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2001-01-16[n年前へ]

バスト曲線その2 今日書いたメール。 

 あの方程式は
>液体の圧力は水平方向ではなく表面の法線の方向に働くので
このとおり、表面の法線方向の関係に直されていますし、それが「自由境界におけるLaplace の関係」そのものですよね。
>というのは液体の圧力は水平方向ではなく表面の法線の方向に働くので、
>ヤング率が大きくなる程半球に近付くはずです。

 単に液体の自由境界を計算するときと同じように解けば、あの文章の末尾に
>ちなみに「水風船バストモデル」は無重力下ではどのような
>形状をとるかと言えば、当然体積に対して表面積が最小となる「半球形状」になる。
と書いたように仰るとおり半球に近づくように一見思えます。
 ここで無重力下というのは、皮膚の張力が重力に較べて十分大きい、ということなわけで「ヤング率が大きくなる」のと同じなわけです。

 ところがところが、です。
「あの方程式を解くときの境界条件は胸板側の長さ・バストの体積を先に決めています。」
 また、「あの座標軸の下で方程式を解く」ために、あの方程式はY,B(Y)の一対一の対応を必要としています。それが、「バストが本当に垂れてしまうような状況は考えていなかったりするので」という前提ですね。

 この二つの境界条件・前提の下で、「ヤング率が大きくなる程半球に近付くはず」が本当に正しいかどうか、考えてみては如何でしょうか?
 この二つの条件を除外しようとすると、方程式を作って解くのがとたんにメンドーになります。
というわけで、一般化されたバスト方程式をぜひ作って解いてみて下さい。

昨日の景色 

 はこんな感じ。(リンク

2002-01-16[n年前へ]

水曜日は何してたっけ? 

 水曜日、は何してたっけなぁ。あぁ、チェックポイントがひとつあったっけ。

2003-01-16[n年前へ]

他社プロジェクト追跡システム 

解析途中の某データ ある種のデータベースから、他社の社員の組織図やプロジェクトを「勝手に」推定し、その変化なんかを追跡するソフトを作ってみたのである。自分では結構面白いし、おもちゃにしてはなかなかにオソロシイと思うのだけれど、そんな風に思うのはワタシだけかもしれない。

 ちなみに、ある種のデータベースというのはハッキリ言ってしまえば公開特許データだったり、そんなソフトを作ったのは某作業中だったり、その某作業中には横でプラグイン作成に興じている某氏がいたりという、何がなんだか判らない状態だったけれど、とりあえずその解析を行う途中で出てくる行列を画像にするとこんな感じ。これはちなみに某E社のここ数年の1000件のデータベースから解析した、某250人の間での相関行列。ちなみにこの中には某一ノ瀬さんもかろうじてはいっています。

 というわけで、これが今日の「今日見た景色」

2004-01-16[n年前へ]

マイナスを探してしまう自分 

マイナスを探してしまう自分 「自分でいろんなことを解決して、前向きにがんばる人はすばらしいと思う。そうなりたいと思う。でも、その人の言葉を聞いてもあまり共感できないのはなぜなんだろう。文章に、苦しみ、悲しみ、嘆き、迷いなどのマイナス面が含まれていたほうが、素直に共感できる気がするのだ。


活躍しているからこそ、前向きな人だからこそ、その裏が知りたい。悩み苦しんだ時期を知りたい。弱さが知りたい」 from 「マイナスを探す自分

年をとるということ 

老人はね、昨日できたことが今日できなくなる。日々変化しているんですよ。
松村達雄@朝日新聞「風韻」

安原製作所「業務終了のお知らせ」 

 「写真のデジタル化による急速な銀塩市場の減少…は、思っていたより少し早く訪れました」という安原製作所の業務終了のお知らせ。世界最小のカメラメーカーの『カメラ技術者として「やりたいこと」と「やれること」を総てやり尽くせたのではないか』という言葉が清々しい。最後に、引用されている良寛の句を読みながら、たった一人のカメラメーカーの形見を折に触れて眺めてみることにしましょうか。「秋月」は安原製作所が残したレンジファインダー・コンパクトカメラです。

形見とて 何か残さむ 春は花夏ほととぎす 秋月の蒼

日記の本を開いてみたり、閉じてみたり。 

 本屋に行けば、色んな種類の「白紙のマイダイアリー」がたくさん平積みになっている。自分史を出したいという人も多いらしい。だから、自分の日記が一冊の本になるという「はてなダイアリーブック」のようなものはとても自然に違いない。日記のおまけならそれはあってもいい、に違いない

WEB日記を始めた頃の写真
 ところで、自分の日記を本にして、いつかその本を開く時には一体どんな気持ちで開くものだろうか。懐かしい気持ちで眺めるのだろうか、それとももっと違う気持ちで眺めるのだろうか。あるいは、その日記を閉じる時はどんな気持ちだろうか。そのかつての一年を閉じるような気持ちだろうか。そしてまた、日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、どちらが一体多いのだろうか?

 と、車を運転しながらふと考えた。だけど、次の瞬間に気づく。考えてみれば「日記の本を開く回数」と「日記の本を閉じる回数」はほとんど同じだ。その本を開く回数と閉じる回数は、せいぜい一回しか違わない。その本を三回開いたならば、その本を二回か三回閉じることになる。七回転べば、六回か七回は立ち上がっているのと同じだ。日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、はたかだか一回の違いしかない。それはほとんど同じニアリー・イコールだ。

自分の日記が一冊の本になる「はてなダイアリーブック」 

■ この一年の思い出を本にしませんか?□ 自分の日記が一冊の本になる「はてなダイアリーブック」も登場♪はてなダイアリー一周年を記念し、これまでに書いた日記を書籍にできる「はてなダイアリーブック」作成サービス(有料)をまもなく開始します。自分の日記が一冊の本になり、手元にいつまでも残しておける「はてなダイアリーブック」。
from はてな「お知らせメール」

アシタノアタシ 

数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。
"Connecting Dot" from n年前へ.

2005-01-16[n年前へ]

AutoHotkey 

 AutoHotkeyを流行らせるページ.

ExposeやAlt + Tab Replacement 

 EntbloessはWinplosionよりもきびきび動くが、アンインストールが上手くない。 Alt + Tab Replacement類似のTaskSwitchXPはソースもあるので、改造も可能。

夕方の景色 

夕方の景色夕方の景色夕方の景色夕方の景色夕方の景色






「金○を強打した痛みを女に教える」 

ProCups & Athletic Supporters 「キンタマを強打すると、日本がちょっとずれるぐらい痛い」「地球がかたむくぐらい痛い」「強打したときに脳内で流れるBGM」「必死・真剣に説明する男性陣といまいちよくわかっていない女性陣が切ない過激な恋愛板」など、多種多様な「金玉を強打した時の痛みを女に教えるスレ」の倉庫。

 ちなみに、右のグラフは「金○を強打しないように (スポーツの際に着用する)金○ガードの適切な選び方」を示しています。1インチ=2.54cmですから、Youth, Teen, Adultの中から適切なものを選ぶべし。パンツのサイズから選んでも良いかもしれないけれど、サイズの不一致が生じる可能性も…?

活性伝播による「はてなダイアリーのキーワード自動リンク」考察 

 「はてなダイアリーのキーワード自動リンクについての議事録を活性伝播によるキーワード抽出を行い、高活性語+鋭活性語の上位10個を取り出してみたという話

WEB日記の日付変更線 

 「WEB日記の日付変更線」は普通の時間で言うところの「次の日の午前」くらいです。逆に言うと、(普通の時間で言うところの)次の日の午後位までは「ちょっと書いて、書き換えて、さらに書き換えて」という作業が頻繁に行われたりします。で、「WEB日記の日付変更線」を過ぎて(WEB日記の時間軸上で)次の日になると、基本的には書き換えない、という感じになります。いっそのこと、今日の必ずトクする一言の「文書ノ日付ハ季節感ニ基ヅク完成見込ニシテ太陽ノ運行トハ必ズシモ平行セズ」というように、未来の日付で書き始めてしまうのも一つの手かもしれません。
 ところで、各WEB日記枚のそれぞれの「日付変更線」を並べてみるのも面白いかもしれません。生活スタイルも反映されるかもしれないし、書くスタイルも反映されているかもしれないですし。

続「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」 

 坂村健と竹村健一は「ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを」なんていう本を一緒に書いているなんていう情報をN氏より頂く…。いや、共著じゃなくて、二人は同一人物で、二人で一人なんだっけ…。
 いや、実際問題Googleで「坂村健一」で検索をかけると、結構?ヒットするんだもの。やっぱり、みんなそう思ってるんだな。「坂村健 ≒ 竹村健一 ≒ 坂村健一」って。
ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」

2006-01-16[n年前へ]

数年前の今日見た景色 

数年前の今日見た景色数年前の今日見た景色数年前の今日見た景色






Physics Illustrator for Tablet PCの動かし方(修正版) 

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研 手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」のPhysics Illustrator for Tablet PCの動かし方は、ni4n0Syouの自己満足日記に書かれている手順、「.net framework」「Tablet PC SDK」「シミュレータ(文中最後のリンク先にあるファイルを全部ダウンロードして、一つのディレクトリ中にまとめて入れておく)」の順にインストールしておけば、特に問題なく動作させることができるようです。

参考:「ピタゴラ装置シミュレータ」っぽい物理シミュレータ「Physics Illustrator for Tablet PC」のまとめ.

キンタマと自分とアシタノアタシ 

 今日の「n 年前」は、「キンタマを強打しないように (スポーツの際に着用する)金○ガード の適切な選び方」や「 金○を強打した痛みを女に教える」「マイナスを探してしまう自分」「アシタノアタシ」など「キンタマと自分とアシタノアタシ」です。

2008-01-16[n年前へ]

ケータイで見る景色 

今日見た景色今日見た景色今日見た景色今日見た景色今日見た景色






「七味唐辛子」を見てみよう 

 七味唐辛子には、麻の実や芥子の実が入っている。学生時代、「七味唐辛子を買って、楊枝で実を集めタバコに詰めて吸うとトリップできる」という話を聞いたことがある。トリップできると言っても、どの七味唐辛子でもOKというわけではなく「○×」という商品でないとダメだ、などと妙に具体的なウワサだった。

 それはさておき、七味唐辛子をきちんと眺めたことはないような気がする…と思い、七味唐辛子を拡大して眺めてみた。拡大写真を撮ってみると、麻の実の周りに、細かく砕かれた赤唐辛子や黒ゴマがたくさん付いている。素人目にも、「七味」の分散状態は実に均等であるように見える。

 ところで、この写真はS&Bの「七味唐辛子」だ。じっくり眺めているうちに、この七味は赤唐辛子の量がとても多いような気がしてきた。今度、他の七味唐辛子も拡大して眺めてみることにしよう。

七味唐辛子七味唐辛子七味唐辛子ケシ芥子(ケシ)






2009-01-16[n年前へ]

「オートバイ小説」と「ハッカー小説」 

 妄想半分に、「ハッカー小説」は「オートバイ小説」と似ているのかもしれない、と思うことがあります。「クルマ小説」でなく、あくまで、「オートバイ小説」です。バイク乗りたちは、どのバイクに乗るか・好きかと、とてもこだわりますが、そんな「オートバイ小説」に「ハッカー小説」に似ている、と思うのです。

 斎藤美奈子は「文学的商品学」の中で、オートバイが主題の小説は、文学的商品学

  • 男主人公がバイクを通じ成長する「ザ・男の成長譚」
  • 女主人公が二輪免許と引き替えに男を捨てる「ザ・女の自立譚」
の2つにまとまる、と書いています。そして、オートバイを「単なる道具」ではなく「人格を持ったもの」であるかのように描写し、さらに主人公がバイクに乗った瞬間には「人車一体」に同化してしまう。というのです。

 少し面白いのが、タイヤが2つ増えた「四輪」小説だと、四輪車=車は単なる「人格を持ったもの」でなく、「(男性にとっての)女性のメタファ」になってしまう、と斎藤美奈子は言うのです。たとえば、こんな具合に。

正直なところ、ぼくはあのお転婆なイタリア娘、アルファ・ロメオとのつきあいで、くたびれ果てていたのである。

五木寛之 「雨の日には車をみがいて
しかし、四輪小説と違って、バイク小説の場合には、オートバイは「人格を持ったもの」として描かれ「人車一体」になることはあっても、「(男性にとっての)女性のメタファ」にまではなっていない、というのは実に興味深いところです。

 コンピュータ管理者の仕事に就いた天文学者が、コンピュータへの侵入者を追いかけていく「ハッカー小説」である「カッコウはコンピュータに卵を産む」を読んでいると、ハッカーたちは実に「コンピュータ」にこだわります。その結果、コンピュータは単なる道具でなく「人格をもったもの」に見えてきたり、さらには、人格どころか「神格」をもった神・宗教に見えてきたりするのです。

 コンピュータ侵入者は"ps -eafg"と入力した。
デイヴはにやりと笑った。
 「バークレーUNIXには、これ(プロセスを表示する"ps"コマンドにfフラグ)はない。fはAT&T/UNIXで個々のプロセスのファイルを表示するコマンドだ。バークレーUNIXはこれを自動的にやってのけるから、fフラグは必要ない」
「コンピュータ侵入者はバークレーUNIXを知らない。旧世代のUNIX信者だ」
「異教徒だ」

 デイヴはコマンド中のただ1文字をもって西海岸の全コンピュータ人口を無罪放免にした。
 どうでしょうか?ここで描かれるコンピュータOSは、単なる道具でなく、まさに神格を持つなにものかに見えてきます。そして、ハッカーたちは、それぞれのバイクならぬコンピュータの中に一体化していくのです。ね?「ハッカー小説」は「オートバイ小説」と似ている、と思いませんか?

 さらにバイク小説との比較を続け考えてみていくと、男性ハッカーがコンピュータを通じ成長する「ザ・男の成長譚」も実際すでにたくさんありそう(書かれていそう)です。ただ、女主人公がハッカー免許と引き替えに男を捨てる「ザ・女の自立譚」がすでに書かれているのか?それを果たして女性が魅力的に感じるかどうか?ということに、頭を捻り・悩んでいるのです。

2010-01-16[n年前へ]

100円ショップで、できるかな? 「腕時計 電池交換工具セット」購入編 

 100円ショップで、できるかな? 「腕時計の電池交換50円ナリ」編で、裏蓋が「はめこみ式」腕時計の電池交換をしてみました。しかし、手持ちの腕時計の中には、「はめこみ式」の裏蓋ではないタイプの腕時計も多く、そういった腕時計は精密ドライバー(時計ドライバー)でコチョコチョと開けたり、ということはできません。

 たとえば、右上の時計などは、裏蓋の周囲に何箇所かの凹部があり、その部分をつかんで、裏蓋を回すことで開けるタイプの、裏蓋が「ネジ式」の腕時計というものになります。こういったタイプの裏蓋の腕時計では、専用の工具がないと蓋を空けられそうにありません。先が細めのラジオペンチを上手く対角位置の凹部にはめ込んでクルクルと起用に回転させれば、何とか蓋を空けることはできそうですが、慣れないとすぐに傷をつけてしまいそうです。

そこで、ダイソーで「腕時計 電池交換工具セット」400円(税込み420円ナリ)というものを買ってみました。これは、裏蓋が「はめこみ式」の腕時計用の工具と、裏蓋が「ネジ式」の腕時計用の工具がセットになり、さらに(細かな細工をするのには、とても重宝する)拡大ルーペも付属するという便利なセットです。

 この「拡大ルーペ」を頬骨と眉に力を入れて、目の前に挟み込むと、何だか自分が時計職人になったような気分になってしまいます。とはいえ、とても残念なことに、眼の部分がとくに窪んでいないような日本人顔の人の場合、その(ルーペを目に挟んだ)時計職人状態を保つのは難しく、すぐにルーペを(目から)下に落としてしまったりもします。そんな時は、同じ100円ショップで売っている品物ですが、度の強い「老眼鏡」を買うのも良いかもしれません。

 というわけで、今日は「ネジ式」の腕時計の電池交換のための小道具を100円ショップで買うという、100円ショップで、まずは「腕時計 電池交換工具セット」を購入してみました。この工具が役に立つか、あるいは、実はよっぽどラジオペンチと手先の使い方の方が重要か・・・は、これから試してみたい、と思います。

2011-01-16[n年前へ]

空飛ぶ「お賽銭箱」 

 年越ししてしばらくたった寒い朝、道端に小さなお賽銭箱が落ちていた。どこかの境内から空を飛び、この場所までたどり着いたらしき「お賽銭箱」の中には、どのくらい入っていたんだろう。

 お賽銭は、以前はお金でなく米で、さらに米になる前には石だったという。石がお賽銭だった時代には、お賽銭が空を飛ぶことはなかったのだろうか。

 そういえば、海に浮かぶどこかの島では大きな石のお金が使われていて、その石の価値はその石をその島まで運ぶために失われたものたちで決まる、と聞いたことがある。

 また、その石貨の価値を決めるのは大きさや目方ではなく、 それぞれの石貨にまつわる涙と汗の物語なのだそうだ。 何百キロもの大海原を越えて重たい石貨をカヌーで持ち帰るには、計り知れない苦労と危険が伴う。 何度も命の危機に瀕し、あまつさえ海に沈んだ者もいた。 どんなに苦労しどんなに犠牲者がたくさん出たか、 そうした涙と汗の英雄譚がその石貨の価値を高めるのだそうで、 苦労して持ち帰られた石貨ほど、価値が高いらしい。 (ヤップの石貨

 ここまで辿り着いた「お賽銭箱」を量るとしたら、一体、どんな目方で量られるのだろうか。

賽銭箱






2013-01-16[n年前へ]

「1人あたりGDP(国内総生産)」と「1人あたり国内所得の不平等さ」を眺めてみよう!? 

 同じ国に住む私たち、そんな私たちが生み出したもの総額いくらになるか?=国の中で生み出したものと交換されたおカネの量=お値段が、それすなわちGDP(国内総生産)です。その額面が回り回って国民のお財布に入ってくるので、GDPは私たちの懐具合を指し示す指標になります(参考:「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!?)。

 たとえば、右上のグラフは、横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸に「国民1人あたりの国民所得(national income)」をプロットしてみたものです。このグラフが直線的、つまり「国の中で生産されたもの価値≒国民所得」となるのは当たり前で、GDPと国民所得というものは、つまりそういう「定義」の数字なのです。

 しかし、現実には、生み出すもの(の値段)や所得が誰でも同じ=総額を人口で割ったような数値になるわけではありません。差異・違い・不平等がそこには存在しているものです。

 右のグラフは横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸には「所得分配の不平等さを示すジニ係数」をプロットしてみたものです。貧しい国でも(横軸の左側)、豊かな国でも(横軸の右側)、所得分配具合には「等しくなさ」が存在することがわかります。

 ジニ係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。

 もっとも、「貧しい国でも・豊かな国でも、国民の所得分配具合は等しくない」といっても、貧しい国と豊かな国 の間での国民所得のバラツキ具合は「同じように等しくない」わけではなく、不平等さにも違いがあります。

 …と、経済データを眺め・考えて続けていたならば、こんな不平等グラフはいつか姿を消すのだろうか・それともより存在感を増していくのだろうか?…とふと感じます。

「GDP(国内総生産)」と「国内の貧困差」「GDP(国内総生産)」と「国内の貧困差」