hirax.net::Keywords::「憧れ」のブログ



2006-08-09[n年前へ]

エンジニアという職業選択は合理的ですか? 

リクナビNEXT/リクルートの転職サイト 「エンジニアのための経済学」に「エンジニアという職業選択は合理的ですか?」が掲載されました。小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、「経済学の視点から見た、理系エンジニアを職業として選ぶ理由」「“不況”や“失業者”を巡る二大経済学派の対立」「“理系の”小島助教授が経済学にハマった理由」といったことを聞いてみたのです。
 想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。

僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の「こうあってほしい世界観」に近くて、憧れとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。 ところが、その魅力的な世界を…

2007-11-27[n年前へ]

「油絵のフランドル技法」と「フランダースの犬」 

 毛織物生産で経済的に潤っていた15世紀の(現在のオランダの)フランドル地方で油絵が生まれた。その新しい技術、油絵で驚くほど写実的な絵画を描いた ファン・エイク兄弟は、油絵の発明者と呼ばれることもある。エイク兄弟らが完成させた油絵技法、顔料と卵を水や油に溶いた材料で明暗を描き(モデリング層)、その上にさらに油絵で色調を重ね塗り(グレージング層)する絵画技法はフランドル技法と呼ばれている。

 この「フランドル」は「フランダースの犬」の「フランダース」だ。フランス語読みすれば、フランドルになるし、英語読みすればフランダースになる。だから、油絵のフランドル技法は、少年ネロと愛犬パトラッシュのフランダース技法だ。そんなことを考えると、油絵の歴史の一こまが、まるで世界名作劇場の一こまに思えてくるから面白い。(「フランダースの犬」の主人公ネロが憧れる画家 ルーベンス はエイク兄弟が亡くなった100年以上後に生まれ、フランドルで活躍した)

THE ARNOLFINI MARRIAGEHet volmaakte rood en Alkmaarピーテル・パウル・ルーベンスヤン・ファン・エイクフランダースの犬フランダースの犬 (アニメ)






2008-09-24[n年前へ]

Pop-Eye 

 "Famous For 15 Minutes: My Years with Andy Warhol"を読んでいると、小気味良くパズル(謎)な会話に出会った。アンディ・ウォーホルに「ウルトラ・バイオレット(=紫外線)」が投げかけた問いと、その言葉に返された言葉だ。

Why not dress as Popeye, your hero?
He says, "It's Pop Eye."
憧れの「ポパイ」みたいな見た目に何でしないの?
僕が憧れてるのは、"ポップ・アイ"だよ。
 "ポップ・アイ"とは、一体どんな「瞳」なのだろうか。

 Andy Warhol Museum の壁にこんな言葉が描かれていた。この言葉は、個性や中身がないと悩みがちな現代の私たちに、とても自然なくらいに伝わる言葉のような気もする。

 Once you 'got' Pop, you could never see a sign the same way again. And once you thought Pop, you could never see America the same way again.
 中身に個性も無さ気な缶詰を描いた画を見ながら、ホウレンソウの缶詰を食べると超人的な力を放つポパイを思い浮かべ、そして、"ポップ・アイ"とは、一体どんな「瞳」なのだろうか、と頭を捻って考えてみる。

Pop-eye






2009-10-27[n年前へ]

「数学」と離れた世界で読む「新鮮な数学の世界」 

 3人の主人公たちの目と考えを経由して、数学の世界を私たちに垣間見せてくれる、結城浩「数学ガール 」から。

 世界に人間がたった二人しかいないなら、人間の悩みはずいぶん減るんじゃないだろうか。人間が多すぎるから、比べて落ち込んだり、争ったりするんじゃないだろうか。
 ーじゃ≪世界に素数が二つだけなら≫という話をしよう

 この本を読むのには、時間がかかった。「何か」へ辿りつくために、何段もの数式上を歩いて行く、その数式階段を納得しながら読むのに、とても時間がかかった。たとえば、「≪数列の国≫における「たたみ込み」は、≪母関数の国≫における積なのだ」という、「結果自体は(式を頭の中で展開してみれば)自明」なことでも、そこにたどり着くまでの数式が続く回廊を歩いていくのに時間がかかる。

 何も見つからずに終わることも多いだろう。では、探すことは無駄かな?違う。探さなければ見つかるかどうか、わからない。やってみなければ、できるかどうか、わからない。…私たちは旅人だ。疲れることがあるかもしれない。道を間違うことがあるかもしれない。それでも、私たちは旅を続ける。
 疲れたなら、休めばよい。道を間違えたなら、戻ればよい。-そのすべてが、私たちの旅なんだから。

 読むのに時間がかかる…けれど、それでも「数列」と「母関数」…といったものを、頭に思い浮かべることもない生活を続けている中で読むこの本は、意外なほどに新鮮に感じた。

 数学への≪あこがれ≫-それは、男の子が女の子に対して感じる気持ちと、どこか似ているような気がします。
 難しい数学の問題を解こうとする。なかなか答えは見つからない。手がかりすら見つからない。でも、その問題はなぜか魅力的で、忘れられない。何か素敵なものが隠されているに違いない。
 ところで、素敵なものが隠されているか、そうでないものが隠されているか…、それは最後の最後までわからないのではないか、と私は思う。それでも、「…≪あこがれ≫-それは…」の一文は、間違いなく真実だと確信する。



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