とラクガキし、そして、このラクガキWEBアプリを作り始めました。だから、「シンデレラの魔法」がこのWEBアプリで作りたかったテーマです。ブラウザ上で、誰もがシンデレラになれるといいな、というのが本WEBサービスの"wish"です。
When you can dream, then you can start.
A dream is a wish you make with your heart.
A dream is a wish your heart makes.
If you keep on believing,
The dream that you wish will come true.
2007-11-18[n年前へ]
■風が強い日
同じような景色や似たような景色、同じようなことや似たようなこと、そんなことを眺め・読み返すことができるように、記事に付けられたタグの重複度から関連する記事を5つほど見つけ、表示する機能を付けました。
何百回眺めても、海の近くで眺める青い空はとても綺麗だ。もうすぐ日が暮れる時間に現れる深い青とゴールドの空も、日が落ちる瞬間の赤い風景も、日が沈んだ後の藍色の空もどれも本当に綺麗だ。
「景色」とは「直接には関わりの無い、余裕の有る傍観者の立場からする言葉」だと新明解は言う。けれど、そうじゃないような気も少しする。よくわからないけれど、そう思う。
2007-11-19[n年前へ]
■冬前の暖かい日
冬と秋の間の暖かい日。葉の向こうに見える青い空は、きっと何千年もの前の今日と同じ色の空。
「だってそうでしょう?箱は開けてみなきゃ、中身はわからない。電話は出てみなきゃ、相手はわからない… 少なくとも、旧式の電話はね」 「人の心だってそうよ。こうして…」 「- ノックしてみないと、わからないの」
2007-11-21[n年前へ]
2007-11-22[n年前へ]
■「研究者」と「経営者」
東京理科大学の宮原教授の講演を聞いた。それは、とても惹きつけられた講演だった。面白いと感じたポイントは2つあち、その一つめは、講演冒頭に「カルチャーショック」と題したスライドを見せながら話された内容だった。
それは、「研究者」と「経営者」の間の「違い」である。話を聞きながら、走り書きしたメモをタイプしてみると、
- 研究者(理系)
- 誰も知らない新しいことを見つけ、新しいものを作り出す
- 帰納的推論をする
- これしかない
- 経営者(文系)
- 誰でも知ることのできることの関係性から新しい視点を作り出す
- 演繹的推論をする
- 色々あるさ
もしも、研究者と経営者の間に技術者がいるのなら、上に書いた2つの中間になりそうだ。
そして、もう二つ目の面白かった内容は、期せずしてポスターセッションと趣向が重なり、同じように「エイク・フェルメール・モネ・デカルト・ニュートン…」という名前が登場する歴史とスペクトルと絵画に関することだ。多分、こういった内容はある種鏡のようなもので、見る視点の深さに応じて内容の深さが変わるものだと思う。深く眺めようとすれば、どこまでも深い内容が隠されているし、浅く眺めようとすれば浅い内容しか目に入らない。そういったものだと思う。
2007-11-23[n年前へ]
■夕日と列車
奇麗な景色や、奇麗な時間がたくさんある日。いつもと同じ、そんな一日。
「夢を見続ける力のことを“才能”と言うのだ」from 「関連記事」から
「そういう意味では、今回の芝居は、戸惑いつつも、才能は決して枯らさなかった人たちの物語ですから」
「裸足のままで飛び出して あの列車に乗って行こう。
ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない。
いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない」
「愛じゃなくても恋じゃなくても、決して負けない強い力を、
僕は一つだけ持つ」
■時代を眺めながら色の未来を考える
東京理科大学の宮原教授の講演の面白かった2つめのこと、実際には講演の主たる内容は、「光」と「色」を「産業や芸術や科学といった時代」の変化を辿りながら考える、というものだった。期せずして趣向が重なった「絵画の歴史を辿りながら、光と色を考える」というポスターセッションの研究報告と共に眺めることができたので、心から楽しめた。
この十数年、画像形成技術は進化し続けています。
しかし、歴史の中で十数年はほんの一瞬です。
講演終了後に話し合った「ニュートンとホイヘンスの論争をどう思うか」「宗教革命や産業革命そして東インド会社という時代からの必然」「シュンペータとイノベーション」といった話が、また面白かった。そういった内容については、画像関連の場所で、近いうちに、まとめて提供する機会を作りたいと思う。
千年近い歴史を、3分ほどで辿りました。
こういった話題を材料に、たくさんの方々と
お話できることを願っています。
2007-11-24[n年前へ]
■オン・レイルズ(廃線)
ランニングをしている時、信号待ちをしていると、足下の変な金属が気になった。錆びた黒い金属が長く伸びている。その長く延びる金属の上を歩いていく老夫婦を眺めると、まるでレイル(線路)の上を歩いているように見える。さらによく眺めてみると、老夫婦が歩く道の先に、さらに「レイル」が延びているように見える。
これは一体なんだろう?と思い調べてみると、その物体は本当に鉄道の「レイル」だった。昭和49年まで使われていたという旧国鉄の蛇松線が、こうして沼津駅から沼津港までの街の中に残っていたのだった。街の中に廃線が残っていて、人がその廃線上を、気づかぬうちに歩いていたりする風景は、映画を写すカメラの中の景色のようで、少し幻想的で綺麗だ。
■海辺
上半身はウィンドブレーカーで、下半身はショートパンツでも、風を気持ち良く感じるくらい暖かい。そんな、晩秋の海辺。n年前の景色を見ながら、こんな文章を思い出す。
さて、大正の末から昭和二十年代まで活躍した木版画家に川瀬巴水という人がある。
巴水のもっとも得意としたものは、暗く清澄な景色で、とりわけて夕焼けの風景を描いたものに、誰が見ても傑作という作物が集中している。
彼の夕暮れには、独特の寂しさが横溢していて、どこか人恋しい感じも漂っている。画中小さく描かれる人物はたいて後ろ向きで黙然と遠くを眺めてい、私どもはその画中の人物となって等しく日本の寂しい夕景を眺めつくす。
林 望「夕映えの渚にて」トランヴェール 2007,11
2007-11-25[n年前へ]
■しあわせさ~ち
「探したい幸せはなんですか?」という、たった一つの幸せ検索 Sachi - しあわせさ~ち - 検索キーワードをリアルタイムに電光掲示板に映し、「ユーザーが探しているしあわせ」を探して画像配信する。
■「インベンション」と「イノベーション」
「研究者」と「経営者」の違いの話を聞いた後に、場所を移して、少し長い時間、色々な話を伺った。その時、研究者からすると「新しい発見」≒「イノベーション」と思いがちだが、経営者からすると、「新しい発見」≠「イノベーション」だという話を聞いた。
宮原 諄二 教授の『「白い光」のイノベーション』(朝日新聞社)を読んでいると、 ジョセフ・シュンペーターの著作を挙げながら、「新しい何かを取り入れたり、既存のものを変える」イノベーションは、インベンション(発明)とは違う、という一節があった(p.31辺り)。この「インベンション(発見)」≠「イノベーション」だということは、まさに「研究者」と「経営者」の違いの的確な言い換えであるように思える。つまり、研究者がインベンションを追求する存在であるならば、イノベーションを追求するのが経営者あるいは企業者(起業者)だ、ということになる。
インベンション(発明)が市場や社会と共鳴してイノベーションが生まれるように、インベンションがイノベーションのきっかけになることはあっても、決して「インベンション(発見)」=「イノベーション」ではない。そういった事実は、市場や社会のニーズ、つまりは消費者の「欲求」が形として見えにくい現代だからこそ、重要な点だろう。
2007-11-26[n年前へ]
■SONY 超格安64"GB"USBメモリ(中国製?)
"SONY"というロゴが入ったUSBメモリを見せてもらった。超格安の叩き値のUSBメモリ、けれど、何と"64 GB"の超大容量USBメモリだ。色もデザインもとても綺麗だし、ドライバも不要で、USBポートに指すだけで、ちゃんと「空き容量=(ほぼ)64GB」と表示されている。これは素晴らしい優れものの、お買い得品だ。
…けれど、何だかおかしい。ファイルの追加はできても、削除はできないし、抜き差しすると「入れたはずのファイルは全て完全に消えてしまっている」 つまり、PC間のファイル移動には全く使えない。これでは、ほとんど何の役にも立たない…。
よくよく考えてみれば、タダ同然の超格安の叩き値で、64GBもの超特大容量のUSBメモリが売られているわけがない。しかも、SONYの製品がそんなに安いわけもない…。中国製恐るべし。
2007-11-27[n年前へ]
■「油絵のフランドル技法」と「フランダースの犬」
毛織物生産で経済的に潤っていた15世紀の(現在のオランダの)フランドル地方で油絵が生まれた。その新しい技術、油絵で驚くほど写実的な絵画を描いた ファン・エイク兄弟は、油絵の発明者と呼ばれることもある。エイク兄弟らが完成させた油絵技法、顔料と卵を水や油に溶いた材料で明暗を描き(モデリング層)、その上にさらに油絵で色調を重ね塗り(グレージング層)する絵画技法はフランドル技法と呼ばれている。
この「フランドル」は「フランダースの犬」の「フランダース」だ。フランス語読みすれば、フランドルになるし、英語読みすればフランダースになる。だから、油絵のフランドル技法は、少年ネロと愛犬パトラッシュのフランダース技法だ。そんなことを考えると、油絵の歴史の一こまが、まるで世界名作劇場の一こまに思えてくるから面白い。(「フランダースの犬」の主人公ネロが憧れる画家 ルーベンス はエイク兄弟が亡くなった100年以上後に生まれ、フランドルで活躍した)
2007-11-28[n年前へ]
■「東京タワー」と「分数階PID制御」
浜松町からほど近い増上寺越しに、朝と夜、二度東京タワーを見る。デジタルカメラのシャッターを何回も押したけれど、CFカードが入っていなかったことに、今気づく。
CFカードには記録されていないけれど、ファインダーの中で、(名前がわからないけれど)奇麗で大きな花越しに、通りの木々の葉越しに、増上寺の瓦越しに眺めた東京タワーは、つまり、積み重なった歴史の向こうに眺めた東京タワーはとても味わい深い姿と色をしていた。
芝公園の横、東京のホテル地下二階を会場にするMATLAB EXPO 2007 の会場を散策していると、「分数階PID制御」なんていうキーワードが耳に入ってくる。何だかとても懐かしいキーワードだ。以前、妄想したものの延長ならば、それは"現在"の姿を反映(比例)した"P=Proportional"と、過去の履歴を積分した"I=Integral"と、その瞬間の変化(動き・移り変わり)を強調した微分の"D=Differential"を、テキトーに混ぜ合わせたようなものなのだろうか。分数階微分の周波数領域、すなわち現在・過去・未来の間の色んな領域で、適当なゲイン(増幅率)をかけ、テキトーな位相遅れを加えた、そんな制御なのだろうか。
色んなものを聞き・眺めることは本当に面白い、とつくづく思う。世界は限りなく広い。
2007-11-29[n年前へ]
2007-11-30[n年前へ]
■「美味しい食べもの」を表現する技術
色んな小説や随筆などの中に登場する「おいしさ表現」を集めた「おいしさの表現辞典(東京堂出版)」を読んでいると、目の前にベルトコンベアがあって、その大通りの上を「信じられないほど美味しい食べもの」が次々と行進していくような気になる。一言でいえば、「ものすごく食べたくなるのに、見てるだけ」状態になる。この本には、そんな「目の前に料理があるかのように感じる」文章が詰まってる。
祖母に、お焦げを作ってくれたどうか尋ねる。 「パリパリいってから七つ数えたから大丈夫だよ」
かまどで、硬いマキで鉄の釜で炊くご飯。しかもアツアツのおこげで握るおにぎりである。
向田邦子「父の詫び状」
文章に限らず、絵画や写真や演劇や歌といったものには、つまり、ありとあらゆる表現技術には、きっと同じ基本があるのだろう。対象物を観察して、その対象物をよく感じた上で、何を濾過して強調するか決め、そしてそれを描く、そんな原理があるのかもしれない。
湯気は人の心をほのぼのと温かくする。
東海林さだお「タクアンの丸かじり」
本物よりも美味しそうな食べ物の写真。見たことのない料理だけれど、なぜか食欲をそそられる絵画の中の料理。実際に聞く調理の音より、生き生きと音が弾けて聞こえる映画の中の厨房シーン。そういうものを作る人たちは、どういう目や耳で料理を感じているんだろうか。
両眼はきらきらとかがやき、颯爽として蕎麦をあげ、蕎麦を洗う。
池波正太郎「散歩のとき何か食べたくなって」
そして、美味しそうに食べものを表現し尽くす人たちは、どんな風に食べものを味わうんだろう。きっと、美味しさで脳波計の針が振り切れるくらい、ADコンバータで桁あふれが起きるくらい、その美味しさを味わうんだろう。その美味しさの片鱗から生まれた表現さえ、こんなに美味しそうなんだから。
コーヒーの香ばしい香りがうす暗い店内に午後の親密な空気をつくり出していた。
村上春樹「ノルウェイの森」