2010-01-16[n年前へ]
■ルートを外して、色んなものを眺めてみたい (初出:2005年09月15日)
昨年の春頃、青春18切符のポスターがJRの駅構内に張られていました。もちろん、今でも(青春18切符が販売される)そのシーズン毎のポスターが貼ってあるわけですけれど、特にその時のポスターが好きでした。正確に言えば、そのポスターに書いてあった
√a = 18
旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。
という「小さな数式とその解説」が大好きだったのです。単純な数式と洒落た遊び心に、旅をする時の気持ちがこもっているように感じ、不思議なくらい心を惹かれたのです。
しばらくしてから、そのポスターの数式とコピーに対する「この数式は、普通にa=324という答が出てしまいます」という指摘をどこかで読みました。その文章を読んで、「確かに、それは確かにそうだよなぁ」と思いつつも、私はふと屁理屈を書いてしまいました。…それは、こんなコジツケた屁理屈です。
この数式で使われている"="は、いわゆる等号"= ="ではなくて、代入の"="かもしれません。つまり、この数式は「√a が 18 と等しい」ということを言わんとしているのではなく、「√aというものは全て18が代入される」という手順・代入式を意味しているということを意味しているのかもしれません。
つまり、実はこの式は、方程式ではなく、"√"という関数(もしくは演算子)を定義する式なのではないでしょうか。
…すると、この式は「"Root"をとると、どんなaを入力してみても、いつでも18になる」という意味になります。それを、さらに素直に言い換えるならば、「旅路(Route)の中では、人は誰でも18(Age)になる」というコピー文そのままに変身します。
この式は、そういった「誰であっても18歳の頃に戻してしまう」ようなものが「旅路(Route)」なんだ、と高らかに定義・宣言する数式なのかもしれないと思いました。そして、さらにその数式から、さらに、「人のルート(Root=根底にあるもの)は、そんな18才の頃のようなものだよね」という強い意思を想像したのです。青春18切符のポスターに書かれた小さな式は、「旅は人を18歳の頃の気分にさせる。そして、それこそが - 人の根底- にあるものなのだ」と、そう伝えようとする言葉だと勝手に想像してみたのです。
青春18切符の公式から"a=324"なんてなんだか当たり前の答を導いてしまうのは少しツマラナイ話です。もっと色んな答えを想像してみるのもきっと面白いと思います。
そしてまた、例えば自分(や他人)のつまらない考えに沿った「決まり切った道(Route)」の上だけを走り続けるのも、なんだかつまらなく感じられることがあります。そんな時には、そんなルートを外して色んなものを眺めてみるのも、少し良いのかもしれません。 …あなたが「外したいと思ったことがあるルート」「外れたルート」「外したルート」は、どんなものでしょうか?
2010-04-14[n年前へ]
■We don't need roads.
"road"を辞書でひいて、文例を読むのが好きだ。なぜかというと、それらは、青春18切符の宣伝文句のような楽しみ方ができるからだ。たとえば、25年近く前の「1995年 冬 ~何かを変える旅。~」で使われた、
「決められたレール」は無いほうがいい。の"rails"のような趣(おもむ)きが、"roads"にはある。
Roads? Where we're going, we don't need roads.
Dr. Emmett Brown in the "Back to the Future"
2010-06-03[n年前へ]
■「選ばなかった人の物語」
「選ばなかった道」
選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。
成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。
Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。
海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。
ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。