hirax.net::Keywords::「ウォーホル」のブログ



2008-09-05[n年前へ]

アンディ・ウォーホルと"work" 

 「コピーの時代」という企画展示を以前見に行った

 四条河原町を歩いていると、古本屋のドアに貼られた「コピーの時代」と書かれたそのチラシにふと目を惹かれた。あまりに気に入ったので、琵琶湖近くにある滋賀県立近代美術館に行ってみた。

 その企画展の中には、もちろんアンディ・ウォーホルもいた。そんな、アンディ・ウォーホルの言葉を眺めていると、心に引っかかる言葉が多い。たとえば、そんなものの一つがこれだ。ポール・グレアムの「知っておきたかったこと」を読み、「好奇心を持っていると、努力が遊びになる」という一節に頷(うなづ)いた人は、きっとこんな言葉に頷(うなづ)くことだろう。

Work is play
when it's something you like.
 そして、同じ"work"という単語で繋がるこんな言葉に目を留める人もいると思う。そんな時、自分はどこに行きたいと思うのだろうか?そこに行きたいと思う理由は何なのだろうか?そして、一体何をしたいのだろう?というという「?」マークが湧いてくることもあると思う。
I'd like to work in Europe.
But I wolud'nt do the same things,
I'd do different things.

 そんな疑問への答えは、「コピーの時代」のアンディ・ウォーホルは、どのように用意していたのだろうか。

...Making money is art
and working is art
and good business is the best art.

Warhol






2008-09-10[n年前へ]

エルビス・プレスリーが「11人いる!?」 

 アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)がモチーフに使った"Elvis"を高速でパタパタ切り替える動画のようなものを以前見たことがあります。動画といっても滑らかなものではなくて、拙いパラパラマンがのような、動いているエルビスが幾重にも重なり合うようなものでした。だからこそ、その何人もの違う瞬間のエルビスが重なり会うようすが、見ていてとても楽しかったように思います。色々な表層的なイメージだけがただ重なっていくようすに、ただただ興味を惹かれた感じでした。

 長い時間をかけて、アンディ・ウォーホルの"Elvis 11 times"を見ました。2m×10mくらいの大きさの"Elvis 11 times"を眺めると、エルビス・プレスリーが少なくとも11人並んでいます。「少なくとも」というのは、見る方向で違うエルビスが見えてくるので、「11人」というような風に正確に数えることは難しかったのです。

 どういうことかというと、エルビスを描き出す模様がついた編み目が重なっていて、その立体構造が「見え方」に指向性を持たせているのです。背景となる銀色と模様を作る黒色とが見る方向次第で、互いに色が逆転して見えたりするのです。立体構造のために、黒色が銀色に隠蔽され見え方が変わったり、視点位置によって鏡面反射光の強度が黒色部分より銀色部分の方が弱く、黒色と銀色の見え方が反転して見えたりするのです。そのため、同じ場所でも見る方向によって違うエルビスが見えてきます。だから、大雑把に言うと「エルビスが11人いる」のですが、そこには実はもっと多くのエルビスが描かれていて、見る方向によって違う姿のエルビスたちが見えるのです。レンチキュラーレンズを貼り付けた立体写真のように、見る方向によって見える画像が違ってくるのです。

 "Elvis 11 times" はどこから見るかによってその姿を変えるのです。人がどんな場所に立ってどこを見るかによって、違った姿が見えるのです。だから、単純な2次元には収まらない"Elvis 11 times"は、単純に一枚の写真に写し取ることはできないわけです。写真のシャッターを押したとして、そこに写る映像は、本物とはひどく異なる姿になってしまうわけです。そんなことがとても面白くて、"Elvis 11 times"をとても時間をかけて眺めてみたのです。

Elvis 11 times






2008-09-24[n年前へ]

Pop-Eye 

 "Famous For 15 Minutes: My Years with Andy Warhol"を読んでいると、小気味良くパズル(謎)な会話に出会った。アンディ・ウォーホルに「ウルトラ・バイオレット(=紫外線)」が投げかけた問いと、その言葉に返された言葉だ。

Why not dress as Popeye, your hero?
He says, "It's Pop Eye."
憧れの「ポパイ」みたいな見た目に何でしないの?
僕が憧れてるのは、"ポップ・アイ"だよ。
 "ポップ・アイ"とは、一体どんな「瞳」なのだろうか。

 Andy Warhol Museum の壁にこんな言葉が描かれていた。この言葉は、個性や中身がないと悩みがちな現代の私たちに、とても自然なくらいに伝わる言葉のような気もする。

 Once you 'got' Pop, you could never see a sign the same way again. And once you thought Pop, you could never see America the same way again.
 中身に個性も無さ気な缶詰を描いた画を見ながら、ホウレンソウの缶詰を食べると超人的な力を放つポパイを思い浮かべ、そして、"ポップ・アイ"とは、一体どんな「瞳」なのだろうか、と頭を捻って考えてみる。

Pop-eye






2008-09-26[n年前へ]

Pop-Eye と anan別冊 POPEYE 

 雑誌サイトを作ってみようとした時、まずはいつものように図書館に通って雑誌文化の下調べをした。色んな雑誌の特徴や創刊時のエピソードを読んでいて面白かったことがいくつもある。たとえば、POPEYEがananの別冊として始まった、といったそういう雑誌の生まれから、雑誌が続いていくうちにどのようにポジショニングが変化していったか、ということだ。

 当初は月2回女性誌の「anan別冊・Men's an an POPEYE」として、コラム・マガジンとしてスタートした。アニメポパイの主人公ポパイをキャラクターに、1976年6月に、当時の平凡出版(現在のマガジンハウス)より、「Magazine for City Boys」というサブタイトルで創刊された。
   Wikipedia

 そして、POPEYEはPop-Eyeだったことに気づく。ウォーホルが口にしたPop-Eyeのような60年代の空気と視線をまとわって、あぁ生まれてきたんだなぁ、と思うと「頭の中の世界年表パズル」中のピースがコトリとはまる感じで小気味よい。

2008-09-28[n年前へ]

アンディ・ウォーホルと"inter view" 

 "double meaning"で、その二つの"meaning"が相反すること、にいつも見とれる。二つの重なる言葉、けれど、それらがまるで反対のことを意味する言葉が好きだ。なぜなら、それが現実だから、だと思っている。もしも、片面しか見せないものがあるとしたら、(このフレーズは何度も書いているが)映画のセットのように薄っぺらいものでしかない、と思っている。"inside out"なんていう言葉が好きな理由は、そんな気持ちからだ。

 アンディ・ウォーホル・ミュージアムで、ウォーホルが創刊した「インタビュー(interview)」誌が壁の一面に並んでいた。多くの観客は、表紙に描かれたインタビューイの表情を眺め、それが誰かを確かめる。そして、傍らにある本棚からそのインタビューイが語った言葉を眺めている。

 その雑誌「interview」というタイトル・ロゴは、デザインのせいか、どれもすべて"inter View"という風に見えた。「内面を覗いたもの」というタイトルの雑誌と、アンディ・ウォーホルの「僕を知りたければ作品の表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉、そのまるで反対の言葉、"double meaning"な言葉がとてもいい。

 「表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉は、その「裏側の実在・裏側に惹かれる心」があってこそ、の言葉だと思う。「表面だけ」で「後ろに何もなかったとしたら」、それは後ろに倒れてしまう。・・・だから、と書き続けるには論理的に飛躍があるけれど、「表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉が意味を持つためには「裏側の実在・裏側に惹かれる心」という方向性がなくてはならない。つまり、これは一種のパラドクスな言葉である。それが、実に的確だ、と思う。



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