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2009-10-20[n年前へ]

「キュリー夫人の運命の一夜」 

思わず内容をメモしたくなる内容を「技術」という分野に分けるか「人文」という言葉で表現するのか、=悩むことがある。けれど、そんな風に悩むことは少ない。

 けれど、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」を読んだときには、そんな悩みを感じた。なぜ、この人は「技術を確かに見る視点」と「人を冷徹に眺める視点」を共に兼ね備えているのだろう・・・と感じ、そこに書かれている内容を「技術」に分類するのか、「人を表す言葉」に分類するのか悩んだ。この山田大隆氏の行う授業を聞いてみたい、と悩んでしまった。つまり、このサイトでいえば、Tech-logsに分類するのか、Logosに悩んだ、というわけである。

 今日書き写すメモは、「人を表す言葉」に分類しておこうと思う。その対象は、山田大隆「心にしみる天才の逸話20―天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード (ブルーバックス) 」の中のキュリー夫人に関する部分だ。節で言うと、「キュリー夫人の運命の一夜」である。

 人は単純ではない。さまざまな本を読んで感じるキュリー夫人も、一言ではいえない綺麗な色も・濁った色も、それらをすべて兼ね備えた複雑なものを見せる。それでも、私の好きな人のひとりだ。

 しかし、「一度、遊びに来ないか」といわれて相手の実家までついて行けばどういう状況になるか、はたまた、誘いを受けること自体どういうことか、いくら勉強一筋で世間知らずとはいえ、マリーに考えがおよばなかったはずはない。
 マリーは、故郷ポーランドで一介のさえない物理教師で終わるより、天下のパリで研究者として自分の能力をためす道を選んだ、と考えたほうがよい。
 この文章だけでなく、そのあとに繋がる文章、そしてさらにその他に描かれている人物に関する文章も含めて、この本の一番感銘する部分は「人」と「技術」の両面を「深く」考察している点にあると思う。



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