2010-04-01[n年前へ]
■「マティス」と「状態遷移」と「描かれなかった可能性」
マティスの「大きな横たわる裸婦(ばら色の裸婦)」の制作過程を、1935年5月3日の第1ステートから眺め、1935年10月30日の第21ステート、そして、1935年10月30日の最終ステートまで眺めていると、何度も何度も描き直されていることがわかる。その過程を写真で眺め、マティスが何を考えながら、変更・修正を加えていったかを想像することができて楽しい。
ところで、第1ステートとか、第2ステートと「ステート」といった言葉を眺めていると、「状態遷移(State Transition)」とか「State Flow」なんていうものを連想してしまう。
たとえば、「ばら色の裸婦」では、私たちが見ることができるマティスのステート(状態)はたかだか22ステートに過ぎない。
しかし、このステート以外にもたくさんのステートが存在しただろうし、あるいは、存在することはなかったけれども存在する可能性があったことだろう。
マティスが描いた作業過程を、あるいは、マティスが感じたけれど描かなかった構想を、描かれなかった可能性を、状態遷移図にしたとしたならば、それは一体どんな世界になるのだろうか。
2014-10-18[n年前へ]
■宮沢賢治「注文の多い料理店」を読んでると、フローチャートに見えてくる!?
宮沢賢治「注文の多い料理店」を読んでると、山奥にある「RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒」が入り口を入ってきた相手に付ける注文の仕方、相手に自ら行わせる処理手順に、「まるで何かの設計書みたいだ!」と思いました。
なぜかというと、各扉に「注文(処理)内容」を記述して、その処理をした後にようやく次の扉に進ことができるというのが、何かのフローチャートか状態遷移図みたいだ…なんて考えたからです。宮沢賢治がもしも今の時代に生きていたら、人の心を動かす物語ではなく、何かを動かすプログラムをコーディングしていたのかもしれません(しかも、結構着実に)。