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2008-09-05[n年前へ]

アンディ・ウォーホルと"work" 

 「コピーの時代」という企画展示を以前見に行った

 四条河原町を歩いていると、古本屋のドアに貼られた「コピーの時代」と書かれたそのチラシにふと目を惹かれた。あまりに気に入ったので、琵琶湖近くにある滋賀県立近代美術館に行ってみた。

 その企画展の中には、もちろんアンディ・ウォーホルもいた。そんな、アンディ・ウォーホルの言葉を眺めていると、心に引っかかる言葉が多い。たとえば、そんなものの一つがこれだ。ポール・グレアムの「知っておきたかったこと」を読み、「好奇心を持っていると、努力が遊びになる」という一節に頷(うなづ)いた人は、きっとこんな言葉に頷(うなづ)くことだろう。

Work is play
when it's something you like.
 そして、同じ"work"という単語で繋がるこんな言葉に目を留める人もいると思う。そんな時、自分はどこに行きたいと思うのだろうか?そこに行きたいと思う理由は何なのだろうか?そして、一体何をしたいのだろう?というという「?」マークが湧いてくることもあると思う。
I'd like to work in Europe.
But I wolud'nt do the same things,
I'd do different things.

 そんな疑問への答えは、「コピーの時代」のアンディ・ウォーホルは、どのように用意していたのだろうか。

...Making money is art
and working is art
and good business is the best art.

Warhol






2008-11-07[n年前へ]

斜め下45度から眺める「フェルメール展」 

 東京都美術館で「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が今夏から、12月14日まで開催されている。フェルメール展に行った時にこんなことを考えた。

 (展示されている)フェルメールの絵を普通に眺めていると、絵そのもののせいか、あるいは、照明との位置関係のせいか、まるで、綺麗な画集を眺めているような気がする。それを逆に言ってしまえば、画集を眺めているのと変わりない、写真撮影した等身大の絵を眺めているのと変わりない・・・ということになってしまう。

 けれど、絵の周囲を覆う手すりくらいの高さにかがみ、絵を少しづつ違う方向から眺めてみると、照明を反射し光る表面を通じて、絵の表面の凹凸が見えてくる。絵の中のどんな色の部分が出っ張っていて、どんな部分が凹んでいるのかが見えてくる。

 つまり、絵がどのように描かれているか・フェルメールがどのように絵を描いていたのかが、朧気ながら見えてくる。灰色・人肌じみた色でキャンパス全体が塗られ、その上に薄めの色と淡い黒が塗られ、その上にさらに荒い黒と白が描かれているような感じが見えてくる。下地やモデリングやグレージング、そして、その上に画家が描いたハイライトと濃い黒い領域が見えてくる。

 「絵が描かれた手順・方法」に興味を持つタイプの人は、レゾネと違う絵を見てみたい人は、フェルメール展を斜め下45度から眺めると面白いと思う。正面から見ると同じ黒が違う黒に見えてきたりと、少し違う立体的な絵が見えてきて面白いと思う。そして、立体的な景色から、その絵が描かれた時の空気が流れてくるように感じると思う。

2008-12-31[n年前へ]

赤外線で見る「マチスの画集」 

 「プリンタで偽造したナンバープレート」と「速度取り締まり機の撮影波長」 実験編 Part.1 で書いたように、普通の印刷やプリンターなどで使われる(黒以外の)カラーインクは赤外線を吸収しないものが多い。私たちの目には鮮やかな色を見せるカラーインクでも、赤外線の目から見ると単なる透明のインクでしかなかったりする。通常の四色印刷で使われるインクのカラーインクは、赤外線にとっては全然「カラー」ではないのだ。

 美術書の頁をめくりながら、マチスの画を眺めている時に「この頁を、このマチスの画を赤外線で眺めたらどんな風に見えるだろう」と、ふと思った。そこで、可視光をカットし赤外線だけでマチスの画を眺めてみた。すると、やはり、肌色も鮮やかな赤も緑も消えて、色のない黒い部分だけの画になった。

 実際のマチスの画を赤外線で眺めてみても、きっと、こんな風には見えないだろう。一体、どんな風に見えるだろうか。自分の目とは違う目で、色んなものを眺めてみたいとよく思う。

 絵や本を読むと、そんな思いが少しかなうのがうれしい。

マチス赤外線でマチス








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