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2011-04-01[n年前へ]

Thinkpad+OS X="Think Different" 

 時折、日本IBM(日本IBM大和事業所)が作ったこサブノートPC上で動くMac OSXを使っている夢を見ることがあります。B5サイズに12インチの1400×1050ピクセル高解像度液晶、心地良く頑丈なキーボードの中央に(指・掌の動きが最小限で済む)赤いトラックポイントを光らせて、Core2DuoのCPUに8GBのメモリを搭載することができて、そして、コンバーチブル(通常のノートブックとしてもタブレット・デバイスとしても使うことができる)のタブレットPCであるThinkpad X61tでMac OSXを使う夢を見たりします。

 日本IBMとAppleが共同で開発したサブノート、PowerBook 2400cを愛用していたことがあります。 異なる得意分野を持つメーカ同士が組み、そのバランスがうまく作り上げられた場合には、それは限りなく素晴らしい道具になります。人が頭を動かし・足や手や指を動かし・何かを形にしようとする時には、何かしらの道具を必ず使います。そんな時、良い道具があれば、何か良いものを作ることができるような心地になります。

 右上の写真は、"PLAY FOR JAPAN"トラックポイントです。その上に掌をおけば、何でもできる・したくなる…そんな心地になるポインティング・デバイスとキーボードです。

至高のノートブック






2011-04-02[n年前へ]

ELECOMの折りたたみBluetoothキーボードを買ってみる!? 

 ELECOMの折りたたみBluetoothキーボード TK-FBP017EBK(iPhone,iPad,iPod touch対応 英字配列 ブラック) が8,189円オフの5,146円配送無料と不思議なほどのディスカウントなお値段になっています。OEM元のOEM元のリュウドのブランドから出されているものでも7800円ということを考えると、まさにお買い得な叩き売り状態です。

 というわけで、ひとつ買ってiPhoneと一緒に持ち歩くと、これが実に便利です。スマートフォンのソフトキーボードでは難しい長文文字入力が簡単にできるというメリットはもちろん捨てがたいのですが、いつでもどこでもプログラミング作業ができるようになる、というのも魅力的です。サーバにssh接続して「好みの言語でプログラムを書いて」みたり、VNCやリモートデスクトップで自分のコンピュータに接続しiPhoneを手のひらサイズのWindowsマシンに化けさせてみたり…ということができる…つまり、いつでもどこでも持ち歩くことができるプログラミングマシンに、iPhoneが変身するのです。

 スマートフォンの小さな画面の上ででも集中力さえあれば、いつでもどこでも「作りたい」と考えたことを形作ることもできそうです。

ELECOMの折りたたみBluetoothキーボードを買ってみる!?ELECOMの折りたたみBluetoothキーボードを買ってみる!?ELECOMの折りたたみBluetoothキーボードを買ってみる!?ELECOMの折りたたみBluetoothキーボードを買ってみる!?






2011-04-03[n年前へ]

「プレゼンする」ための基本的な「技術」 

 少し前に書いた「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」の日本語版第5刷と台湾版初版が、先月出荷されました。

 この本が「論理的」かどうかはさておき、人に何かを伝えようとする時のアドバイスを詰め合わせた本としては、手に取る価値があるものだと思っています。「基本的なことを書いた」ので「基本的過ぎる」と思う方も多いと思います。けれど、95パーセントの人は「その基本的なことができていない」というのも、またひとつの事実なのです。

 基本的なことに重心を置きすぎただろうか…と考えていた時に、こんなことを言われたことが印象に残っています。

論理的にプレゼンする技術 が一番売れた書店は、実は東京大学キャンパスの生協なんです。基本的過ぎると考えているかもしれないですけれど、"頭がいい東大生"ですら”そんな基本的”な本を買っていってくれているんです。おもしろいですよね?」

 そんな解析結果が、「うーん、なるほどなぁ」…と納得させられつつ、同時に「(底なしの向上心旺盛な)東大生恐るべし」とも感じさせられた、エピソードだったりします。

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2011-04-04[n年前へ]

「応力集中」を利用した「サントリーの非対称プルタブ」 

 何かに力を掛けた時、その形状が鋭く変化している部分には強い力がかかります。それは、「形状が鋭く変化している部分」では「受けた力を周りとともに受け止めることができなくなる」からです。そういった現象は「応力集中」と呼ばれます。そんな「応力集中」を利用しているのが、サントリーの「非対称プルタブ」です。

 プルタブが奇妙にねじ曲がっていますが、そのおかげで「プルタブに掛けた力を効率的に集中させて、アルミ缶の口を開けることができる」というわけです。「当たり前の現象を、当たり前のように使う」ということは一見当たり前のように思われるかもしれませんが、実はそれは最高にセンスが良いデザイン(設計)であるように思えます。

 世の中で使われている「モノ」は全て(経済原理が許す限りにおいて)力の限り工夫されて作り上げられているものばかりです。私たちの身の回りにあるものたちを眺めてみれば、一見不思議に感じられる「非対称形状のプルタブ」のようなモノが溢れています。自然の原理に人間の知恵の数々が注ぎ込まれている「道具のパズル」を色々眺めてみると、とても面白いかもしれません。

「応力集中」を利用した「サントリーの非対称プルタブ」「応力集中」を利用した「サントリーの非対称プルタブ」「応力集中」を利用した「サントリーの非対称プルタブ」






2011-04-05[n年前へ]

「小さなビニール袋を顔にかぶる」のは「禁止」です!? 

 コンピュータや周辺機器を買ったりすると、マニュアルがビニール袋に入れられていることが多いように思います。そんなビニール袋に印刷された注意事項がとても面白かったので、その「イラストレーション付きの注意事項」を写真に撮って下に貼り付けてみました。

 20cm×20cm程度の大きさのビニール袋に印刷された注意事項は「このビニール袋をかぶってはいけません」という内容です。その内容を表現するイラストが実に絶妙にシュールなタッチで描かれていて、何だか思わず笑ってしまいました。

 「小さなビニール袋を顔にかぶってはイケません」という内容を深刻過ぎることなくコミカルに、けれど強く印象的に描いたイラストレーション、…あなたはどう感じますか?

小さなビニール袋を顔にかぶってはイケません!?






2011-04-07[n年前へ]

顔文字で記した「拡散方程式」 

 「式」を眺めると、その中に「顔」が隠れ見えることがよくあります。たとえば、正規表現の中にはたくさんの顔たちが整列しているものです

 これが今日の正規表現の心象風景です。「本を真面目に読んでみたけれど、よくわからず頭の中にハテナマークが浮かび上がり、いつの間にかこめかみで血管がピクピクしていて、ついにちゃぶ台をひっくり返していた…」という感じです。
 式の中に「顔」が隠れているというのは、正規表現の「式」に限りません。方程「式」の中にもたくさんの顔が隠れています。

 たとえば、「何かが(時間的に)刻々と広がってく量は、その何かの空間的な傾きで決まる」という拡散方程式を、物理量をφ(r,t)と記し・さらにナブラ演算子を使って記述した拡散方程式などを見ると、私には「左利きの人が筆記用具を手にして、耳をかきながら、うつむき気味に何かを考えている」「その横には横を見ながら、口を尖らせている」ようすに見えてしまうのです。そんな「顔文字で記した拡散方程式」が下の板書です。

 「よくわからないもの」が顔に見えてしまう、ということはよくあるものです。壁の染みや、記念写真の後ろの木々、…はたまた月面のクレータまで、人は人の顔を「よくわからないもの」の中に見いだします。

 正規表現や各種方程式が「よくわからないもの」というのが、実に悲しい技術オンチぶりですが、そんな人はきっと私だけではないだろう、と信じたいところです。あなたは、どんな顔文字を数式やプログラムコードの中に見ることがありますか?

顔文字で記した「拡散方程式」 






2011-04-08[n年前へ]

女性のための「男子トイレ講座」 

 女性にとってのミステリーゾーンのひとつが、男子トイレではないでしょうか。混雑した観光スポットや高速道路では、女性も男性トイレに入る機会があったりするかもしれなせんが、普通は男子トイレの中を観察する機会にはあまりめぐまれないと思います。

 右の写真は、男子トイレの便器の上で見かけることが多い「公共広告」です。明治大学ラグビーの北島元監督が叫び続けたモットー「前へ」というキャッチフレーズを思い起こさせる、「もう一歩前へ」というポスターは、男子便所でかなりの割合で小便器の上に貼られていることが多いものです。

 「女性のための男子トイレ講座」があったら、一体どんなカリキュラムが面白いでしょうか。そしてまた、「女性が教える男子トイレ講座」があったら、一体どんなカリキュラムが組まれるものでしょうか?

女性のための「男子トイレ講座」






2011-04-09[n年前へ]

京都の街で「非ユークリッド幾何学」を体感しよう!? 

 京都市街は、基本的に道は東西に走るか、南北に走るかのいずれかです。たとえば、東西に走る「通り」は、丸太町通り・御池通り・三条通り・四条通り…といったものになりますし、南北に走る「通り」なら東大路・西大路・烏丸通り・堀川通り・河原町通り…といった具合になります。

 周辺部以外では、曲がりくねった道はなくて、道はすべて真っ直ぐ東<->西か南<->北方向に走っている。だから、どこに向かうにもただ、目的の方向に進み・曲がればいいだけだ。

「マンハッタン距離」と「続 理系風デート」
 マンハッタン距離を使うことができる街といえば、京都もそういう街のひとつです。東西南北方向に向けて、碁盤の目状に道が作られています。だから、太陽が真西に沈む春分と秋分の日近辺では、何本もの東西に走る道の向こうから夕日の光が差し込んでくる、ということになります。

春分と秋分の日には京都に行こう!? 

 だから、「南北という方向軸(=道は東西に走る)」をX軸として、「東西という方向軸(=道は南北に走る)」をY軸とすれば、すべての交差点はXY座標で示すことができることになります。だから、京都の交差点は「四条河原町(X=四条,Y=河原町)」とか「四条烏丸(X=四条,Y=烏丸)」とか「烏丸御池(X=御池,Y=烏丸)という具合に直行する2軸の座標値、すなわち通りの名前で表すことができ、その通りの名前を聞けば、どの場所に位置する交差点であるかが簡単にわかる、というわけです。XY座標で示される京都市街は、まさに「理系の散歩道」のために作られたような街、なのです。

 京都の街の凄いところは、小さな街なのに理系風散歩をすると、地球の曲率すら感じさせるところです。たとえば、烏丸御池から御池通りを「ひたすら真っ直ぐ」と西へ西へと進んでいくと、時代劇の撮影スタジオがあることでも有名な太秦近くに至ります。その太秦に辿り着く直前にある交差点が「三条御池」です。すなわち、東西に走る御池通りと三条通りが交差する交差点です。…何か「おかしくない?」「同じ方向に走るはずの”御池通りと三条通り”が交わることなんか不可能だよね?」と一瞬驚くわけです。

 けれど、理系の調味料がまぶされた頭の人ならば、こんな風に考えたりもするはずです。「そうか、オレは地球の上を移動していたんだよな。で、地球は丸いからは丸いんだから、そんな地表上の座標軸は2次元リーマン空間なんだから、その上では任意の2直線は実は必ず交わるわけだったな」「地球の丸さを考えれば、京都市街から離れれば、同じように東西に走る道同士が交差してしまうのもしょうがないな」「地球の曲率を意識してしまうくらい、太秦は京都中心からは遠い辺境の地だったんだな」…エトセトラエトセトラ。

 …もちろん、地球の曲率を感じさせるほどに京都の街が大きいわけでも、太秦が遠く離れた場所にあるわけではありません。いわゆる三条通りは、西大路通りのさら西を南北に走る「天神川通り(葛野中通り)」と交差した後に、道が進む方向を真西から西北方向へと変えてしまうのです。だから、三条通りの隣を平行に走り続けるはずの御池通りと交差することになり、「三条御池」という「本来ありえない名称を持つ交差点」が誕生してしまったというわけです。XY座標で示されるはずの空間の一部に、なぜかXX座標で表される場所が生じてしまったわけです。

 「理系の散歩道」を楽しむことができる人ならば、京都「三条御池」の交差点に行ってみると良いかもしれません。そこは小さな街のはずなのに地球の曲率をなぜか体感できるという、驚異のサイエンス・パワースポットなのです。

京都の街で「非ユークリッド幾何学」を体感しよう!?






2011-04-10[n年前へ]

「他人」はそれぞれ異なる「言葉や論理や価値観」を持つ 

 自分と違う「他」の人を他人と呼びます。他人は自分と異なる人なのですから、それぞれが使う言葉(語句)の「意味するところ」も異なるし、考え方(ロジック)も、あるいは、それらを支える根本たる感じ方(価値観)も異なるわけです。

 目の前に考え方や感覚や言葉使いが未知の人がいたとして、「必ず相手を理解することができる」とも思えませんが、会話をするためには一体どうすれば良いものなのでしょう?

 自分でない他の人と言葉を交わそうとする時には、その3つの違がどのような風であるかを考え・推測する、という作業が重要であるように思います。

 まず、「その人の使う言葉を、自分が使う言葉とは別のものと考えて、その人が話す言葉の論理の中での矛盾を最小限にするよう、その人が持つ言葉の定義を見つけ出す」(そのようにすることで)その人の言葉の定義が決められた後に、「その人が話した言葉を通して、価値観の矛盾がないかどうか考える」 ただひたすらに、この一連の作業を、矛盾がなくなるまで反復を繰り返し続けることで、「この人はこういう感じ方・考え方をして、こういう言葉の使い方をする人なのだろうか」という推測をすることができるわけです。

 そして、いつでも何らかの違和感(矛盾)を感じたならば、その違和感の元を見つけるための確認作業を行ってみる、という具合になります。何かを問いかけて、その反応を確認してみたりするわけです。

 もちろん、こんな風に「その人の感じ方や言葉の使い方や考え方」といったものに対して、矛盾が存在しなくなるまでアレやコレやと考える・・・というのは少し面倒な作業です。だから、ある程度は用意された「パターン」に当てはめ・そしてテンプレートからの誤差分を修正するようにすることで、推測作業を簡素化して考えることも多いように思います。

 こうした「テンプレート・マッチング」による他人の言葉や感じ方や考え方を推測する方法の欠点は、 自分がこれまで見たことがない・想定したことがない「未体験・未想定の感じ方・考え方をする」人を目の前にした時、大雑把にも対応させられそうなテンプレートがなく、さてどうしようか?と対応に困ってしまう・・・ということです。そんな時は、時間をかけつつ、新しいテンプレートを自分の中に作り上げていくことになるのでしょうか。

 言葉や論理あるいは価値観といったものは、本当のところ、「理解」なんていうことが可能であるのか、よくわかりません。まして、理解の先に存在しているかもしれないという「納得」ともなればなおさら、です。

それぞれ異なる「言葉や論理や価値観」を持つ人たちで溢(あふ)れ・互いにすれ違うこの時代、どんな風に考え・動くのが良いのでしょうか?

「他人」はそれぞれ異なる「言葉や論理や価値観」を持つ






2011-04-11[n年前へ]

交差点の位置を調べる「計算量」を京都の町で考える!? 

 京都の町では、多くの道が南北もしくは東西の方向に走っています。その結果、ほとんどの交差点は「直交する2つの道」により生まれ、そして、そんな交差点には「直交する2つの通りの名前を足された」名前が付けられるのです。

 だから、「南北という方向軸(=道は東西に走る)」をX軸として、「東西という方向軸(=道は南北に走る)」をY軸とすれば、すべての交差点はXY座標で示すことができることになります。だから、京都の交差点は「四条河原町(X=四条,Y=河原町)」とか「四条烏丸(X=四条,Y=烏丸)」とか「烏丸御池(X=御池,Y=烏丸)という具合に直行する2軸の座標値、すなわち通りの名前で表すことができ、その通りの名前を聞けば、どの場所に位置する交差点であるかが簡単にわかる、というわけです。XY座標で示される京都市街は、まさに「理系の散歩道」のために作られたような街、なのです。

京都の街で「非ユークリッド幾何学」を体感しよう!?
 そんな町で便利なことは、「記憶力に乏しい人でも交差点の場所がすぐわかる」ということです。

 もしもN本の東西の道と南北の道があるとしたら、交差点の総数はN^2ということになります。ということは、交差点の名称から場所を調べるための計算量は、O-記法で示すならO(N^2)もある、ということになります。これは、記憶力に問題がある私たちにはとても多すぎる量…です。

 ところが、いわゆる京都の街のような命名法を使っている場合には、つまり、「交差点の名称は、直交するふたつの通りの名称を結合することで作る」というルールにもとづくのであれば、東西・南北それぞれN本の通りの場所さえ覚えておけば、交差点名称から場所を調べるための計算量はたかだかO(2×N)≒O(N)にまで小さくなるのです。

 そんな計算量の削減・単純化ができるのは、「すべての道は直交する」という法則が、(「三条御池」というような特異点が生じることがない)京都中心街辺りではあるからです。

 交差点の信号機の下に掲げられた交差点の名称を長め、交差点の名称から場所を導き出すために必要な記憶量や計算量…そんなことを考え・楽しむことができるのが、「理系の散歩道」です。

 京都の街で、あなたの住む町で、「交差点の名称から場所を調べるための計算量」を考えてみることも楽しい」と思います。たとえば、あなたが知恵を絞れば、O(N^2)の計算が必要そうに思えるところをO(N log N)の計算量で済むようにすることができる…かもしれません。

2011-04-12[n年前へ]

長野オリンピックを支えた「白馬ジャンプ台の採点インターフェース」 

 雪が深い頃、長野白馬スキー場のジャンプ台に登ってみました。選手たちが空へ飛び出していく斜面の上に立ち、その高さと傾斜の激しさに、恐れおののいたりしたのです。

 ジャンプ台で眺め・面白かったもののひとつが、(右上の写真の)採点者が操る点数入力台でした。つまり、それはスキー・ジャンプ競技の点数を決める、つまり飛型点や着地点といったものを採点者が入力する器具です。”SEIKO JP-20PH”と銘打たれ、"Flight""Landing""Falls"という三点について採点した結果を入力するための道具、その無骨さになぜかとても惹かれたのでした。

 秋葉原のラジオデパートに並んでいそうなケースに、メカニカルなスイッチと液晶を配置した操作盤…"Welcome to Hakuba"という文字が浮かび上がる操作盤の中に、運動オンチでオタクなぼくらを引きつけてやまないフェロモンを、そこに強く感じたのです。

 西方が飛び・葛西が飛び、その後に飛んだ原田や舟木たちの点数が押されたのが、この「白馬ジャンプ台の採点インターフェース」です。あのドラマの後ろで、人知れず動いていたのがこの機械です。

白馬ジャンプ台の採点インターフェース






2011-04-13[n年前へ]

お手軽「地震検知器」を作ってみよう!? 

 東日本では地震が続いています。地震があまりに頻繁に起き続けると、「今世界が揺れているように感じるのは、地震のせいなのか、それともめまいのせいなのか?」といったことがわからなくなります。揺れに鈍感になる一方で、その逆に、小さな揺れをも敏感に感じ取る気持ちが育ってきますし、さらに船酔いのような変なめまいも続き、これは一体地震なのか・それともめまいなのか?と悩んでしまうのです。

 そんな時には、「地震検知器」を作るのがお勧めです。身の回りにある輪ゴムやヒモを切り、その先にクリップなどの重りになるものを取り付けて、さらに周りの空気流の影響を受けないように(たとえばエアコンや送風機といった空調の影響)、その重り付きのヒモ(ゴム)をペットボトルの中に(フタを閉めるときにヒモの先を挟むなどして)ぶらさげるのです。

 この地震計は、こんな風に動きます。「地震」がもし起きたなら、揺れるペットボトルに対して「中の重り」はそれまでと同じ動きをしようとしますから、ペットボトルに対して中の「ヒモ&重り」が相対的に揺れ動きます。それに対して、あなたが「めまい」を感じたとしても、ペットボトルの中の重りはそのめまいと全く関係がないわけで、ペットボトルの中のヒモや重りはピクリともしないハズ…というわけで、「地震」と「めまい」の区別がつくわけです。余震酔いに悩む人は、ダマされたと思って簡単お手軽工作をしてみるのも、お勧めかと思います。

 せっかく「地震計」を作るなら、お手本写真のようにあなたがデザインした「ラベル」でも作って・貼ってみれば、なんと、あなただけのおしゃれな地震計を手に入れることができます。

 透明なペットボトルとヒモ(のようなもの)と重りになるものを探して・手に入れ、紙に「地震計」とでもラクガキしてペットボトルに貼り付けてみれば、あなただけのデスクトップ地震計のできあがり、です。 余震が続く中「めまいと地震」を区別しかねているのなら、息抜きにこんな工作をしてみれば、少し楽しくなるかもしれません。

お手軽「地震検知器」を作ってみよう!? お手軽「地震検知器」を作ってみよう!? お手軽「地震検知器」を作ってみよう!? 






2011-04-14[n年前へ]

「Ruby+Thinkpad」で作る地震震度計 

 地震が続く今日この頃、めまいと地震を区別できない…というシチュエーションのために、昨日は「お手軽な地震検知器」を作ってみました。今日は、その続きとして、Ruby(とIBM産ノートPCを使って)で地震検知器を作ってみることにしました。

 地震の震度は、大雑把に言えば、加速度と揺れ動く時間とその周波数で決まります。以前、ノートPCで作る地震警報システムを作ろうとしたことがあります。加速度センサを備えた機器は多いわけですから、身の回りにある機器で地震の震度を算出する…なんていうことは、実に簡単に「できる」ものです。

 今日は、以前作った「Ruby版 Thinkpad 加速度センサ類取得クラス」を使って、「地震の震度スクリプト」を書いてみました。ノートPC(Thinkpad)の内蔵センサからの加速度を得て、その上で「揺れ動く時間」と「その周波数」というパラメータを適当にネグった上で(=無視した上で)適当に加速度から揺れ動く(地震の)震度を近似計算するスクリプトを書いてみたのです。このスクリプトは、語句単純に「ruby hoge.rb "スクリプトを走らせる秒(s)数"」という風に走らせることで、100ms毎に検知した加速度から震度を計算し続けて、もしも地面が揺れていると判断された時には、地震の震度を一秒に一回づつ、たとえば、

3
5 (=震度5弱)
5.5 (=震度5強)
…
といったように表示する、というものになります。そのRubyコードは下のようになります。「Ruby版 Thinkpad 加速度センサ類取得クラス」を、このスクリプトと同じディレクトリにでも置いた上で、このスクリプトを実行させれば、上に示した例のように動きます。
require 'accelerometer'
include Math

waitSec=0.01 # = each 100ms
averageNum=(1.0/waitSec).to_i

def send si
  puts si
end

def process(gxy)
  si=nil
  si=1 if gxy> 0.5
  si=2 if gxy> 2
  si=3 if gxy> 5
  si=4 if gxy> 20
  si=5 if gxy> 40
  si=5.5 if gxy> 100
  si=6 if gxy> 140
  si=6.5 if gxy> 200
  si=7 if gxy> 400
  send(si) if si&&si>3
end

class Array
 def average
   val=0.0
   self.length.times{|i| val+=self[i] }
   return val/self.length.to_f
 end	 
end

period=ARGV[0].to_i*(1.0/waitSec).to_i
acc=Accelerometer.new
gdatum=Array.new(averageNum) {|i| 0.0 } 
gi=0
period.times do |i|
  gx,gy=acc.getAccelerometerData.map{|v| 
    980.0*tan((v.to_f)/50.0*22.5/360.0*6.28)}
  gdatum[gi]=sqrt(gx*gx+gy*gy)
  gi=gi+1
  if gi==averageNum
    process gdatum.average 
    gi=0
  end
  sleep waitSec
end

 Thinkpad(やそれと似た同類の危機)に搭載されている加速度センサでは、震度1とか2程度の震度を正確に検知することはできません(その理由は後ほど書きます)。…その一方で、「日本全国の机の上に置かれていて(スマートフォンは、残念ながら、机の上には置かれていないのです)、さらに、その機器を使って”震度”を算出することができる値を刻々計ることができる計測器」というものが、ノートPCほどちまたに溢れているわけでもありません。

 今日は、そんな貴重な道具を使ったスクリプトを書いてみました。こんなスクリプト、手元のPC向けのクライアント用スクリプトだけでなく ネットワークに接続しているたくさんの人たちが動かしたら一体どうなるか、ということについては、また明日にでも書いてみたいと思います。

2011-04-15[n年前へ]

「Ruby+Thinkpad」で作る地震震度クライアント・サーバ・システム 

 「地震の揺れ」は場所ごとにずいぶん違います。「場所」というのは宮城県とか茨城県といった大雑把なものだけでなく、□△町にある○×ビルの△階…といった場所ごとに「地震の揺れ」は違います。震源地の方向や揺れのモードと建物構造…といったものによって、ずいぶんと「揺れ」は違ってくるものです。

 「Ruby+Thinkpad」で作る地震震度計を作ったならば、さまざまな場所で(机の上に置かれたノートPCを用いて)計測した震度をサーバ上に集め、いろいろな場所(条件)下の震度情報を眺めてみたくなります。

 というわけで、今日はThinkpadの加速度センサを用いて震度を刻々計測しつつ・それを情報管理サーバに送るクライアントと、クライアントから送られる震度情報を管理する震度情報管理サーバソフトを、それぞれRubyで書いてみました。クライアントソフトは加速度センサからの情報をもとに刻々の震度情報を計算し、揺れが発生している時にはサーバソフトに自分の場所情報や震度情報を送りつけ、サーバソフトはクライアントから送られた情報を格納しつつ、ブラウザからの閲覧に対応する、という作業を行います。

 ここに置いた3つのソースコードを同じフォルダにでもダウンロードした上で、サーバにするマシン上でclient.rbの5行目にある

SERVER 192.168.0.1
を適当なアドレスに設定してから、
ruby server.rb 8080
とサーバを起動させれば、まずは震度情報管理サーバが立ち上がります。さらに、各クライントPCで
ruby client.rb
という具合に震度計測クライアントソフトを起動させれば、各クライアントPCが震度情報を刻々とサーバに送信するようになります。そして、震度情報管理サーバは格納された震度情報を(8080ポートの'/'から)ブラウザを用いて眺めることができるようにもしたりする、というわけです。

 今日書いてみたサンプルは、簡単なスケルトンです。簡単なスケルトンには、さらなるアイデアをたくさん詰め込むことができるはずです。

 …たとえば、「各クライアントPCが震度情報をサーバに送信すると同時に、サーバは他の場所での震度情報(警告情報)をクライアントに教えてあげる・クライアントはどれと同時にビープ音を発する」「建物の何階にいるかということと震度情報の対応を算出する」「全国の震度情報をGoogle Maps上にリアルタイムレンダリングする」…たくさんのアイデアを量産実装したいものです。

「Ruby+Thinkpad」で作る地震震度クライアント・サーバ・システム






2011-04-16[n年前へ]

携帯サイズのホワイトボードこそが最高の文具だ!? 

 「手製ホワイトボード・セット」をいつも持ち歩いています。白いプラスチック下敷きをA5サイズに切り、その両面に撥水コート用のシートを貼れば、携帯性バツグンの両面ホワイトボードができあがります。そんな両面ホワイトボード数枚とホワイトボード用のカラーマーカーの組み合わせは、電子ペーパー類とは比べものにならない便利さ・心地良さがあります。

 なぜかといえば、「軽く薄い」ので簡単に持ち歩くことができて、「カラフルに描く」ことができて、「描いた内容を消すことも一瞬ででき(いざとなれば指でこするだけ!)」、さらには、描き終わったホワイトボードは、デジカメで撮影&画像保存したり、コピー機でプリントアウトやPDF化すれば「記録・保存をすることも簡単」だから、です。

 持ち歩いているホワイトボードは、普通の長方形状だけではありません。マンガの「吹き出し」形状のホワイトボードも数枚持ち歩いています。このホワイトボードは「現実をマンガ化する」こともできますし「心の中を透視すること」もできるので、とても楽しく目の前の世界を眺めることができます。

 この吹き出しを、自分の顔の近くに持ってくれば、自分の心の中の気持ちを人にそのまま見せることができます。例えば、この装置を使うと「Mona OS」作者の頭の中を覗いてみたりすることができます。彼の頭の中に強く浮かび続けていること、なかなか言葉で聞くことができない、だけど素晴らしいものを眺めることができます(実はこの吹き出し"装置"は一枚の同じモノなのです)。
 頭の中に浮かんだことや軽い思いつきを吹き出しに書いて、デジカメで写真を撮ったりすれば、アイデアを頭から搾り取る・ひねり出すような辛い作業も、少し楽しくなったりするように思います。

 頭の中にあるモヤモヤとしたイメージを、何か形にしていこうとする時には、携帯サイズのホワイトボードは最高の文具です。

2011-04-17[n年前へ]

「放射性物質がある場所が見える目」と「放射性物質を見ないスクリーニング検査」 

 「放射線は目に見えないから怖い」という言葉を聞きます。けれど、目に見えないように思えることも、実は意外に「見る」ことができるものです。

 被災地に住む知人が、身の回りにあるたくさんのものに線量計を向け、放射線量を計っています。たとえば、一番強く放射線を発していたのは、ビル屋上の「水溜まりが乾いた跡」で、およそ20〜50μSv/h程度で放射線を発している、ということでした。公式に発表されている放射線量よりも、自分たちが使う線量計で計った結果はおよそ2倍近く大きいことが多い、ということでしたので、ここで書くμSv/h値は、その程度の違いは持つかもしれない値です。ちなみに、バックグランドレベルの計測値は0.2μSv/h程度だったそうです。

 たくさんの場所・ものを計り続けた結果、強く放射線を発しているのは、アスファルトやコンクリートの上に残る水たまりの跡や、公園に生える木の幹表面や、あるいは、(静電気で粉塵を集める性質のある)塩ビのパイプといったもので、降雨とともに地面に落ちたものが集まるような箇所とか、粉塵を集めるようなものは放射線を強く発していた、と言います。だから、たとえば、ダスキンモップのようなもので、家の中を拭くとモップに付いた粉塵から放射線が発せられていた、というわけです。つまり、「たとえば花粉のような粉塵が集まる」場所は、もれなく放射線を強く発する場所です。

 そういった「大気に漂うもの」が(何かに吸着したりして)地面に降り積もりやすそうな場所を、心の目で眺めて見つけ出してみれば、確かにそういう箇所は他の場所に比べて強い放射線を発している…というわけで、放射性物質がある場所は「見える」のです。

 事故が起こってから、雨が降った跡に地面に残る(水溜まりの跡に残る)黄色い花粉跡を眺め、「放射性物質でないか?」と心配した人が多かったといいます。そして、「それは、ただの花粉ですから心配ないですよ」という説明がされていたのも記憶に新しいところです。けれど、関東地方はともかく、風向きと降雨の組み合わせが悪かった地域では、あの花粉が集まった黄色い跡は、放射性物質が濃い場所と実は”イコール”でもあったわけです。そうした地域では、「その黄色い跡は、別に放射線を発するわけではありませんよ」という説明は、「正しくない」ということになってしまいます。

 …そういった説明を生み出す駆動力を眺めれば、それは今回の事故を生む土壌と同じではないかという気もします。

 長い休み明けの校舎にたまったホコリを、雑巾を持ったこどもたちが拭き掃除する学校もあれば、(こどもたちが登校する前に)ダスキンモップを持った大人たちが掃除する学校もあるかもしれません。…放射性物質がある場所が見える目で眺めれば、そのふたつの学校は ずいぶんと違う(こどもたちに対して違う対応をする)校舎に見えることでしょう。

 線量計を強く反応させる粉塵を集めた知人は、ケースに入れた(ケース越しに20μSv/hを発する)粉塵をズボンのポケットに入れ、「被ばくの有無」を確認するスクリーニング検査に向かいました。ちなみに、「除染が必要かどうか」のしきい値は、3月20日付けで原子力安全委員会が10,000cpmから100,000cpmに変更していて、この値は TGS-136 型 GM サーベイメータ(5cm 口径)を用いた場合の1μSv/h(10cm 離れた場所での線量率)に相当します。けれど、少なくとも知人の(ズボンのポケットに入った)20μSv/hを発する粉塵を検知することはありませんでした。腰に20μSv/hの粉塵を入れた知人は「何の問題もなし」ということで、スクリーニング検査を通過してしまったのです。

 「放射性物質がある場所」は、意外に思えるかもしれませんが、目で見ることができたりします。けれど、その一方で、「放射性物質を見ないスクリーニング検査」もあったりするのです。

2011-04-18[n年前へ]

「南国のドラえもん」と「四次元ポケット」 

 一年前、占拠状態の街にいるドラえもんを不思議な心地で眺めていました。たくさんの赤と若干の黒シャツを着た人たちが溢れる占拠地の中心集会所地区で、重要個所を守る警備員も(占拠地帯で占拠を続ける親戚たちと共に遊ぶ)こどもたちも、どちらも同じようにドラえもん銃を持ち、同じように気まぐれに水鉄砲をこっちに向けて、水をピューっと掛けてきたりします。

 灼熱の太陽の下で、熱せられたコンクリートの上に座り込みを続ける人たちをずっと眺めていると、興味深いことに気づきます。地球が回り、太陽が空を動く…その動きにしたがって横断歩道やビルの陰は少しづつ動いていきます。そして、彼らは灼熱の太陽の下ではなくて動くビルの陰の上にいて、少しづつ動く陰と同じように彼らは座り込む場所を動かしていくのです。建物の陰がちょっと動くと、その陰に座る人たちもちょっと座る位置を変えていき、そして数時間も経てば、みな全然違う場所に座りこみをしているのでした。

 街を眺めれば、いたるところにドラえもんがいます。町中に溢れ・人を眺める仏像のように、たくさんのドラえもんたちが人々の中に溢れていました。そのドラえもんを印象深く感じながら、表現する言葉を見つけられないままに、一年経ってしまいました。

 今、あの南国からドラえもんが日本に帰ってきたとしたら、四次元ポケットからどんなものをとり出すのだろう、と考えます。色々なものが現れた後で、四次元ポケットに残ったただひとつのものは、もしかしたら「希望」という名前なのかもしれないとも、ふと思います。

「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 






2011-04-22[n年前へ]

ナニコレ珍百景 JR相模線「海老名駅」近くの大歩道 

 「ナニコレ珍百景」と言えば、日本列島(もしかしたら世界全体)が抱える「奇妙奇天烈(キミョウキテレツ)」な風景・景色を指す言葉です。

 下の写真は、今週眺めた「ナニコレ珍百景」です。東京・横浜の近くの田舎町、JR相模線の海老名駅の北には、畑の中を「大歩道」が通っています。限りなく狭く細い車道の横に、これ以上ない広さの歩道が作られているのです。「歩行者通路」と白い塗料で太く・大きく記された歩道の横には、人が歩くのにも狭く感じる車道があります。私たちがよく眺める車道と歩道の主従関係が逆転し、しかもそれが畑のどまん中にある…という実に不思議な景色です。

 広〜い畑の中を、日本一整備された・日本一太い「歩行専用道路」が貫く奇妙な景色…それがJR相模線「海老名駅」近くにある「ナニコレ珍百景」です。

ナニコレ珍百景 JR相模線「海老名駅」近くの大歩道






2011-04-23[n年前へ]

「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」 

 高校生の頃、女子高生の「制服」に心の底から憧れていました。通っていた学校は共学だったのですが、自由気ままな服を着ることができる私服の学校だったこともあり、「人(ヒト)は自分が持たないものに憧れ・好きになる」という世界の原理原則にもとづいて、それが「ブレザー」でも「セーラー服」でも「それが制服でありさえすれば、素晴らしい」という制服マンセーな太く固い背骨を得て、さらに「制服という型を守り抜く心」にこだわる精神構造を得るまでに至ったわけです。

 たとえば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。プレハブ住宅を支えるのが壁であるように、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、力強くそそり立つ鉄筋コンクリートのごとく、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型を守り抜く心を持つのである。
 だから、たとえば、理系は女子高生の制服が大好きなのである。ありとあゆる個性を持つ女子高生たちをセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができる、それが理系なのである。

めがねっこ大好き。

 そんなわけで「女子高生の制服こそが世界の至宝の存在だ!」と信じていたわけですが、そんな風に思いつつも、ひとつだけ「これさえなければ…」と感じることがありました。その「女子高生の制服」のここさえなければ…と感じていた部分というのは、自転車通学をする女子高生は、例外なく、制服のお尻部分が実にグロッシーにテカっていたことでした。黒い色の制服が好きだったこともあって、その黒い制服に白く輝くテカリを持つことに違和感を持っていたのです。

 制服のは粗い繊維でできています。そんな制服に光があてられたとき80パーセント程度の光は繊維内部に入り・そして繊維の中で吸収され、やがて熱エネルギーに変わります。残りの20パーセント程度の光は、スカートの繊維表面で反射し四方八方に散っていきます。四方八方に散る…ということは、どこかひとつの方向に反射するわけではありません。つまり、スカートがテカって見えるということはないわけです。

 ところが、毎日自転車のペダルを漕いでいる女子高生たちの制服は、サドルとお尻で擂(す)り潰(つぶ)されて、繊維表面が真っ平らに変形していきます。表面が凸凹とした繊維からの反射光は強くありませんが(テカりませんが)、表面が平らに潰された繊維からの反射光は強く・そんな制服を育てた「女子高生のお尻」はテカり輝いてしまうのです。

 自転通学する女子高生たちは、見るからに輝いています。そして、そのお尻もまた輝いているのです。その黒い制服が輝くようすを、極めてわかりにくく表現するならば、それはエネルギーを反映して光り輝く黒体放射にも思えます。

 ところで、女子高生の制服(スカート)は、最初から光沢仕上げの繊維で作った方が良いのかもしれない、と妄想します。最初から光沢を持っている繊維ならば、表面がもとから平滑な繊維ならば、毎日自転車に乗っていてもお尻が黒体放射してしまうこともない…と思う一方で、全身テカリまくりの制服は絶対ダメだ〜とも考えたりするのです。ということは、「自転車に乗る女子高生のお尻」は未来永劫「黒体放射」し続ける…それはそれでいいのかも、しれません。

「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」






2011-04-26[n年前へ]

バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 

 「高周波前」という理系心をくすぐる、けれど奇妙奇天烈な名前のバス停を目にしてから、変な名を持つ色々なバス停を眺めたくなりました。そんなわけで、先日眺めに行ったバス停は「国道駅前」という名を持つバス停です。もう少し正確に書けば、「市営バス停・国道駅前」という名前で、一体「市」なのか「国」なのか、バスなの(普通の)車両なのか列車なのか、道なのか駅なのか…その辺りを実に煙に巻く不思議な名前を持つバス停なのです。

 「国道」は車(やバイク)が走るわけですから、車の一種に分類されるバスが止まる「バス停」が国道沿いにある、というところまではわかります。…けれど、「駅」という名前は列車が止まる場所に付けられるような気もしますから、「国道駅前」という名前を持つバス停を目の前に眺めると、…とても不思議な心地になります。

 このバス停は、「国道駅前」という名を持つ「鶴見臨港鉄道の駅」前にあることから名付けられています。…それでは、なぜ鉄道の駅に「国道」という名前が付けられているかと言えば、それは「國道一号」沿い」にその鉄道駅があったから、ということになります。

 奇妙な名前を持つ「バス停の名前」は奇妙な鉄道駅名に由来して、そしてその奇妙な鉄道駅名は、江戸の日本橋から京都の三条大橋に繋がる東海道を受け継ぐ「國道一号」に由来する、というわけです。そう聞くと、なるほどと思えます。

 …どんなに不思議に思えても歴史をたどれば大概のものが「自然」に思えてくるものです。世の中には、「不自然なもの」はあまりないのです。どんなに奇妙に感じられたとしても、その成り立ちを追いかけてみれば、意外に自然に思えてきたりする…のかもしれません。

バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 バス停ミステリーツアー「国道駅前バス停」編 






2011-04-29[n年前へ]

意外に「山あり谷あり」な「あなたの住む街」 

 「地形を実感することができる地図」を眺めると、意外なほどに面白く感じます。登山をするならともかく、街中で普通に暮らしている中で、「地形」を気にする必要もないのでは…?と思うかもしれませんが、そんなことはありません。荷物を持って道を歩いたり・自転車に乗ったりし、そして、無意識に景色を眺める毎日の生活を考えれば、山中でなくとも「地形」を実感しておくということは、とても役に立つのです。

 下の地図は、神奈川県にある横浜市の北部(から川崎市の西部)辺りです。標高で色分けされていて、青色(青色ということで「海」かと感じるかも知れませんが、陸地です)と緑色の間は20メートル程度の高さの差があり、緑色と黄色の間がさらに20メートル程度高く、赤色ともなると青色から60メートル近く標高が高い、というわけです。これは、関東平野の中にある街を、標高差を強調して表現した地図なのです。

 …こんな地図を眺めれば、横浜市北部・川崎市南部辺りは本当に山あり谷ありで坂道に満ちているに違いない、ということが実感できるわけです。平らに感じられるような場所は、ほぼすべて河川沿いだけです。この辺りに住んでいたならば、まるで毎日低山歩きをしているようなものなのでしょうか。

 日本列島に平らな場所なんてほとんど存在しません。横浜市北部・川崎市南部に限らずとも、ふだん地形を意識することもなく・平らだと思い込んでいる街でも、こんな山あり谷ありな地面に違いありません。「あなたが住む街」は意外に「山あり谷あり」なのです。

山あり谷あり「横浜北部・川崎南部」