2008-12-31[n年前へ]
■赤外線で見る「マチスの画集」
「プリンタで偽造したナンバープレート」と「速度取り締まり機の撮影波長」 実験編 Part.1 で書いたように、普通の印刷やプリンターなどで使われる(黒以外の)カラーインクは赤外線を吸収しないものが多い。私たちの目には鮮やかな色を見せるカラーインクでも、赤外線の目から見ると単なる透明のインクでしかなかったりする。通常の四色印刷で使われるインクのカラーインクは、赤外線にとっては全然「カラー」ではないのだ。
美術書の頁をめくりながら、マチスの画を眺めている時に「この頁を、このマチスの画を赤外線で眺めたらどんな風に見えるだろう」と、ふと思った。そこで、可視光をカットし赤外線だけでマチスの画を眺めてみた。すると、やはり、肌色も鮮やかな赤も緑も消えて、色のない黒い部分だけの画になった。
実際のマチスの画を赤外線で眺めてみても、きっと、こんな風には見えないだろう。一体、どんな風に見えるだろうか。自分の目とは違う目で、色んなものを眺めてみたいとよく思う。
絵や本を読むと、そんな思いが少しかなうのがうれしい。
2010-04-01[n年前へ]
■「マティス」と「状態遷移」と「描かれなかった可能性」
マティスの「大きな横たわる裸婦(ばら色の裸婦)」の制作過程を、1935年5月3日の第1ステートから眺め、1935年10月30日の第21ステート、そして、1935年10月30日の最終ステートまで眺めていると、何度も何度も描き直されていることがわかる。その過程を写真で眺め、マティスが何を考えながら、変更・修正を加えていったかを想像することができて楽しい。
ところで、第1ステートとか、第2ステートと「ステート」といった言葉を眺めていると、「状態遷移(State Transition)」とか「State Flow」なんていうものを連想してしまう。
たとえば、「ばら色の裸婦」では、私たちが見ることができるマティスのステート(状態)はたかだか22ステートに過ぎない。
しかし、このステート以外にもたくさんのステートが存在しただろうし、あるいは、存在することはなかったけれども存在する可能性があったことだろう。
マティスが描いた作業過程を、あるいは、マティスが感じたけれど描かなかった構想を、描かれなかった可能性を、状態遷移図にしたとしたならば、それは一体どんな世界になるのだろうか。
2014-10-05[n年前へ]
■画家が使った「色」を「距離」にした「画家の空間」を描いてみよう!?
昨日は、画家の「代表色」を当てる目(色)利きゲームをしてみたので、今日は画家の代表作をGoogle画像検索で収拾し、それら名画に使われている使用色を「距離」として、つまりは色空間での距離をものさしにして、画家の「地図」を描いてみました。
そんな色空間を眺めてみると、たとえばゴッホが描いた絵画の色空間を眺めてみると、左(上)の領域、つまり、緑(や赤)を主体にしたものよりも、それ以外の青や黄色の世界が「眩しい昼」や「星輝く夜」っぽくて好きだなと、自分の好みを感じたりします。
あるいは、フェルメールの絵画を集めた世界地図を眺めると、…使われている色の違いというのか、あるいは、その明るさ・鮮やかさの違いというのか、北向きの窓から室内に差し込む光を頼りに描かれた絵はぼんやりとしていて、明るさが足りない日本海側の冬景色…に見えてきたりします。
ちなみに、「ゴッホの世界地図」を作ってる途中の計算動画は、下のような感じ。まるで、ゴッホの絵画たちがみんなでダンスを踊ってる感じ。マティスが描いた絵画で眺めてみるのも結構面白いかも。
2015-12-20[n年前へ]
■「ポッチャリ磯山さやか」を「ボッティチェリ磯山さやか」に変身させてみよう!?
夏が終わる頃、「CNN(Convolution Neural Network)を使い、さまざまな画風を簡単に再現する"A Neural Algorithm of Artistic Stlye"」が注目を集めました。「スタイル行列」という単純な考え方を用いることで、いとも簡単にさまざまなスタイルの絵を描き出すことができるのが、とても新鮮な論文でした。
今日は、グラビアアイドルの「磯山さやか」をさまざまな画風で描き出してみました。その結果が、たとえば下に貼り付けた画像群です。ちなみに、ここに登場している「磯山さやか」はこんなメンバーです。
- フランス印象派風なルノワール画風
- (ある年代には村下孝蔵の”初恋”ジャケットで通じそうな)切り絵作家の村上保
- マティス
- ゴッホ
- 滝平二郎
- ルノワール
個人的には、体系スタイル的には「ぽっちゃり」で肉体の存在感がある磯山さやかの体は、ボッティチェリ、ルノワール、あるいはマティスの画風により描き出すのがハマってるような気がします。