2008-09-26[n年前へ]
■Pop-Eye と anan別冊 POPEYE
雑誌サイトを作ってみようとした時、まずはいつものように図書館に通って雑誌文化の下調べをした。色んな雑誌の特徴や創刊時のエピソードを読んでいて面白かったことがいくつもある。たとえば、POPEYEがananの別冊として始まった、といったそういう雑誌の生まれから、雑誌が続いていくうちにどのようにポジショニングが変化していったか、ということだ。
当初は月2回女性誌の「anan別冊・Men's an an POPEYE」として、コラム・マガジンとしてスタートした。アニメポパイの主人公ポパイをキャラクターに、1976年6月に、当時の平凡出版(現在のマガジンハウス)より、「Magazine for City Boys」というサブタイトルで創刊された。
Wikipedia
そして、POPEYEはPop-Eyeだったことに気づく。ウォーホルが口にしたPop-Eyeのような60年代の空気と視線をまとわって、あぁ生まれてきたんだなぁ、と思うと「頭の中の世界年表パズル」中のピースがコトリとはまる感じで小気味よい。
2009-02-13[n年前へ]
■「同じだけの長さのエピソード」と「感情のエントロピー」
香山リカの「乱読パラダイス」を読んで、読書ノートに書き写したのが「同じだけの長さのエピソード」という章だ。
世の中には、エピソードを語ることでしか伝えられない感情もある。この章では、香山リカの「小さな物語」が書かれ、そしてそのエピソードから表される感情は、そこに込められた情報は、そのエピソードの長さを介してしか伝えようがないのではないか、ということが書かれている。
しかし気持ちがわかる、とは本来、こういう話をすることでしか人に伝えられないものではないか。もしかしたら、そのエピソードの長さ、というものが、気持ち・感情の「情報量」なのかもしれない、とふと思う。ということは、感情や気持ちを伝えるためには、それに至るまでの時間と同じだけの時間が、結局の所必要となるのかもしれない。そして、それは、実際問題としては得られそうにないものでもある。
2009-10-17[n年前へ]
■ライト兄弟の飛行機が実用化されなかった理由
山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」のライト兄弟に関する章から。
ライト兄弟の飛行機には二つの謎がある。それは、ライト機に一貫してついていた「先翼」と「チェーンドライブ」である。先翼はいわゆる昇降舵で、チェーンドライブはエンジンからプロペラへの駆動系である。なぜ、これらが謎であるかというと、この二つの技術だけは、じつに効率の悪い不自然な技術だったのである。(先翼は主翼前で乱流を発生させ、飛行が不安定になる。チェーンは、外れ・切れ・エネルギーロスも大きい)
この二つの技術をよく見ると、先翼は「舵取りが前」、チェーンドライブは「動力伝達はチェーン」ということである。つまり、これらは自転車の発想なのだ。もともと自転車屋であった兄弟は、最後まで自転車の発想から抜けられなかったのである。
2009-10-20[n年前へ]
■「キュリー夫人の運命の一夜」
思わず内容をメモしたくなる内容を「技術」という分野に分けるか「人文」という言葉で表現するのか、=悩むことがある。けれど、そんな風に悩むことは少ない。
けれど、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」を読んだときには、そんな悩みを感じた。なぜ、この人は「技術を確かに見る視点」と「人を冷徹に眺める視点」を共に兼ね備えているのだろう・・・と感じ、そこに書かれている内容を「技術」に分類するのか、「人を表す言葉」に分類するのか悩んだ。この山田大隆氏の行う授業を聞いてみたい、と悩んでしまった。つまり、このサイトでいえば、Tech-logsに分類するのか、Logosに悩んだ、というわけである。
今日書き写すメモは、「人を表す言葉」に分類しておこうと思う。その対象は、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」の中のキュリー夫人に関する部分だ。節で言うと、「キュリー夫人の運命の一夜」である。
人は単純ではない。さまざまな本を読んで感じるキュリー夫人も、一言ではいえない綺麗な色も・濁った色も、それらをすべて兼ね備えた複雑なものを見せる。それでも、私の好きな人のひとりだ。
しかし、「一度、遊びに来ないか」といわれて相手の実家までついて行けばどういう状況になるか、はたまた、誘いを受けること自体どういうことか、いくら勉強一筋で世間知らずとはいえ、マリーに考えがおよばなかったはずはない。この文章だけでなく、そのあとに繋がる文章、そしてさらにその他に描かれている人物に関する文章も含めて、この本の一番感銘する部分は「人」と「技術」の両面を「深く」考察している点にあると思う。
マリーは、故郷ポーランドで一介のさえない物理教師で終わるより、天下のパリで研究者として自分の能力をためす道を選んだ、と考えたほうがよい。